2018年6月25日月曜日

木花知流比賣と木花之佐久夜毘賣 〔226〕

木花知流比賣と木花之佐久夜毘賣

古事記中に「木花」と付く比賣が人登場する。一人は速須佐之男命の御子、八嶋士奴美神が娶った比賣であり、もう一人は邇邇藝命が降臨後に見初めて娶った比賣である。二人の間に何らの関係もないのだが、勿論時代も大きく異なる、文字列としての類似性が気に掛かるところであろう。

通説は「花が散る」「花が咲く」と読んで物語の流れと併せて何とか理解しようと試みるのであるが、無理がある。それを重々承知していたのだが、何故か紐解き未達になっていた。という訳で、この二人の比賣の身体検査を根掘り葉掘りで行ってみようかと思う。

1. 木花知流比賣

速須佐之男命の御子、八嶋士奴美神が娶った大山津見神の比賣とあれば、出雲のいずれかに住まっていたと思われる。古事記が示すようにこの時代では天神達の行動範囲は限定的である。それを背景に「木花知流比賣」が示す意味を紐解くと…、
 
木(山稜)|花(端)|知(矢口)|流(広がる)

…「山稜の端が矢口の形をして延びて広がっている」ところの比賣と紐解ける。「知」=「矢+口」とし、弓矢の先、鏃の形をした地形と解釈である。既知の安萬侶コードで解読できることが判った。


<木花知流比賣>
出雲の地は長く延びる山稜があるところは南部に限られる。

現地名の北九州市門司区大里(旧の大字)の陰影起伏図で見ると一目で見出だせる。

「宇迦能山」(山の稜線が複数寄集っている様)から細長く延びた山稜である。

それにしても、見事な表記と言えるであろう。

と言うか、地形とは如何に興味深いものなのかと知らされる。

御子に「布波能母遲久奴須奴神」が誕生し、これも紐解けば…「母」=「両腕で抱える」象形を地形に適用して…、


布(斗の平地)|波(端)|母(挟まれる)|遲(治水された)|久奴(勹の形の野)|須奴(州の野)


<速須佐之男命系譜⑴>
…「出雲の端にあって山稜に挟まれ、治水された勹(く)の形の州がある野」の神となろう。

三つの深い谷間(門司区上藤松辺り)から流れ出る川が作る大きな州が形成されていたものと推測される。

図から分るように大きく川(村中川)が蛇行している様子が伺える。下流(河口)付近にまで達する州を形成していたのであろう。現地名は門司区藤松辺りである。

この図は極めて重要な意味を持つと考えられる。即ち櫛名田比賣の御子、八嶋士奴美神が娶ったのは神大市比賣の御子、大年神及び宇迦之御魂神に取り囲まれた場所だったのである。木花知流比賣も神大市比賣も共に大山津見神の比賣であるから血統は交錯している状況である。


<速須佐之男命系譜⑵>

既にこれらの系列の骨肉の争いが勃発したことを述べたが、そもそもの切っ掛けはこの配置にあったと推測される。

この好適立地な場所の争奪戦である。それを示すのが「布波能母遲久奴須奴神」の名前に刻まれた豊かな土地の有り様である。

如何なる諍いがあったのかは知る由もないが、「木花知流比賣」の系列は、御子が淤迦美神の比賣「日河比賣」を娶ることによって、再び肥河の畔に舞い戻ることになったと言う。そしてあろうことか、「天」にまで逆戻りをしてしまうのである。

「花が散る」の読み解きは正鵠を得ていたことが判る。いや、そう読めるように安萬侶くんは記述しているのである。八嶋士奴美神、木花知流比賣の系列は見事に散った。そしてこれが大国主命を使った弔い合戦に発展し、更に天皇家十代以上続くトラウマとなって行くのである。古事記の伝える真髄に関わる名前の比賣であったと思われる。

2. 木花之佐久夜毘賣

もう一人の比賣の話に移ろう。この比賣は名前は本来の名前の「神阿多都比賣」の別名と記される。既に紐解き済で詳細はこちらを参照願い、概略のみをのべることにする。また、説話の内容も参照する必要があるので、関連箇所のみ再掲する。

古事記原文[武田祐吉訳]…、

於是、天津日高日子番能邇邇藝能命、於笠紗御前、遇麗美人。爾問「誰女。」答白之「大山津見神之女、名神阿多都比賣此神名以音亦名謂木花之佐久夜毘賣。此五字以音。」又問「有汝之兄弟乎。」答白「我姉石長比賣在也。」爾詔「吾欲目合汝奈何。」答白「僕不得白、僕父大山津見神將白。」故乞遣其父大山津見神之時、大歡喜而、副其姉石長比賣、令持百取机代之物、奉出。故爾、其姉者、因甚凶醜、見畏而返送、唯留其弟木花之佐久夜毘賣、以一宿爲婚。
爾大山津見神、因返石長比賣而、大恥、白送言「我之女二並立奉由者、使石長比賣者、天神御子之命、雖雨零風吹、恒如石而、常堅不動坐。亦使木花之佐久夜毘賣者、如木花之榮榮坐、宇氣比弖自宇下四字以音貢進。此令返石長比賣而、獨留木花之佐久夜毘賣。故、天神御子之御壽者、木花之阿摩比能微此五字以音坐。」故是以至于今、天皇命等之御命不長也。
[さてヒコホノニニギの命は、カササの御埼みさきで美しい孃子おとめにお遇いになつて、「どなたの女子むすめごですか」とお尋ねになりました。そこで「わたくしはオホヤマツミの神の女むすめの木この花はなの咲さくや姫です」と申しました。また「兄弟がありますか」とお尋ねになつたところ、「姉に石長姫いわながひめがあります」と申し上げました。依つて仰せられるには、「あなたと結婚けつこんをしたいと思うが、どうですか」と仰せられますと、「わたくしは何とも申し上げられません。父のオホヤマツミの神が申し上げるでしよう」と申しました。依つてその父オホヤマツミの神にお求めになると、非常に喜んで姉の石長姫いわながひめを副えて、澤山の獻上物を持たせて奉たてまつりました。ところがその姉は大變醜かつたので恐れて返し送つて、妹の木の花の咲くや姫だけを留とめて一夜お寢やすみになりました。
しかるにオホヤマツミの神は石長姫をお返し遊ばされたのによつて、非常に恥じて申し送られたことは、「わたくしが二人を竝べて奉つたわけは、石長姫をお使いになると、天の神の御子みこの御壽命は雪が降り風が吹いても永久に石のように堅實においでになるであろう。また木の花の咲くや姫をお使いになれば、木の花の榮えるように榮えるであろうと誓言をたてて奉りました。しかるに今石長姫を返して木の花の咲くや姫を一人お留めなすつたから、天の神の御子の御壽命は、木の花のようにもろくおいでなさることでしよう」と申しました。こういう次第で、今日に至るまで天皇の御壽命が長くないのです]

物語の場所は笠沙御前、邇邇藝命が降臨したところで大山津見神の比賣…一体何人居るのか?…を見初めた、と始まる。神阿多都比賣」は…、
 
神(稻妻の山稜)|阿(台地)|多(三角州が数多くある)|都(集まる)

…「稲妻の山稜の傍らにある数多くの三角州が寄り集まっているところ」に坐す比賣と紐解ける。現地名は門司区大字黒川であるが、現住居表示は改名・細分化されているようである。

<神阿多都比賣(木花之佐久夜毘賣)>
これに合致する地形は北九州市門司区黒川東・西辺りと推定される。

図を参照願う。砂利山から延びた山稜を「神」と表現している。山間ではあるが阿多の中心地であったと告げているようである。

「都」は「みやこ」の意味も込められていると思われる。「津」ではなく「都」と表現するのは「川」のみに限られず様々に寄り集まった地を意味しているのであろう。

山に囲まれ、決して広くはないが自然環境に優れたところであり、当時の「都」となり得る地形と思われ、独自の文化が発生することが多いようである。


「阿多」が示す意味をしっかりと受け止めることが肝要かと思われる・・・と、ここまではほぼ前記に従っているのだが、別名には全く手を出さず、スルーしていたのである。

「木花之佐久夜毘賣」は何処を示しているのであろうか?…場所ではなく美しいことを強調した表現に過ぎない?…桜の花だとする説もあるが…、
 
木(山稜)|花(端)|之|佐(助くる)|久(勹の形)|夜(谷)

…「山稜の端にある勹(く)の形の谷をより良くする」毘賣(田を並べて生み出す)と紐解ける。「助くる」=「より良い状態にする」と解釈する。上図を参照すると真に珍しい谷の光景が示されている。古事記のランドマークにできそうである。

何のことはない、神阿多…は山稜に着目した命名、木花…はその山稜の端の特徴ある地形を模した表現であった。これによってこの比賣の居場所は確定的になったのである。ところが、この説話にもう一つの「木花」があった。

木花之阿摩比能

例によって姉妹が登場して「因甚凶醜、見畏而返送」となる。「木花」と「石」を対比した比喩はそれなりに面白いのだが・・・美しいもの、それに惹かれるのも常、と言いながら、美しくあることは移ろい易いものと述べている。時に関する概念は今と変わらない、がしかしそれを量的に表現するすべがなかったのであろう。少なくとも古事記が伝える伝承の範囲においては…。

また例によって天皇は醜いものを捨てるのだが、ここで父親の大山津見神の教えが述べられる。石(岩)は地味だが永遠に、花は一時の華やかさで両方あって満たされるものなのに天皇は一時のものを求めて永遠の時を捨てた。だから天皇には永遠というものはなくなってしまった、と述べる。

天神御子之御壽者、木花之阿摩比能微坐」が大山津見神の結論である。従来、この文意は解読不能とするか、無視するかである。何とか読んだのが「阿摩比(アマヒ)」=「甘い」として考えが足らないと解釈するとの例がある。これは大山津見神の文言の流れからの推測であろう。古事記は徹底的に単刀直入である。「木花」=「山稜の端の」…、

 
阿(台地)|摩(近接する)|比(並ぶ)|能(熊:隅)

…「山稜の端に近接して並ぶ台地の隅」と紐解ける。「木花(山稜の端)」なんかに拘ってると磨り減ってしまって、その台地に微(僅かに)座するのみだと言い放っているのである。

<高千穂宮>
岩(山全体を意味する)は変わらないが、その山稜の端は時と共に変化する。谷川はいつもと変わらずに穏やかに流れるわけではない。洪水を起こし、流れを変え、山の裾野は大きく変化する。

だから、「木花」は移ろい易いと述べている。いずれその台地はなくなってしまうかも知れない、それが「木花之佐久夜毘賣」だと…。

と、ここまで読み解いて来て、何故「比」なのか?…わざわざ付記するのか?・・・邇邇藝命が坐している場所を述べていると気付かされた。


図に示されるように降臨したところが日向の高千穂、その宮を現在の高倉神社辺りと推定して来た。今一度眺めると、その地は山稜の端の更に延びたところで、二つ並ぶ台地なのである。

「阿摩比能」と表現した。こんなところに今につながる天皇家の宮の場所を示す言葉が潜められていた。行きつ戻りつ、古事記の紐解きに振り回されるのだが、1,300年を一気に取り戻すことを思えば、些細なことか、と・・・。

「木花」に潜められた極秘情報、やはり安萬侶コードがなければ解読不能だったようである。高千穂宮に関連する情報は皆無かと思われたが、ここに眠っていた。いや、眠っていたのは古事記の読者ということになろうか。

ちょっと余談ぽくなるが、ついでに上記「日河比賣」の親である「淤迦美神」について一言・・・。
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「淤迦美神」=「龗神」として「雨をもたらす龍の神」とし、「龍」=「蛇行する川」の象形と紐解いた。それはそれで十分意味が通じるのであるが、何故それをこの文字列で表記したのか?…、

淤(泥が溜まった洲)|迦(増やす)|美(谷間の大地)
<羊>


…「谷間の大地で泥が溜まった洲を増やす」神と紐解ける。「美」=「羊+大」羊の甲骨文字を使って象形したものと解釈した。羊の上部の三角が山、下部が谷間を示すとする。安萬侶コード「美(谷間の大地)」を登録する。

文字列の意味は全く見事な表現と思われる。激しく蛇行する川が変曲するところで流速を落として洲を増やすのである。ちょっと出来過ぎの話しになるのだが、これらの表現が全てその謂れとすると頷けることとなる。検証するすべがないが、そんな気になる件である。