2019年2月19日火曜日

沙本毘賣命(佐波遲比賣命):品牟都和氣命(本牟智和氣命) 〔319〕

沙本毘賣命(佐波遲比賣命):品牟都和氣命(本牟智和氣命)


開化天皇の御子、日子坐王が春日建國勝戸賣之女・名沙本之大闇見戸賣を娶って誕生したのが、「沙本毘古王、次袁邪本王、次沙本毘賣命・亦名佐波遲比賣(爲伊久米天皇之后)」と記述される。そして伊久米天皇に対する沙本毘古王の謀反を沙本毘賣命が告知して、この兄妹は命を落とすことになる。

不幸なことにその時点で沙本毘賣は天皇御子を身籠っており、結局その御子のみが生き永らえたという、真に悲哀な物語が記載されている。悲しい運命を背負った御子なのであるが、彼が主人公となる説話もそれなりの長さで語られるのである。詳細はこちらを参照願うとして、御子の名前について、詳細に紐解いてみようかと思う

古事記原文…、

伊久米伊理毘古伊佐知命、坐師木玉垣宮、治天下也。此天皇、娶沙本毘古命之妹・佐波遲比賣命、生御子、品牟都和氣命。一柱。

記述の様式に従って、その名前「品牟都和氣命(ホムツワケノミコト)」が最初に登場する。その後、謀反の件の記述の後に沙本毘賣が御子を天皇に預けるところで「凡子名必母名」なのであるが、まだ名付けられておらず、天皇に任せるという流れになる。

古事記原文[武田祐吉訳]…、

亦天皇、命詔其后言「凡子名必母名、何稱是子之御名。」爾答白「今當火燒稻城之時而火中所生、故其御名宜稱本牟智和氣御子。」又命詔「何爲日足奉。」答白「取御母、定大湯坐・若湯坐、宜日足奉。」故、隨其后白以日足奉也。又問其后曰「汝所堅之美豆能小佩者、誰解。」美豆能三字以音也。答白「旦波比古多多須美智宇斯王之女、名兄比賣、弟比賣、茲二女王、淨公民、故宜使也。」然、遂殺其沙本比古王、其伊呂妹亦從也。
[また天皇がその皇后に仰せられるには、「すべて子の名は母が附けるものであるが、この御子の名前を何としたらよかろうか」と仰せられました。そこでお答え申し上げるには、「今稻の城を燒く時に炎の中でお生まれになりましたから、その御子のお名前はホムチワケの御子とお附け申しましよう」と申しました。また「どのようにしてお育て申そうか」と仰せられましたところ、「乳母を定め御養育掛りをきめて御養育申し上げましよう」と申しました。依つてその皇后の申されたようにお育て申しました。またその皇后に「あなたの結び堅めた衣の紐は誰が解くべきであるか」とお尋ねになりましたから、「丹波のヒコタタスミチノウシの王の女の兄姫えひめ・弟姫おとひめという二人の女王は、淨らかな民でありますからお使い遊ばしませ」と申しました。かくて遂にそのサホ彦の王を討たれた時に、皇后も共にお隱れになりました]

「汝所堅之美豆能小佩者、誰解。」なかなかの言い回し。流石に天皇、着替えも従者がする。もっと意味深く、后は心得て対応する。しかし、シナリオを后に喋らさせるという小賢しい設定でもある。

御子は「本牟智和氣(ホムチワケ)」と名付けられたと伝える。上記の品牟都和氣命(ホムツワケノミコト)」とは微妙に異なるが「ホム」の語幹があっていることで先に話を進めよう。さて、その由来は何と解する?…「火中所生」の「火=ホムラ」と掛けられていることは判るが…、
 
本(沙本)|牟(奪う)|智(火の傍らで得る)

…「沙本を奪って火の傍らで得た」和気のような感じであろうか・・・些かゴリ押しの感がある。「智」=「知(得る)+日(火)」と解釈する。通うじないわけでもないようであるが、やはり真面目に地形象形しているのではなかろうか・・・。


<本牟智和氣>
「本」=「沙本」で「沙の麓」を表すことに変わりはなく、「牟」=「[牟]の地形」を象ったものであろう。

「智」=「知+日」と分解され、更に「知」=「矢+口」と粉々にする。

これも既に幾度か行った分解である。和知都美命などに含まれていた。

すると「日(炎)」と「矢口(鏃)」の地形があるところを示すと紐解ける。

後にこの地に智奴王が坐した場所と比定することになる。本牟智和氣が古事記に登場するのは垂仁天皇紀以降には見当たらないようである。

必要なところを繋ぐと…、
 
沙本の[牟]の形の地にある[炎]と[鏃]の地形

…の和氣(嫋やかに曲がった様子の地)と紐解ける。母親の沙本毘賣命の許にあって、真に御子の出自の場所を丁寧に表す名前であることが解る。

では「品牟都和氣命」は?…、
 
品(段差)|牟([牟]の地形)|都(集まる)

<師木登美豐朝倉曙立王>
…「段差の地と[牟]の形の地が集まるところ」と紐解ける。全く矛盾のない地形象形であろう。

御子の出雲行幸に随行した曙立王は師木登美豐朝倉曙立王報償される。これに含まれる「豐」=「段差の高台」を示す。実に丁寧に重ねた表現と思われる。

「沙本」一族は霧散することになった。それは天皇に反旗を翻したのだから当然の結果であろう。

ただ一族は場所を変えるなり、何らかの変遷を経て生き延びたようである。

この御子は名前を変え、そして信頼できる臣下である曙立王の庇護の下で暮らすことになったのであろう。大物主大神の祟りから解き放たれて安穏に暮らせたのか、どうかは知る由もないのだが・・・。