2017年3月28日火曜日

吉備国と針間〔016〕

吉備国と針間

仁徳天皇の黒日売騒ぎで思わず吉備国まで赴いたが、なかなか良いところであった。鬼ヶ城まで登りたかったが暇が取り柄の老いぼれには少々キツイ、と思いながらその地を後にしたが…その後に針間国に幼子を追っかけてしまった。些か疲れてGoogle Mapなどを見ていると、吉備と播磨、お隣では? 通説はそうなってる、トンデモナイところを指し示してしまったかも? そんなわけで「針間」を検索してみた。

古事記原文に9件ヒットする。内1件は前回に追跡したもので残り8件である。7件が国名、人名表示で前後の繋がりなく解釈不可、ということで最後の1件を試みた。

該当部の古事記原文(武田祐吉訳)

大倭根子日子國玖琉命者、治天下也。大吉備津日子命與若建吉備津日子命、二柱相副而、於針間氷河之前、居忌瓮而、針間爲道口、以言向和吉備國也。故、此大吉備津日子命者、吉備上道臣之祖也。次若日子建吉備津日子命者、吉備下道臣、笠臣祖。[そこオホヤマトネコ彦クニクルの命は天下をお治めなさいました。オホキビツ彦の命とワカタケキビツ彦の命とは、お二方で播磨の氷の河の埼に忌瓮を据えて神を祭り、播磨からはいつて吉備の國を平定されました。このオホキビツ彦の命は、吉備の上の道の臣の祖先です。次にワカヒコタケキビツ彦の命は、吉備の下の道の臣・笠の臣の祖先です]

大倭根子日子國玖琉命(第八代孝元天皇)の世に「吉備国」を「平定」した、という逸話である。「平定」=「敵や賊を討ち平らげること」と「言向和」=「言を向けて和する」=「言葉をかけて争わず協力し合う」とは大きな差異がある。通常の訳文などは「平定」であり「言向和」を使わない。「記紀の通訳」は怪しいのである。

と、まぁ、本題に戻って…「大吉備津日子命」と「若建吉備津日子命」の異母兄弟(彼らの母親は吉備国出)が実行する。第十六代の仁徳天皇より八代前の時代に吉備国、すなわち「鉄」の入手に取り掛かかり、仁徳さんはその事業を拡張進展させたということであろう。

「針間」が登場する。「針間国」ではない。どうやら「吉備国」に向かう道に「針間」口というところを設けたとのことである。「針間」=「針のように細い隙間」である。前回の「椎田」の比定に用いた形象表現に従う。「国」が付かないのだから、「針間口」=「針のように細い隙間の入口」と解釈できる。

地図を参照願う…


記述がないので仁徳さんと同様に吉備国に向かったとして、初めは省略して「佐氣都志摩(現在の六連島)」から下関市安岡本町にある港まで船で行き、そこから陸上を北に向かう。ここは河川が運んできた土でできたところではなく台地形状、決して平坦な道ではなかったようであるが、それだけにいくつもの河川を渡渉することもなく進める。

「氷河」=「ひょうが」ではない。古事記の中でこれ一か所の記述であり、なんとも、である「氷河」=「氷のように冷たい川の水」程度に解釈すると、山から流れる水の体感温度が低いのではなかろうか。入口手前にある川、残念ながら河川名は不明(川の少ないところ、「之江」とはエライ違い)

「ふく予報官」説明によると対馬暖流が流れるこの地方は、夏場は高温多湿型気候であるが、冬場は北西から大陸の寒気が直接降りて来るところであり、山岳の気温は低く雪が積もりやすいとのこと。いずれにして標高差による温度差はかなり大きいものであろう。<追記>

忌瓮(神に供えるための忌み清め容器)を用いて神に祈る、これは常套手段である。交渉事には縁起が付き物、しっかり祈ることが必勝の秘訣である、ちょっと古いかな? 古い話ですから…。

針間爲道口


そうして上記の図のごとく「針間口」に到達、くぐり抜けて「吉備国」の中心部に到達する。通説「針間」=「播磨国(兵庫県西部)」、「吉備国」=「吉備国(岡山県東部)」として問題なく比定されているようであるが、「針間爲道口」は全く説明できなく、不自然である。「針間道」ぐらいならわかるが…。武田氏訳は無視。

「吉見」の地名には「吉見上」と「吉見下」がある。二人の命がそれぞれ担当したのこと。何故、そんな細かいことを? いえいえ「吉見上」=「採鉱・製鉄」、「吉見下」=「鍛冶」であろう。分業が進んでいたのである。「銅」に関する記述はもっと古いため無いのであろうが、この技術力格差が国力に直結する時代であったろう。


「鉄」の輸送にしても、六連島からの直行よりこの安岡本町経由が合理的なように感じる。船による大量輸送はリスクを伴う、特に響灘のようなところでは。この区間の海上輸送は直行ルートの約70%である。「針間口」まで直線距離約4km、凹凸はあるが渡渉のない陸上輸送は安全であろう。この説話の裏、極めて興味深いが(日本書紀には記述無し)…。

暇が取り柄の老いぼれ「針間国」は「飛鳥」の東南、「吉備国」は北、並ぶことはない状況であるが、それを否定するようなできごとではなかった。むしろ「吉備国」の比定の精度があがったようである。読んでみるものである。

と、まぁ、こんな調子で・・・。

<追記>

2017.09.12
「氷」=「二つに割れる、分かれる」の意味がある。上記図から山から流れ出た川が一度分岐して、再度下流で合流している様子が伺える。氷羽州比賣の解釈と同様であろう。