2017年4月24日月曜日

常陸国風土記の『筑波山』〔027〕

常陸国風土記の『筑波山』

記で「筑波」=「紀氏国」=「吉志国」であることがわかった。それを記す「常陸国風土記」には更なる記述が見受けられる。「筑波山」の在処である。

神話の森[口訳・常陸国風土記]というサイトからの引用…

筑波山は、雲の上に高く聳え、西の頂は、高く険しく、雄の神(男体山)といって登ることは出来ない。東の頂(女体山)は、四方が岩山で昇り降りはやはり険しいが、道の傍らには泉が多く、夏冬絶えず湧き出てゐる。坂東の諸国の男女は、桜の花咲く春に、あるいは紅葉の赤染む秋に、手を取り連れ立って、神に供へる食物を携へ、馬に乗りあるいは歩いて山に登り、楽しみ遊ぶ。そして思ひ思ひの歌が歌はれる(歌垣において)。

ほぼ間違いなく筑波山の比定が出来そうである。先に地図を参照願う。


東西の位置、頂上の形状も現在の国土地理院地図に合致する。

また、それに記載された登山道も男体山は頂上に達せず、女体山は辛うじて届いているようである。

風土記の通り、急勾配の斜面であろう。

茨城県の筑波山も同じように男体、女体山の東西の位置、頂上形状は類似するが、後者の方が若干であるが高い。

「坂東の諸国」通説では「坂東」=「足柄峠、碓氷峠より東の地方」関東の古称である。

碓氷峠は古事記に未だ出現せずで不明だが、「足柄()」は辛うじて…いや、南にある・・・という不毛な議論は止めて、「坂東」=「筑波山東麓」と解釈するべきであろう。

Wikipediaによると、「歌垣(うたがき)とは、特定の日時に若い男女が集まり、相互に求愛の歌謡を掛け合う呪的信仰に立つ習俗。現代では主に中国南部からベトナムを経て、インドシナ半島北部の山岳地帯に分布しているほか、フィリピンやインドネシアなどでも類似の風習が見られる。古代日本の常陸筑波山などおいて、歌垣の風習が存在したことが『万葉集』などによりうかがうことができる。」

「紀氏」ルーツ中国南部であろう(呉の姫氏?)。彼らがその地の風習を持ち込んだ、それが最も簡明な理解である。決して茨城県筑波山中の出来事ではない。詳細は略すが、なかなかの風俗話しのようである…

鷲住 筑波乃山之 裳羽服津乃 其津乃上尓 率而 未通女<壮>士之 徃集 加賀布嬥歌尓 他妻尓 吾毛交牟 吾妻尓 他毛言問 此山乎 牛掃神之 従来 不禁行事叙 今日耳者 目串毛勿見 事毛咎莫 [嬥歌者東俗語曰賀我比]
[の住む 筑波の山の 裳羽服津の その津の上に 率ひて 娘子壮士の 行き集ひ かがふかがひに 人妻に 我も交らむ 我が妻に 人も言問へ この山を うしはく神の 昔より 禁めぬわざぞ 今日のみは めぐしもな見そ 事もとがむな [の歌は、東の俗語に賀我比と曰ふ]]

「裳羽服津」=「裳羽服の津」=「もはや何もかも忘れて従う、川の合流点」図上特定出来そうだが、ここまでで・・・。

命辛々落ち延びてきた人々の活き活きとした営み、それを現状の理解に留まっていることに忸怩たる思いである。古代を輝かせること、それが明日へと繋がる、と信じる。

歌垣に関連する説話に、福慈(富士)山では歌垣が出来なくて、筑波の山で大盛会となったというものがある。「福慈」=「富士」とする根拠は「以音」のみである。「坂東」にはない「富士山」は頂けない。「福慈山」=「足立山」であろう。現在、その山麓に「富野」「足原」「上藤松」というところがある。「足原」はかつての「富原」であろう。山の名前を変えるのに合わせて、である。

写本として現存するのはこの「常陸国」を含め五ヶ国のみである。貴重な古代の史料として見直すことではなかろうか…インターネットにそれら資料を掲載されている方々に深く感謝の意を表して…と、また後日に・・・。


2017.04.27追記>


その後「足立山」関連の調査を続けていたら、トンデモないことに気付いた。というか手抜かりであった。この山の南面及び山麓一帯を占める地名、北九州市小倉南区「大字葛原」「葛原本町」等の「葛原」の「葛」は、「葛」=「葛藤」=「藤」に置換えられることがわかった。


「葛原」=「藤原」である。「足立山」=「藤山」=「福慈山」となる。更に「藤原」の名称の出現は今後の日本国家の成立に深く関わる。暇が取り柄の老いぼれの「矛」が向かう「盾」の裏(内)側である。次に向かう先が少し見えてきたような錯覚に陥っている次第である・・・。