2019年4月1日月曜日

品陀和氣命(応神天皇):高木の御子 〔333〕

品陀和氣命(応神天皇):高木の御子


品陀和氣命(応神天皇)の娶りの記述になって、一気に高木の御子が増産される。一見すると何だか奇妙な出来事なのだが、それは高志之角鹿における伊奢沙和氣大神との名前交換が発端となったことと読み解いた。名前交換こそ、「言向和」が成立した証であって、当然その地の比賣に御子を誕生させることに繋がる。

また、それには更なる伏線があって、大帶日子淤斯呂和氣命(景行天皇)が娶った八坂之入比賣命及び誕生した御子の配置が高木包囲網でもあったと解読した。ともかくも洞海(湾)を取り囲む地への執着は天皇家草創期における重要な課題であったと推測され、それに対して実に周到な準備と着実な実行を行ったことが伺える。

既に大半の御子の名前、それに潜められた地名を紐解いて来たのだが、修正と加筆を行ってみようかと思う。次期天皇となる大雀命と謀反を起こす大山守命の配置は、やはり謀反の重要な伏線となっているのであろう。誕生した御子全体の古事記原文を再掲する。

古事記原文…、

品陀和氣命、坐輕嶋之明宮、治天下也。此天皇、娶品陀眞若王之女三柱女王、一名高木之入日賣命、次中日賣命、次弟日賣命。(此女王等之父・品陀眞若王者、五百木之入日子命、娶尾張連之祖建伊那陀宿禰之女・志理都紀斗賣、生子者也。) 故、高木之入日賣之子、額田大中日子命、次大山守命、次伊奢之眞若命、次妹大原郎女、次高目郎女。五柱。中日賣命之御子、木之荒田郎女、次大雀命、次根鳥命。三柱。弟日賣命之御子、阿倍郎女、次阿具知能三腹郎女、次木之菟野郎女、次三野郎女。五柱。
又、娶丸邇之比布禮能意富美之女名宮主矢河枝比賣、生御子、宇遲能和紀郎子、次妹八田若郎女、次女鳥王。三柱。又娶其矢河枝比賣之弟・袁那辨郎女、生御子、宇遲之若郎女。一柱。又娶咋俣長日子王之女・息長眞若中比賣、生御子、若沼毛二俣王。一柱。又娶櫻井田部連之祖嶋垂根之女・糸井比賣、生御子、速總別命。一柱。又娶日向之泉長比賣、生御子、大羽江王、次小羽江王、次幡日之若郎女。三柱。又娶迦具漏比賣、生御子、川原田郎女、次玉郎女、次忍坂大中比賣、次登富志郎女、次迦多遲王。五柱。又娶葛城之野伊呂賣生御子、伊奢能麻和迦王。一柱。此天皇之御子等、幷廿六王。男王十一、女王十五。此中、大雀命者、治天下也。


<品陀と伊奢>
前段の十三人が高木の御子であり、更に以下の…些か現資料が不祥なのであろうか…追記される。

「根鳥王、娶庶妹三腹郎女、生子、中日子王、次伊和嶋王。二柱。又堅石王之子者、久奴王也」

計十七人となる。決して広い土地ではないことから、真に一気に高木周辺が埋め尽くされることになったと伝えている。

「高木」(「伊奢」も含めて)の文字は応神天皇紀以降には出現しない。

「葛城忍海之高木角刺宮」に含まれるが、これは葛城の地にあった。「高木」が示す高山は、石峰山ではなく福智山ということになろう。実に徹底した「言向和」が行われた、のであろうか・・・。幾人かの加筆・修正の御子を列挙する。


大山守命
 
<大山守命>
初見の記述が、紐解きの戸惑いをあからさまにしているので、引用してみると・・・、

後に跡目相続争いに登場する命である。何とも平凡な命名と読み飛ばされるところであるが、こんな時は結構な意味が含まれている。

少々古事記を紐解いて来ると気付かされることではあるが、それが分かっても解読は一層難しいのも常である。
 
「大」は「奢」に含まれる「平坦な頂上を持つ山」とできるであろう。石峰山を示すとする。

難解なのが「守」で、「毛理」と置き換えて「区分けされた田の稲穂」のような意味と解釈できそうであるが、この地にはそんな場所はあり得ないであろう。

致し方なく「守」=「宀(山麓)+寸」に分解する。「寸」の解釈は既出の「寸」=「時(寺)の略字」と気付くと、「寸」=「蛇行する川」と紐解ける。伊邪那岐の禊祓から生まれた神の名前(時量師神)の解釈に準じる。「寺」=「之/止」、「行く」と「止まる」という相矛盾する概念を併せ持つ文字なのである。

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余談だが…弁証法的にはものが動くという概念をそこに止まりかつ同時に居ないことと理解する。「寺」という文字はそれを具象化したものと見做せる。幾度か述べたが、安萬侶くん達の自然観は驚異である。またそれだけの知能がなければ、時の権力に歯向かう(?)ことも叶わなかったと思われる。

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いずれにせよ「蛇行する川」を「時」=「昼と夜とを繰り返す様」に重ね併せた表記と推測した。すると…「大山守命」は…、
 
大山(平坦な頂上を持つ山)|守(山麓の蛇行する川)|命


<額田大中日子命>
…と紐解ける。急斜面の「品陀」にそんな場所はあるのか?…探せば出て来る、ということであろう・・・。

結果は上図に示す通り、急斜面を蛇行する川が見出せた。「高木」を見渡せる高台の地に坐した命であったと思われる。
 
額田大中日子命

「額田」はどこかで目にしたような文字であるが・・・大国主命の後裔、日名照額田毘道男伊許知邇神、「額」は息長帶比賣命(神功皇后)の母親、葛城之高額比賣など、山腹に突出た小高いところの麓を表す表現であった。
 
額(尾根からの稜線が突き出たところ)|田
 
…やや小ぶりながら立派に突き出ているところが見出せる。現在の同区赤島町辺りではなかろうか。「大」(平らな頂の山稜)が連なっているところのほぼ真ん中に当たる。それが「大中日子」の所以であろう。
 
<阿倍郎女>
阿倍郎女

「阿倍」の文字は大毘古命の息子、建沼河別命が祖となった地名で出現する。文字解釈は…、
 
阿(台地)|倍([咅]の地形)
 
…「[咅]の地形がある台地」と紐解ける。大毘古命の御子、建沼河別命が祖となった阿倍臣の解釈に準じる。


「咅」=「花の子房」を象った文字である。やはり「高木」に求めてみることにすると、同区宮丸辺りに見出すことができる。


大雀命・根鳥命
 
<大雀命・根鳥命>
最後の二人となったが「鳥」シリーズとでも言うべき命名である。これは真に悩ませられた名前である。

飛鳥鳥髪は何とかその素性を突き止められたが、山容を模した表現とは、どうやら異なるパターンを用いているようである。

そこで・・・山容ではなく山麓を探すことにしたら・・・一応提案できそうな場所が見出せたと思われる。

古事記解読の時系列からすると、山麓(腹)の鳥の模様を象った表記は、実にここで氷解したのである。

これを切っ掛けに神倭伊波禮毘古命の吉備高嶋宮、天照大御神と速須佐之男命の宇氣比で生まれた天菩比命之子・建比良鳥命、速須佐之男命の御子、八嶋士奴美神など多くの名称に使われる「鳥(隹)」の地形象形が読取れるようになったわけである。

図を参照すると、現在は広大な団地開発の対象となっているが、辛うじて元の地形、山稜が延びた高台であったことが伺える。確かに「鳥(隹)」の山麓(腹)の地形は、後代の土地開発の影響を受け易く、また天然の地形変化も大きく当時との差は否めないと思われるが、想像以上にこの地形象形が時を経ても機能していることが確認できる。現地名は北九州市若松区二島・東二島辺りである。


<高木の御子⑴>

大雀命(後の仁徳天皇)の「雀」=「小+隹(鳥の象形)」とある。頭(図の白破線)が小さく、翼を広げた鳥の形と見做せるであろう。

根鳥命も同様で、「根」=「山稜の端(根っ子)」が…かなり傷んでいるが…鳥の形を確認できる。二羽の鳥はこんなところに隠れていたようである。

「高木」の御子を纏めた図を示した。図中の青色で示されるところは、後代に埋立てられたところと見受けられる。

平地のない斜面の土地である。更に誕生する御子に「別(辨)」を与えることは極めて難しい状況であることが判る。天皇家は新たな地を求めて行ったのであろう。

最後に比賣の名前の文字解きが今一不十分のように感じられた尾張の「志理都紀斗賣」について述べる。上図「品陀眞若王」の母親に当たる。尾張国に坐していた比賣である。
 
<志理都紀斗賣②>
志理都紀斗賣

「志理都紀斗賣」は…、
 
志理(尻)|都紀(付き)|斗(柄杓)|賣(女)


…「尾根の稜線が延びた端に引っ付いている柄杓の形した場所に居る比賣」と紐解ける。現地名は北九州市小倉南区隠蓑(大字)である。

何となく解った気になる紐解きなのであるが、やはり一文字一文字に意味が込められていると思われる。
 
志(之:蛇行する川)|理(区分けされた田)|都(集まる)|紀(畝り続く地)

…「蛇行する川の傍らの区分けされた田が畝り続く地に集まるところ」と読み解ける。

現在の稗田川に複数の支流が合流する地点を示していると思われる。現地名の隠蓑に由来があるようだが、勿論上記に繋がるものではない。

「斗賣」は「戸賣」「刀賣」に比べると出場回数は少ないようであるが、「斗」の解釈ができるならこれほどの明確な場所を示す表記は少ない。貴重である。纏めて称号では、真に勿体無い、と思われる

尚、何故「尾張」から「高木」に御子が移ったかなど、推論した結果は<応神天皇紀>を参照願う。