2017年9月19日火曜日

景行天皇:押別命・豊戸別王・大枝(江)王 〔099〕

景行天皇:押別命・豊戸別王・大枝()


景行天皇の御子の中で未だ紐解けていなかった御子達を纏めてみた。「妾之子」などと表現されるほど無数にいた様子である。ある意味正直な記述である。やはり古事記は史書などと堅苦しい肩書など外して当時の赤裸々な物語と捉えた方が適切なのであろうか…。だから地名、人名に潜む真実を、という訳である。

古事記原文…

娶八尺入日子命之女・八坂之入日賣命、生御子、若帶日子命、次五百木之入日子命、次押別命、次五百木之入日賣命。又妾之子、豐戸別王、次沼代郎女。…<中略>…又娶倭建命之曾孫・名須賣伊呂大中日子王之女・訶具漏比賣、生御子、大枝王。

八坂之入日賣命、妾之子及び倭建命之曾孫など多彩である。「八坂(=尺)」多くの神が助けてくれる場所、祇園を示すと紐解き「五百木」は「木」の地形象形で「伊豫国」と解釈した。その中に三名の御子が地名を背負っているように思われる。順に述べてみよう。

押別命


八坂之入日賣命の御子である。「八坂」は現在の福岡県北九州市八幡東区祇園辺りと解釈した。現在も残る八坂と祇園の関係が当時からのものであったと推察した。

八坂*=八(ヤ:八百万神)|(サ:佐=助ける・カ:処)

現在も残る祇園の地名に迷わず比定したが、傍証は見出せないでいた。「押別命」の「押別」を何と紐解けるか、八坂の傍証になれば幸いである。

「押」=「手+田」=「手を加えて田にする」

と紐解ける。現地名に残る「田」を探すと、新しい住居表示に惑わされることなく、洞海湾に面した東田、前田、藤田、田町という地名が連なっている。正に広大な稲作地帯を形成していたと推測される。この地は官営八幡製鉄が発祥し、世界遺産にも登録。西は三菱化学黒崎工場などなど、近代工業化の波が押し寄せた場所である。

孝安天皇(大倭帶日子國押人命)の「國押人」=「大地に手を加えて田にする人」に類似して最もらしい解釈になったと思われる。「八坂」の傍証が得られたのである。神が助くる処の前に「田」あり。自然の恵みに感謝する、その対象である諸々の神々が寄集っている場所、祇園であろう。


豊戸別王


久々に「豊」の登場である。豊国近辺で「戸」を求めるのであるが、現在までに随分と比定が済んできている。果たしてそんな地が残っているのであろうか?…いえ、大きな土地が空いていた。現在地名の行橋市、

彦徳(ケンドク)

である。平成筑豊田川線の豊津駅がある。隣接する地名、北が「矢留」、東南が「豊津」に挟まれた地域表示となっている。かつては広い範囲で「豊津」と呼ばれたところであったろう。旦波国の印色之入日子命が居た「錦」も含まれている。

「彦徳」は犀川が御所ヶ岳山稜東端の隙間を横切って流れ出るところに当たる。当時の「別」の広さを思い浮かべて特定した結果である。犀川河口付近にあって交通の要所であったと思われる。「妾之子」の後裔は記述されない。

大枝()


娶倭建命之曾孫と記述される。記述通りに読めば息子の曾孫を娶ることになる。違和感があってもあり得ないことではないような…安萬侶くんが伝えたかったことは「大」の系譜ではなかろうか。途中に登場する「淡海之柴野入杵之女・柴野比賣」淡海にある「大=出雲」の場所を端的に示す表現など・・・。

日本書紀の編纂者達にとっては「近江=出雲」とトンデモナイ記述になる。結果は削除した。古事記があからさまだと感じる所以であろう。いや、それはこの老いぼれが感じるだけで、まだまだ「暗号」の世界に埋没しているのであろう。

「大枝王」の母親は「須賣伊呂大中日子王之女・訶具漏比賣」で、倭建命(娶弟橘比賣命)→若建王(娶飯野眞黑比賣)→須賣伊呂大中日子王(娶柴野比賣)と繋がっている。殊更強調される「須賣伊呂」=「天皇と母方で血が繋がる」と解釈されるが、古事記記載だけでは不詳のようである。詳細を伏せたから強調したのかも…。

この訶具漏比賣誕生の詳細の段では「大江王」と記述される。同一人物の異なる表現、誤記ではない、らしい。何の目的?…きっと場所を知らせるために、であろう。「柴野比賣」の子であるから間違いなく「出雲」しかもその中心地に居たと推定できる。

「大江」は大きな入江を意味し既に特定した現在の、

北九州市門司区大里戸ノ上、黄金町辺り

を示すと思われる。「御大之御前」である。そして戸ノ上山からの山稜が延びるところでもある。これを「大枝」と表現しているのである。王子が居たところは現在の戸上神社辺りではなかろうか。

ひょっとすると「江」と「枝」の中間地点が該当するのかもしれない。安萬侶くんの戯れも考慮しないと・・・不確かだが現在の萩ヶ丘公園辺り(下図)かも、である。


…と、まぁ、解ければ納得の配置、なんですが・・・。
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八坂*

…「八百万の神の加護があるところ」と紐解いた

上記の解釈で場所の特定ができるようあるが、現存地名から求めただけでは何とも心もとなく思われる。


八(谷)|坂

…「谷の坂」とすると上記の「祇園」の背後に巨大な谷があることに気付かされる。急な傾斜面で多くの川が集まり麓に流れる古事記に度々登場する地形である。

確かに「八坂」と言えば当時の人々にとってはこの地以外には考えられないところのようである。


急な傾斜面で多くの川が集まり麓に流れる古事記に度々登場する地形である。確かに「八坂」と言えば当時の人々にとってはこの地以外には考えられないところのようである。「谷坂(ヤサカ)」↔「八坂(ヤ・サ・カ)」↔「祇園」と繋げたのであろう。(2018.05.14)
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