仁徳天皇:吉備国
奥方の実家遁走を招いた仁徳さんの怪しい「吉備国」行き、バレバレの口実をしてまで行かねばならかった場所とは?「黒日売」との逢瀬だけが目的ではないような気もするが、先ずは何処に行ったか、調べてみたい。
通説の訳文によると概略以下の通りである…
・海部直(アマベノアタイ)の娘「黒日売」、髪が黒くて容姿端麗、を召された。
・ところが奥方「石之日売命」の嫉妬が怖くて実家に帰った(これも実家の登場)。
・嘆いた仁徳さん、「淡道島」を視察に行くなんて嘘をついてさっさと出掛けた。
・淡島にて歌を一句:淡島、オノゴロ島、アジマサの島、さけつ島が見える。
・島伝いに「吉備国」へ。
・「黒日売」が出迎え、「菘(アオナ=青菜)」の煮物を献上しようと摘んでる時に一句。
一緒に摘むと楽しいなぁ…ご気楽です。
・「黒日売」に嘆きの歌まで詠わせておきながら、ササッと仁徳さんご帰還。
と言う、なんとも奥方に嘘までついて出掛けた割には呆気ない幕切れである。「黒日売」の登場はこれきり、まさに何のためにわざわざこの逸話を挿入したか、さらりと読み流せば作者の意図が疑われるところである。
これまでも繰り返したようにこれは大変な重要な、意味のあることを述べていると解釈すべきである。
・「黒日売」とは?
・「吉備国」への行程及びその場所は?
・「菘」とは?
・「石之日売命」と「黒日売」とは?
・「仁徳紀」の本題は?
さて、「吉備国」への行程から考察してみよう。出発は、記載はないが難波津であろう。「淡道=淡路島」まで特段の記載事項がないのは寄る所もなくスンナリと到着するからであろう。前記に従って豊前難波津からスタートする。
挙げられた島々、伊邪那岐と伊邪那美による国生み神話に登場するが、この国生みの解釈自体が混迷の渦中にある。近畿大和が記紀の話題とするなら現在の本州を含めるのが必然である。しかしながら生み出された島々の多くが北九州沿岸部にあることは異論のないところであり、朝鮮半島の視点で記述されている。暇が取り柄の老いぼれとしては、本州不含説を採る。
北九州に限っても決して島々の比定は容易ではなく、諸説乱立している。ネットで検索してもその乱立状態で止まっているようである。なかでもほぼ意見の一致をみるところを採用しその比定された場所を前提に話を進めることとする。
「大倭豐秋津島」は通説では「本州」であるが、「大倭豐秋津島」=「企救半島」とする。前記の古事記の序文に「秋津島を経て」と記載され、目的地の「倭」ではなかったことによる。現在九州本島と陸続きであるが、古代においては当時の水位(海面の高さ)、また陸からの土砂の堆積が進んでないことから推定されている。(⇒2017.5.9 訂正と補足)
考古学上の遺物もさることながら過去の地形そのものを追及する検討は極めて重要である。演算処理能力世界で一番という大型コンピューターによるシミュレーション、駆使できない?って勝手に思うこの頃…地震予測に使えるのでは?・・・。
肝心なことは古代人の地形認識である。彼らのそれは地図という優れたツールを持つ現在から見ると確かにずれ(歪)があるが、根本的なことに間違いがないと思われる。「島」は島(嶋)であって、「半島」ではない。距離数がアバウトであっても方位に狂いはない、と推測する。
古事記原文(通訳:武田祐吉)は…
故、大后聞是之御歌、大忿、遣人於大浦、追下而、自步追去。於是天皇、戀其黑日賣、欺大后曰「欲見淡道嶋。」而、幸行之時、坐淡道嶋、遙望歌曰、
淤志弖流夜 那爾波能佐岐用 伊傳多知弖 和賀久邇美禮婆 阿波志摩 淤能碁呂志摩 阿遲摩佐能 志麻母美由 佐氣都志摩美由
乃自其嶋傳而、幸行吉備國。
[ここに天皇は黒姫をお慕い遊ばされて、皇后樣に欺つて、淡路島を御覽になると言われて、淡路島においでになつて遙にお眺めになつてお歌いになつた御歌、
海の照り輝く難波の埼から立ち出でて國々を見やれば、 アハ島やオノゴロ島アヂマサの島も見える。サケツ島も見える。
そこでその島から傳つて吉備の國においでになりました]
豊前難波津を出航し、北西に進路を取り、秋津洲の南端、難波の御崎である。現在の足立山北麓の高台に到着する。この地より遥かに遠い「吉備国」方を眺めて詠った歌である。各島の比定は以下の通りである。
●「阿波志摩」=「彦島(福浦)」
「淡海」の出入口
●「淤能碁呂志摩」=「彦島(西山)」
血液が凝固する時のように島の凸凹状態を表す。
●「阿遲摩佐能志麻」=「馬島」
「阿遲」=「小型の鴨」渡り鳥の一種。福岡県の渡り鳥中継地の報告書あり。
「摩佐」=「増す(繁殖)」
●「佐氣都志摩」=「六連島」
「佐氣都」=「裂ける」国の天然記念物:雲母玄武岩がある。雲母の劈開性を表現したか、もしくは「氣都」=「穴」この島は溶岩台地であり、溶岩の凝結時に海水の水蒸気爆発による多孔状の外観から採った、又はその両者かである。
いずれにしても島の命名については当時の言伝えから現地の形状、その場所の特徴を捉えて行われたものであろう。これら四つの島については現在わかる範囲での情報からでも納得できるもののようである。
大阪難波津を出航して淡路島(北端)に立って、40~60km先の男鹿島他~小豆島、四国を見ることになる。見えるという表現よりも「遙望」であろう。通説は上記四島について「淡路島」以外は不詳である。古事記の記述をあるがままに解釈するなら仁徳天皇の立った場所は「淡路島」ではない。
吉備国への行程<追記>
準備が整ったところで仁徳さんと共に豊前難波津を出航することにする。下図を参照願いたいが、古事記に記載の順番に従って、島伝いに「吉備国」を目指す予定である。
難所の「淡海」を横断する。「彦島(福浦→塩浜町)」を経て「彦島(西山)」に到着する。響灘を漕ぎ抜け「馬島」に至り、少々鳥達と戯れて「六連島」に達する。
これからは島伝いとはいかず、しっかりと休養して一気に「福江」を目指して舟を進める。
「吉備国」=「吉見」現在の「福江」辺りまでの領域を示すと思われる。
これからは島伝いとはいかず、しっかりと休養して一気に「福江」を目指して舟を進める。
「吉備国」=「吉見」現在の「福江」辺りまでの領域を示すと思われる。
後は「黒日売」との楽しい逢瀬…では、ない。何故「黒」なのか? 髪が黒くて容姿端麗…髪ではなく「金」である。
「黒金」=「鉄」を意味する。
仁徳さん、「鉄」に逃げられては困るのである。いや、何が何でも「鉄」が要るのである。
「鉄は国家なり」ビスマルクより何百年も前に仁徳さんが申しておりました。「鉄」が手に入るなら嘘の一つや二つ、朝飯前。
「黒金」=「鉄」を意味する。
仁徳さん、「鉄」に逃げられては困るのである。いや、何が何でも「鉄」が要るのである。
「鉄は国家なり」ビスマルクより何百年も前に仁徳さんが申しておりました。「鉄」が手に入るなら嘘の一つや二つ、朝飯前。
吉備国での逢瀬
「吉備国」での出来事、他愛ない、なんて思わずに読み下しましょう。
之菘菜時、天皇到坐其孃子之採菘處、歌曰、
夜麻賀多邇 麻祁流阿袁那母 岐備比登登 等母邇斯都米婆 多怒斯久母阿流迦
[採む處においでになつて、お歌いになりました歌は、
「菘」=「青菜」青い野菜、だそうですが、寓意は? 直訳すれば「夜麻賀多邇」=「山方」。「鉄」に関係する「山方」。「菘」=「若い人達(労働力)」精銅の経験者も含めて、仁徳さんは提供したのである。吉備の人と一緒に「青菜を摘む」のではなく「人を積む(増す)」ことを楽し気に話したのである。
武力による制圧・奪取ではなく共同事業を行ったと言っている。現在で言えばTOBを仕掛けるのではなく、資金(人力)提供によるアライアンスを仕組んだのである。武力制圧の方が手っ取り早いのに何故そうしなかったかは憶測になるが、殺伐たる時代の発想として、極めて興味深い。
天皇上幸之時、黑日賣獻御歌曰、
夜麻登幣邇 爾斯布岐阿宜弖 玖毛婆那禮 曾岐袁理登母 和禮和須禮米夜
又歌曰、
夜麻登幣邇 由玖波多賀都麻 許母理豆能 志多用波閇都都 由久波多賀都麻
[そこでその島から傳つて吉備の國においでになりました。そこで黒姫がその國の山の御園に御案内申し上げて、御食物を獻りました。そこで羮を獻ろうとして青菜を採つんでいる時に、天皇がその孃子の青菜を天皇が京に上つておいでになります時に、黒姫の獻つた歌は、
大和の方へ西風が吹き上げて雲が離れるように離れていても忘れは致しません。
また、
大和の方へ行くのは誰方樣でしよう。地の下の水のように、心の底で物思いをして行くのは誰方樣でしよう]
仁徳さんの男性的魅力に「黒日売」ぞっこん…それもあったのでしょうが、もう少し違う形で読み取れそうである。大和に西風吹いて雲がはなれる…西の方で「鉄」の供給の目途が立っても…であろう。この業務提携の素晴らしさを「黒日売」に歌わさせているのであろう。
吉備国の『鉄』
「吉備国」に「鉄」はあったのか? ネットを検索すればスンナリと出現する。表立った資料には殆ど記載されてないようだが、遺跡も含めて鉄鉱石を原料とした製鉄炉跡が確認されている。生産規模が小さく後年になってからの目で見ると消えてしまいそうな感じであるが、歴史的には重要な事実として捉えなければならないものであろう。
「吉見」の東北に「鬼ヶ城」という山がある。鬼は製鉄作業に関わる人々に対する表現である。日本のお祭りに登場する多くの鬼は決して悪者ではなく、むしろ畏敬の念をもって扱われる、と知る。彼らが国を支えていたことを十分に理解した行為である。現在の岡山「吉備国」に纏わる伝説も、ここ下関「吉見」周辺を舞台としたものではなかろうか…。
奥方の「石之日売命」は「石」を拝命している。単独で取りに行ったのが「毛(木)」である。神武天皇が奪取した「銅」は支配する領域、香春岳に潤沢にある。重要な武器としての「鉄」はない。これがなければ戦は出来ぬ。国家が成り立たない。何が何でも、である。古い石器時代のような「石之日売命」、決して粗末に扱うことはないが時代が流れているのである。嫉妬に狂いながらも、彼女の行動は、何故か健気に感じられる…安万侶君の思惑通り、である。
邇邇芸命一派、すなわち天照大神系統、に不足する「鉄」調達成功物語は、記紀を通じての最大の関心事である。もう一つの系統、月読神系統は九州西部の支配及び朝鮮半島支配による「鉄」の調達に目途がある。邇邇芸命一派の最大の弱点でもあった。換言すれば月読神系統は朝鮮半島の情勢に大きく依存することになる。室伏志畔氏の幻想史学に期待するところである。
仁徳天皇紀は更に続いている。どうやら更なる獲物をゲットすることに成功したようであるが、今回はここまで…。
<2017.5.9 訂正と補足>
「企救半島」=「筑紫嶋」及び「古代海面について補足資料」
「大倭豊秋津嶋」=「貫山及び福智山山塊」
2017.11.15
仁徳天皇が詠った場所及び眺めた島々について再考。「淡嶋と淡道嶋」で記述。淡道嶋で立寄った場所は現在の下関市塩浜町にある岬と推定された。<追記>
(古事記新釈:仁徳天皇【説話】参照)
<2017.5.9 訂正と補足>
「企救半島」=「筑紫嶋」及び「古代海面について補足資料」
「大倭豊秋津嶋」=「貫山及び福智山山塊」
2017.11.15