2025年2月24日月曜日

【古事記】伊邪那岐神・伊邪那美神:神生み 〔712〕

【古事記】伊邪那岐神・伊邪那美神:神生み


古事記原文[武田祐吉訳]…、

既生國竟、更生神。故、生神名、大事忍男神、次生石土毘古神訓石云伊波、亦毘古二字以音。下效此也次生石巢比賣神、次生大戸日別神、次生天之吹男神、次生大屋毘古神、次生風木津別之忍男神訓風云加邪、訓木以音次生海神、名大綿津見神、次生水戸神、名速秋津日子神、次妹速秋津比賣神。自大事忍男神至秋津比賣神、幷十神。
此速秋津日子・速秋津比賣二神、因河海、持別而生神名、沫那藝神那藝二字以音、下效此次沫那美神那美二字以音、下效此次頰那藝神、次頰那美神、次天之水分神訓分云久麻理下效此次國之水分神、次天之久比奢母智神自久以下五字以音、下效此次國之久比奢母智神。自沫那藝神至國之久比奢母智神、幷八神。
次生風神・名志那都比古神此神名以音次生木神・名久久能智神此神名以音、次生山神・名大山津見神、次生野神・名鹿屋野比賣神、亦名謂野椎神。自志那都比古神至野椎、幷四神。
此大山津見神・野椎神二神、因山野、持別而生神名、天之狹土神訓土云豆知、下效此、次國之狹土神、次天之狹霧神、次國之狹霧神、次天之闇戸神、次國之闇戸神、次大戸惑子神訓惑云麻刀比、下效此、次大戸惑女神。自天之狹土神至大戸惑女神、幷八神也。
次生神名、鳥之石楠船神、亦名謂天鳥船。次生大宜都比賣神。此神名以音。次生火之夜藝速男神夜藝二字以音亦名謂火之炫毘古神、亦名謂火之迦具土神。迦具二字以音因生此子、美蕃登此三字以音見炙而病臥在。多具理邇此四字以音生神名、金山毘古神訓金云迦那、下效此次金山毘賣神。次於屎成神名、波邇夜須毘古神此神名以音次波邇夜須毘賣神。此神名亦以音。次於尿成神名、彌都波能賣神、次和久巢日神、此神之子、謂豐宇氣毘賣神。自宇以下四字以音。故、伊邪那美神者、因生火神、遂神避坐也。自天鳥船至豐宇氣毘賣神、幷八神。
[このように國々を生み終つて、更に神々をお生みになりました。そのお生み遊ばされた神樣の御名はまずオホコトオシヲの神、次にイハツチ彦の神、次にイハス姫の神、次にオホトヒワケの神、次にアメノフキヲの神、次にオホヤ彦の神、次にカザモツワケノオシヲの神をお生みになりました。次に海の神のオホワタツミの神をお生みになり、次に水戸の神のハヤアキツ彦の神とハヤアキツ姫の神とをお生みになりました。オホコトオシヲの神からアキツ姫の神まで合わせて十神です
このハヤアキツ彦とハヤアキツ姫の御二方が河と海とでそれぞれに分けてお生みになつた神の名は、アワナギの神・アワナミの神・ツラナギの神・ツラナミの神・アメノミクマリの神・クニノミクマリの神・アメノクヒザモチの神・クニノクヒザモチの神であります。アワナギの神からクニノクヒザモチの神まで合わせて八神です
次にお生みになつた神の名はトリノイハクスブネの神、この神はまたの名を天の鳥船といいます。次にオホゲツ姫の神をお生みになり、次にホノヤギハヤヲの神、またの名をホノカガ彦の神、またの名をホノカグツチの神といいます。この子をお生みになつたためにイザナミの命は御陰が燒かれて御病氣になりました。その嘔吐でできた神の名はカナヤマ彦の神とカナヤマ姫の神、屎でできた神の名はハニヤス彦の神とハニヤス姫の神、小便でできた神の名はミツハノメの神とワクムスビの神です。この神の子はトヨウケ姫の神といいます。かような次第でイザナミの命は火の神をお生みになつたために遂にお隱れになりました。天の鳥船からトヨウケ姫の神まで合わせて八神です]

別天神五柱神・神世七代の神々は、伊伎嶋、現在の壱岐島の地を居処としていたことが読み解くことができた。そして最後に現れた伊邪那岐神・伊邪那美神が大八嶋國及び六嶋を誕生させ、その嶋(國)々は、現在の対馬海峡及び玄界灘・響灘に浮かぶ島々、また取り囲む地であると読み解いた。

古事記は、更に伊邪那岐神・伊邪那美神が神々を誕生させた記載する。即ち、子孫繁栄の物語へと進むのである。

大事忍男神 伊邪那岐神・伊邪那美神から生まれた最初の神である。初見の文字である「事」=「神に仕えること、捧げること」が原義のようであるが、「真っ直ぐに立つ様」を象形した文字と知られている。地形象形的には、そのままの用いていると思われる。

他の文字の解釈は前記と同様にして、大事忍男神=平らな頂(大)の麓で真っ直ぐに立っている山稜(事)がギザギザとした谷間(忍)で[男]の形をしているところの神と紐解ける。「伊邪那美神」の北側の谷間に坐した神と述べている。

石土毘古神・石巢比賣神 「石」=「厂+囗」=「山麓で小高くなっている様」と解釈するが、「訓土云伊波」と注記されている。伊波=谷間で区切られた山稜が水辺で覆い被さるように延び広がっているところと解釈される。勿論「石」の地形であるが、より詳細な表記となっている。

<大事忍男神・石土毘古神・石巢比賣神>
<大戸日別神・天之吹男神>
「土」=「盛り上がっている様」と解説されている。地形象形としても、そのまま用いていると思われる。

「毘古」については、前記で少し述べたが、あらためて読み解いておこう。「比古」=「丸く小高い地がくっ付いているところ」と解釈した。

「毘」=「囟+比」と分解され、「毘古」=「窪んだ地に丸く小高い地がくっ付いているところ」と読み解ける。

同様にして、下記で登場する「毘賣」=「窪んだ地に奥まった小ぶりな谷間がくっ付いているところ」と解釈される。男女の表現と重ねられていることが解る。

纏めると、石土毘古神=谷間で区切られて(伊)水辺で覆い被さるように広がり(波)盛り上がっている(土)山稜にある丸く小高い地(古)が窪んだ地にくっ付いている(毘)ところの神と紐解ける。また、石巢比賣神=[伊波]にある[巢]のような地にくっ付いている奥まった小ぶりな谷間のところの神と紐解ける。各々の居処を図に示した場所に求めることができる。

大戸日別神 既出の文字列であることから、大戸日別神=平らな頂の山稜(大)が戸になっている地で太陽のような山稜(日)が別けているところの神と紐解ける。「石巢比賣神」の西隣の場所の地形を表していると思われる。

天之吹男神 ここでの「天」=「阿麻」であろう。初見の文字である「吹」=「口+欠」=「口を大きく開けている様」と解説されている。地形象形的には「吹」=「谷間が大きく開いている様」となろうが、息を吹き出すならば、「吹」=「広がった谷間から小ぶりな山稜が延びている様」と読み解ける。

纏めると、天之吹男神=擦り潰されたような地(天)の広がった谷間から小ぶりな山稜が延び出た(吹)先が[男]のようになっているところの神と紐解ける。「伊邪那美神」の谷間の端に当たる場所を表していることが解る。

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大屋毘古神 既出の文字列である大屋毘古神=平らな頂の山稜(大)が延び至っている(屋)地が窪んで丸く小高い地にくっ付いている(毘古)ところの神と紐解ける。「天之吹男神」の南側で延びる山稜の端の場所の地形を表している。
 
風木津別之忍男神 これはそのまま文字通りに解釈することに躊躇するのであるが、後に「神:志那都比古神」と「神:久久能智神」が誕生する。この二神の詳細は下記するとして、初見の「風」=「凡+虫」と分解して「風・木」が表す場所を求めてみよう。

地形象形表記としては、「風」=「[凡]の形の谷間に山稜が細かく突き出ている様」、「木」=「[木]のような様」と解釈すると、「風」、「木」が表す地形を図に示した場所に見出せる。「木」は、山稜が枝が張り出た木を横倒しにした形をしていると見做した表記であり、記紀・續紀と通じて用いられている地形象形表記である。

既出の「津」、「忍」、「男」のように解釈して、纏めると、風木津別の忍男神=[風]と[木]がくっ付いて並ぶ傍らにある水辺の[筆]のような山稜が別けるギザギザとした谷間で[男]のようなところの神と紐解ける。「大屋毘古神」の西側に当たる場所を表していることが解る。

<大屋毘古神・風木津別之忍男神・大綿津見神>
<速秋津日子神・速秋津比賣神>
<志那都比古神・久久能智神>
上記本文で「風」=「加邪」と記載されている。初見の「邪」=「牙+邑」と分解される。「牙が寄り集まっている様」を表すのである。

地形象形としては、「邪」=「山稜が細かく突き出てギザギザとしている様」となろう。加邪=押し開かれた谷間にある山稜が細かく突き出てギザギザとしているところと読み解ける。別表現として極めて適切なものであろう。

通説では、「石土毘古神」から「風木津別之忍男神」までの六神を「家宅六神」と呼ばれるとのことである。先ずは「家」が重要なのだと古事記が伝えているとの解釈である。六神中一部読み解けた神名が家屋に関連させられたに過ぎないのだが・・・。

海神:大綿津見神 次いで「海神」が生まれ、名を「大綿津見神」とある。初見の「綿」=「糸+帛」と分解される。更に「帛」=「白+巾」から成る文字である。白い布を表す文字であるが、地形象形的には、「帛」=「丸く小高い地から布が延びている様」を表すと解釈される。即ち「綿」=「山稜が延びた先に丸く小高い地がある様」と読み解ける。綿花の形そのものであろう。

「見」=「目+儿」と分解される。通常使われる意味は、容易に理解されそうであるが、地形象形は「目」=「谷間」として、「見」=「谷間が長く延びている様」と解釈する。纏めると、大綿津見神=平らな頂の山稜(大)が延びた先の丸く小高い地(綿)にある水辺の[筆]のような山稜(津)の麓で谷間が長く延びている(見)ところの神と紐解ける。

海神の「海」は初見の文字であり、この後も多用されている。前記で文字要素である「母」に関連して少し述べたが、海=氵+屮+母=水辺で母が子を抱くように山稜が延びている様と解釈される。図に示したように、「綿」の丸く小高い地の「母」の地形があることが確認される。

水戸神:速秋津日子神・速秋津比賣神 初見の文字を解釈すると、「速」=「辶+束」と分解され、地形象形として、「速」=「延び出た山稜を束ねる様」となる。前記の「豐秋津嶋」の「秋津」と合わせると、速秋津=[稲穂]のような山稜が[火]のように広がり延びた麓で水辺で[筆]のように延びている山稜を束ねているところと読み解ける。その地形を図に示した場所に見出せる。「海神」の西側に当たる。

速秋津日子神=[速秋津]で[太陽]のような地から生え出たところの神速秋津比賣神=[速秋津]で貝のような谷間がくっ付いているところの神と紐解ける。二神の居処を図に示した。水戸神水戸=水辺で山稜が戸のようになっているところの神と解釈され、「速秋津」の別表現であろう。

風神:志那都比古神 既出の文字列である志那都比古神=蛇行する川が流れる(志)しなやかに曲がって延びて(那)交差して集まる(都)谷間に丸く小高い地がくっ付いている(比古)ところの神と紐解ける。上記したように風神風=山稜が細かく突き出ている[凡]の形の谷間の神と読み解ける。図に示した谷間の形を表している。

木神:久久能智神 同様に既出の文字列である久久能智神=[く]の形に曲がる山稜が並んでいる(久久)地の隅(能)に[鏃]と[日(炎)]の山稜(智)が延びているところの神と紐解ける。木神については、「久久能智」が表す地形を、上記したように「木」と表現したのである。

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水戸神:速秋津日子・速秋津比賣二神が生んだ神々に関する記述が続く。

沫那藝神・沫那美神 二神に共通する「沫那」の「沫」は初見であり、文字解釈を行うと、「沫」=「氵+末」と分解され、「アワ・シブキ」を意味する文字と知られている。地形象形として、「沫」=「山稜の末端が水辺に延びている様」と解釈する。沫那=山稜の末端が水辺にしなやかに延びているところと読み解ける。

同じく初見の「藝」=「艸+埶+云」と分解される。更に「埶」=「坴(屮+六+土)+丮」から成る文字と知られている。「草が生え揃っている様」を表す文字であるが、地形象形として、「藝」=「山稜が細かく揃って延び出ている様」と解釈される。

纏めると、沫那藝神=[沫那]の地で山稜が細かく揃って延び出ているところの神沫那美神=[沫那]の地で谷間が広がっているところの神と紐解ける。その地形を「水戸神」の対岸に求めることができる。彼等は現在の谷江川河口に蔓延ったことを伝えているのである。

<沫那藝神・沫那美神・頬那藝神・頬那美神>
<天之水分神・國之水分神>
<天之久比奢母智神・國之久比奢母智神>
頰那藝神頰那美神 二神に共通する「頬那」の「頬」は初見の文字であり、「頬」=「夾+頁」と分解される。「頁」=「人の頭」を象形した文字と知られている。

地形象形としては「頁」=「丸味を帯び平らな様」と解釈し、「頬」=「丸味を帯びた平らな地が挟むように広がっている様」と読む解ける。

即ち、頬那=丸味を帯びた平らな地が挟むように広がった山稜がしなやかに延びているところと読み解ける。

纏めると、頬那藝神=[頬那]の地に山稜が細かく揃って延び出ているところの神頬那美神=[頬那]の地で谷間が広がっているところの神と紐解ける。図に示した場所が二神の居処と推定される。

天之水分神・國之水分神 「水分」=「水を配る」の意であろう。地形的には水分=川が分かれているところと解釈される。注釈に「訓分云久麻理」と記載されている。そのまま読み下せば、久麻理=[く]の形した擦り潰されたような山稜が区分けしているところと読み解ける。

「水分」では一に特定することが叶わないが、注釈によって、図に示した場所が二神の居処とすることできる。「天」=「阿麻」、「國」=「取り囲まれた様」である。

天之久比奢母智神・國之久比奢母智神 「久比奢母智」に初見の文字は「奢」のみである。文字構成は「奢」=「大+者」=「平らな頂の山稜が交差するように延びている様」と解釈される。表す地形は、明瞭であろう。

即ち、久比奢母智=[く]の形に延びる平らな頂の山稜がくっ付いて母が子を抱くような地となった先に[鏃]と[炎]のような山稜が延び出ているところと紐解ける。「天」、「國」は、上記と同様として、二神の居処は図に示した場所と推定される。

従来では「久比奢母智」が難解のようである。一説には「瓢箪」のこととあり、水を取り扱うのに柄杓として瓢箪を使ったことに由来するとされる。その他の解釈は殆ど見当たらないようでもある。この解釈では「神」とするには無理があろうし、最後の「智」が引っ掛かるのである。

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山神:大山津見神 「山」の文字は、この神名で初めて登場する。通常の”山”で用いられているのではなく、「山」=「[山]の文字形に山稜が延びている様」と解釈する。記紀・續紀で通じての用法なのである。「大山」=「大きな山」としては、全く読み下すことは叶わない。

纏めると、大山津見神=平らな頂の山稜(大)が[山]の形に延びている地(山)で水辺にある[筆]のような山稜(津)の麓で谷間が長く延びている(見)ところの神と紐解ける。図に示した場所が居処と推定される。山神は、そのまま受け入れられるであろう。

野神:鹿屋野比賣神 「鹿」の文字は、この神名で初めて登場する。「山」ほどではないが、それなりに用いられている。「鹿」=「山稜が鹿の角のように延びている様」と解釈する。即ち、鹿屋野比賣神=鹿の角のように山稜が延び至った先の野が広がり谷間がくっ付いているところの神と紐解ける。野神は、そのまま受け入れられるであろう。

別名の野椎神の「椎」は初見の文字であり、「椎」=「木+隹」と分解される。「隹」=「ずんぐりとした鳥」の象形であるが、文字形から「段々に積み重なっている様」を表わしている。地形は、「椎」=「山稜が段々に積み重なっている様」と解釈される。

また、「背骨の形」(脊椎)と解釈することも可であろう。野椎神=(背骨のように)山稜が段々に積み重なっている地の前で野が広がっているところの神と紐解ける。図に示した場所が居処と推定される。

続いて「大山津見神」と「鹿屋野比賣神」とが更に神を誕生させたと記述している。

天之狹土神・國之狹土神 「土」については、「訓土云豆知」と注記されている。「盛り上がった様」なのだが、「豆知」=「高台が[鏃]の形をしているところ」と読み解ける。即ち、狭土神=細長く[豆知]の形をしたところの神と紐解ける。「椎」の地で探すと、図に示した場所が見出せる。「天」、「國」は、上記と同様に解釈されるであろう。

<大山津見神・鹿屋野比賣神>
<天之狹土神・國之狹土神>
<天之狹霧神・國之狹霧神>
<天之闇戸神・國之闇戸神>
<大戸惑子神・大戸惑女神>
天之狹霧神・國之狹霧神 「霧」は、勿論、初見であり、この後に幾度か用いられているが、地形を表す表記としては希少である。

文字解釈は、「霧」=「雨+矛+攴」と分解される。この文字要素から通常の意味を導くのも、些か厄介な文字のようでもある。

地形象形表記としては、「霧」=「覆い被さるように延びる(雨)山稜を突き通すように(矛)別ける(攴)様」と読み解ける。

すると、狭霧神=覆い被さるように延びる山稜が突き通すように狭く別けられているところの神と紐解ける。どうやら、切通しの谷間の地形を表しているように思われる。その地形を図に示した場所に見出せる。「天」、「國」は上記と同様に解釈されるであろう。

天之闇戸神・國之闇戸神 初見の「闇」の文字解釈を行うと、「闇」=「門+音」と分解する。「音」は、前出の意富斗の「意」に含まれていた。「音」=「閉じ込められた様と読み解いた。纏めると「闇」=「山稜に挟まれた奥に閉じ込められている様」と読み解ける。

すると、闇戸神=山稜が[戸]の形をしている前にある[門]のような山稜に挟まれた奥に閉じ込められているところの神と紐解ける。図に示した場所が、その地形を表していると思われる。「天」、「國」は上記と同様に解釈されるであろう。

『門・戸』 「門」は両開きの「戸」を象っていると解説されるが、「門戸」と表記されることから「門」及び「戸」の解釈はもう少し丁寧に読み解く必要があるかと思われる。

「門」は「家の囲いに設けられた出入口」であって、その全体をも意味するように使われている。家筋、一族、一門など、何らかの核を中心に一纏めにしたものを表す文字となっている。地形象形的に解釈すると「門」は、出入口から中心に辿り着くまでの通路を含めた文字と読み解ける。一方の「戸」は出入口そのものを示していると思われる。

古事記は「門」と「戸」を明確に区別して用いていると思われる。後に「穴門」と「穴戸」の文字が出現する。通説は、勿論、簡単に置換えて、同一場所を示すと解釈する。川の流れの途中で狭まったところは「瀬戸」である。「瀬」が「穴」のように極度に狭いところを「穴戸」と表記するのである。川の流れの途中に”核を中心”としたものはないであろう。

大戸惑子神・大戸惑女神 初見の「惑」=「囗+一+戈+心」と分解される。通常の意味は抽象的なのであるが、「心」以外の文字の構成は具象的である。言い換えれば、漢字は具象的なもので抽象的な表現を行う文字なのである。また、”静”で”動”を表すとも言える。それはそれとして、惑=囲まれた地に[戈]のような山稜が延びている様と読み解ける。

「大戸」の「戸」は、上記の「闇戸」の「戸」を表すと思われる。すると、大戸惑子神=[戸]の形の平らな頂の山稜にある[惑]から生え出た(子)ところの神大戸惑女神=[戸]の形の平らな頂の山稜にある[惑]の[女]のようなところの神と紐解ける。各々の居処を図に示した。

注記で「訓惑云麻刀比」と記載されている。麻刀比=擦り潰されたような(麻)山稜が[刀]の形に延びて並んでいる(比)ところと読み解ける。まさに「惑」の別表記であろう。

「大山津見神」と「野椎神」は、山塊にある地形の細部に関わる場所の神々を生んだ、と解釈することも可であろう。特に山稜に挟まれ山並みの隙間を活用した地形、洞穴、切通し、隧道そして彼らにとって重要な「斗」の山裾の野など、実にきめ細やかな記述と思われる。「惑子」…通説では迷い子の神格化…確かに古事記は奇想天外で神話ムード一杯の読み物・・・古事記がそうなのではなく読者が迷い子なのである。

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鳥之石楠船神 「鳥のようにはやく、石のように堅固な楠(くすのき)の船を意味する」と言われていて、なるほどと感心していては、古事記は読めない。ここで初登場なのが、「楠」の文字であり、その解釈を行ってみよう。

「楠」=「木+南」と分解される。「南」の文字要素については、諸説があって未だ定まらずのようであるが、「南」=「屮+八+干」と分解してみる。地形としては、「南」=「広がった谷間(屮+八)の真ん中から延び出た山稜の端が二つに岐れている(干)様」と読み解ける。

纏めると、鳥之石楠船神=[鳥]の形をした山稜にある[石]の文字形の地の麓に広がった谷間の真ん中から延び出た山稜の端が二つに岐れて(楠)船のようになっているところの神と紐解ける。

「鳥」は、鳥の形そのものを表すとして、現在の壱岐市勝本町辺りを探索すると、前記の天之御中主神の東側、神岳の北側に、その地形を見出せる。現地名は同町新城西触である。更に「鳥」の「首・胴部」の地形が「石」の文字形を表していることが解り、加えて「鳥」の「頭部」にぶら下るように「船」の形の山稜が延びていることが認められる(現在の航空写真を参照、こちら)。

別名である天鳥船=鳥の頭部(天)の下にある船のようなところと読み解ける。「天之」と記載されていない。即ち、「天」=「阿麻」ではなく、「訓天如天」である。「天空を駆け巡る鳥のような船」、”神話風”に読ませているのである。後に出雲に現れる船である。

大宜都比賣神 全く同一の文字列が粟國の謂れにあった(こちら参照)。大宜都比賣神=平らな頂の山稜に挟まれて段々になった谷間が交差する地で奥から延び出た谷間がくっ付いているところの神である。図に示した場所が居処と推定される。

火之夜藝速男神 全て既出の文字列であり、火之夜藝速男神=[火]の形をした山稜の麓にある端が三角州になった山稜で二つに岐れた谷間(夜)の先で細かく岐れている地(藝)を束ねる(速)[男]のような山稜が延びているところの神と紐解ける。図に示した場所にその地形を見出せる。

別名の火之炫毘古神火之迦具土神については、「火之」は上記と同様として、炫毘古神=[火]がゆらゆらと延びた()窪んだ地に丸く小高い山稜がくっ付いている(毘古)ところの神迦具土神=[鼎]のような窪んだ地(具)と[鏃]のような高台(土)が出会っている(迦)ところの神と紐解ける。

<鳥之石楠船神・大宜都比賣神・火之夜藝速男神>
<金山毘古神・金山毘賣神>
<波邇夜須毘古神・波邇夜須毘賣神>
<彌都波能賣神・和久產巢日神・豐宇氣賣神>
金山毘古神・金山毘賣神 「金」の文字は初見である。「金」の文字解釈は些か難解であるが、「金」=「△+ハ+土」と分解する。

地形としては、「金」=「盛り上がった地が三角に尖って広がっている様」と解釈される。

注記で「訓金云迦那」と記載されている。迦那=しなやかに曲がる地が出会う様となり、三角の形を示す表記と思われる。

金山=[山]の形に延びる山稜の前が三角に尖っているところと読み解ける。纏めると、金山毘古神=[金山]の山稜にある窪んだ地にくっ付いている丸く小高いところ金山毘賣神=[金山]の山稜にある窪んだ地にくっ付いている奥まった小ぶりな谷間のところと紐解ける。各々の居処を図に示した。
 
波邇夜須毘古神・波邇夜須毘賣神 全て既出の文字列であり、また、「毘古神・毘賣神」は、上記と同じである。と言うことで、波邇夜須=覆い被さるように延び広がって端が三角州になった山稜で二つに岐れた谷間(夜)が州になっているところと読み解ける。図に示した場所が二神の居処と推定される。

詳細は、毘古神=[波邇夜須]にある窪んだ地にくっ付いた丸く小高いところ毘賣神=[波邇夜須]にある窪んだ地にくっ付いている奥まった小ぶりな谷間のところと紐解ける。

彌都波能賣神 用いられている文字では「彌」が初見である。「彌」=「弓+爾」と分解すると、「邇」に類似して、「彌」=「弓なりに延び広がっている様」と解釈される。纏めると、彌都波能賣=弓なりに延び広がって(彌)交差する(都)山稜が覆い被さるように広がった(波)地の隅(能)に奥まった小ぶりな谷間(賣)のところの神と紐解ける。図に示した場所が居処と推定される。

和久產巢日神・豐宇氣毘賣神 既出の文字列の和久產巢日神=太陽のような山稜(日)の前にあるしなやかに曲がる山稜(和)と[く]の形に曲がる山稜(久)が交差する麓で生え出た(産)[巢]のようなところの神と紐解ける。図に示した場所の地形を表していることが解る。

「和久產巢日神」の子である豐宇氣毘賣神=段々になった高台(豐)が山稜に挟まれた谷間からゆらゆらと(氣)延び出ている(宇)麓の窪んだ地にくっ付いている(毘)奥まった小ぶりな谷間(賣)のところの神と紐解ける。

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「伊邪那美神者、因生火神、遂神避坐也」と記載されている。そして、怒り狂った「於是伊邪那岐命、拔所御佩之十拳劒、斬其子迦具土神之頸」となり、そこから次々と神が生まれたと物語は続くようである。