2019年1月21日月曜日

古事記の『櫻』:櫻井臣・櫻井田部・若櫻宮 〔308〕

古事記の『櫻』:櫻井臣・櫻井田部・若櫻宮


古事記中に決して頻度高くはないが「櫻」の文字が登場する。勿論「桜」ではない。何となく「サ・クラ」として「谷間を佐る(より良い状態にする)」と読んで来たが、些か曖昧な表記のような感じであった。やはり、もっと直截的に表現していると思われる。

そこで登場する文字列を並べて解読することにした。挙げた例は「櫻井臣・櫻井田部・若櫻宮」である。


櫻井臣

古事記原文…、

此建內宿禰之子、幷九。男七、女二。・・・<中略>・・・次蘇賀石河宿禰者、蘇我臣、川邊臣、田中臣、高向臣、小治田臣、櫻井臣、岸田臣等之祖也。

大倭根子日子國玖琉命(孝元天皇)の御子、建内宿禰の多くの後裔達、その中の蘇賀石河宿禰が祖となった臣の一人に「櫻井臣」の記述が見られる。蘇賀の地、また他の祖となったところは下図に纏めて示した。詳細はこちらを参照願う。


<蘇賀石河宿禰>
間違いなく「櫻井」の場所は、「井」の文字が表す意味から、図に示したところと思われる。

しかしながら、「櫻」は一体何を告げようとしているのか?…文字の分解から行ってみよう。

「川邉」の「邊」=「広がった、延びた端」と解説される。川(石河:現白川)が海に注ぐところを示すと思われる。

「田中」は谷間の真ん中辺りの最も田の豊かなところであろう(下図<蘇賀石河宿禰>参照)。

少々ややこしいのが「櫻井」?…幾度か登場する地名なのであるが、しかも例によって唐突に・・・。

「櫻」の文字、そのものでは如何ともし難く・・・「櫻」=「木+貝+貝+女」と徹底的に分解してみる。

「貝」=「谷間に並ぶ田」の象形と紐解ける。「木貝貝」は…「山稜が作る二つの谷間に田を並べたところ」と紐解ける。それに「井」が加わると…、
 
櫻(二つの谷間に田を並べる)|井(井:池)

<櫻井臣>
…「池の傍らで二つの谷間に田を並べたところ」と解読される。「貝貝」の下に「女」が付加される。

「女」=「女性の身体」を模していると解釈できる。特徴的な二つの谷間が寄集っている地形を表す表記と思われる。

山稜が作る字形の地の窪んだところが池になっている様を模した、と思われる。古事記らしいと言ってしまえばそれまでだが・・・。

当時の「井」は、現在の苅田町山口にあるダムとの形状的な相違は否めないが、それに関わらずに「櫻」と比定することが可能と思われる。


何とも都合の良い漢字を引っ張り出したものである。歴史に名を刻んだ「蘇我一族」の本貫の地、その頭は「櫻」の地形である。実に直截的な表現ではなかろうか。


櫻井田

古事記原文…、

品陀和氣命、坐輕嶋之明宮、治天下也。・・・<中略>・・・又娶櫻井田部連之祖嶋垂根之女・糸井比賣、生御子、速總別命。一柱。


品陀和氣命(応神天皇)の数ある娶った比賣の居場所の一つに「櫻井田部」がある。上記と同じ解釈で通じるのであろうか?…これも唐突に登場する地名であって、しかも上記ようにある程度の地域が示されているわけではない。
 
<櫻井田部嶋垂根・糸井比賣①>
天皇が坐した輕嶋之明宮を中心として、登場人物の名前を頼りに探索した。

すると、現在の田川郡糸田町南糸田辺りが浮かび上がって来るようである。その地に詳細な地形の適合性を確認することにした。
 
櫻井田の「櫻井」は上記の「櫻」=「木+貝+貝+女」=「池の傍らで二つの谷間に田を並べたところ」と解釈としてみると・・・、

細長い池(木実ヶ池)が山稜に挟まれ、そこから二つの谷が広がる地形であることが見出せる。

上記の「櫻井」と異なるのは、その広がった谷間に田が連なっている様相を示している。これが「田」が付加された所以であろう。

「櫻井田部」は…
 
櫻(二つの谷間に田を並べる)|井(井:池)|田|部(地)
 
…「池の傍らで二つの谷間に並べた田を更に拡げたところ」を意味していると解釈される。更に地表の凹凸が見えるように地図を置換えると、複数の山稜が寄集っているが、「櫻井」の解釈に合致するところであることが確認できる。


<櫻井田部嶋垂根・糸井比賣②>
「嶋垂根」の「垂根」が池の存在を示しているが、それに加えて、「嶋」=「山+鳥」、少々地形が崩れてはいるが、「鳥」の姿が伺える。

この地の山稜に烏尾峠という地名がある。関連するかどうかは不明だが、鳥に関わる地名のように思われる。

比賣の名前に含まれる「糸井」は…、
 
撚り糸の形の池

…と解釈すると、図の木実ヶ池の近傍に坐していた比賣だったのであろう。

地名が糸田であり、上記の烏尾峠も併せて残存の地名である確度が高いように見受けられる。

御子が「速總別命」とある。「速」=「辶+束」と分解して…、
 
速(束ねる)|總(集める)|別(地)
 
…「水源からの水を集めて束ねる地」の命と読み解ける。二つの谷間から流れる川が泌川(タギリガワ)に合流する。その地形を表しているのではなかろうか。

速總(ハヤブサ)」と読むと、祖父に「鳥」が含まれていることを、あらためて告げているような命名である。山鳥に勝る隼であったのかどうかは不詳である。いきなりの「櫻井田」では特定は困難であるが、御子達の名前を紐解くことによって確からしさが検証されたようである。

若櫻宮

<伊波禮の宮>
古事記原文…、

子、伊邪本和氣命、坐伊波禮之若櫻宮、治天下也。

伊邪本和氣命(履中天皇)が坐した伊波禮の地の「若櫻」である。今度は「井」が付かない。

伊波禮は神倭伊波禮毘古命が坐した、由緒ある地である。図を再掲する。

既に比定した場所を示しているが、「若櫻」の表記と如何に繋がるかであろう。

上記と同様に「櫻」=「木+貝+貝+女」=「池の傍らで二つの谷間に田を並べたところ」と解釈すると…、
 
若(少しばかり)|櫻(二つの谷間に田を並べたところ)


…と紐解ける。

大河の金辺川と呉川が作る「貝」である。この二つの谷間が合流する近傍であると解る。

この地も見事に「櫻」の「女」を表している。そこに「井」がなかった。と言うか、おそらく当時はかなり大きく広い範囲の「津」の場所であったと思われる。

「若」の意味は、田を並べ始めた、という意味であろう。伊波禮の地であって呉川の谷間の入口付近と思われる。

現地名香春町鏡山と上高野との境界付近、下図中JR九州日田彦山線と国道201号線が交差する近隣と推定される。宮の在処は、おそらく上高野(大字高野)に含まれるところかと思われるが、不詳である。

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例示した三つの「櫻」は姿・形こそ違え、文字を構成する要素の求めるところを満たす地形であることが解った。まだまだ落ち毀れている文字もあろうが、弛まずに・・・。