2019年1月19日土曜日

大毘古命之子:比古伊那許士別命 〔307〕

大毘古命之子:比古伊那許士別命


前記に引き続き大倭根子日子國玖琉命(孝元天皇)の段であるが、穂積一族の後裔となる大毘古命には幾人かの御子が誕生したと記述される。それぞれ出来が良かったのか、祖が付加される。後に大毘古命と相津で出会う建沼河別命は既述を参照願うとして、もう一人の「比古伊那許士別命」について述べてみようかと思う。

古事記原文…、


大倭根子日子國玖琉命、坐輕之堺原宮、治天下也。此天皇、娶穗積臣等之祖・內色許男命、此妹・內色許賣命、生御子、大毘古命、次少名日子建猪心命、次若倭根子日子大毘毘命。三柱。・・・<中略>・・・其兄大毘古命之子、建沼河別命者、阿倍臣等之祖。次比古伊那許士別命。此者膳臣之祖也。

「比古伊那許士別命」の居場所については既に求めたのであるが、それも含めて以下に記載する。
 
比古伊那許士別命
 
<比古伊那許士別命>
「比古伊那許士別命」は上記の建沼河別命とは異なり地元に密着した生業であったろう。その居場所を突き止めてみよう。ほぼ既出の文字列と思われる。

「許」=「もと、傍ら」として一気に紐解くと…比古「伊那許士別」命は…、
 
伊(小ぶりな)|那(整える)|許(傍ら)|士(蛇行する川)|別(地)

…「小ぶりだが蛇行する川の傍らに整えられた地」で田畑を並べ定めた命と紐解ける。

春日の地では、珍しくゆったりとしたところを指し示していると思われる。それにしてもこの地の谷間は狭く、邇藝速日命の子孫、穂積一族が切り開きつつあった地に神武一家が侵出したのであろう。

ともかくも大坂山山麓である春日の地は狭い故に「伊」が付いた表現となっている。それを忠実に記述していると思われる。

それはさて置き、その場所は図に示したところ、現在の川の蛇行からの推定ではあるが、土地の傾斜、谷間の広さからも十分に推定できるものではなかろうか。
 
<膳臣>
膳臣之祖となったと記される。世界大百科事典によると・・・、

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かしわでうじ【膳氏】:古代の豪族。《日本書紀》では孝元天皇の皇子大彦命を祖とし,《古事記》では大彦命の子比古伊那許士別命(ひこいなこしわけのみこと)を祖としている。

《高橋氏文》によれば,磐鹿六鴈命(いわかむつかりのみこと)(大彦命の孫)は,景行天皇の東国巡幸に供奉,上総国において堅魚や白蛤の料理を天皇に献上し,その功により以後永く天皇の供御に奉仕することを命ぜられ,また膳臣の姓を賜ったという。《日本書紀》にも類似の記事がある。

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・・・とのことである。

がしかし、地形象形している筈である。「膳」=「月+善」と分解される。更に「善」=「羊+訁訁」である。地形を表す文字にまで分解されることが解る。即ち「膳」は…、
 
谷間が広がるところにある山麓の三角州の傍らに耕地がある

…地形を表していると紐解ける。「月」=「山麓の三角州」、「羊」=「谷間が広がるところ」、「言」=「大地を切り開いて耕地にする」の安萬侶コードである。

上図に示した通り、比古伊那許士別命が居た場所を示し、「膳」は地形に基づく命名であると思われる。現在は田川地区の水道設備が立ち並び大きく変化しているが、地形としては十分に読み取れるようである。

文字の構成が月讀命に類似する。複数の枝稜線の間に流れる谷川が合流し州を作るところが稲穂の稔る地となっていた、水田稲作の原風景であろう。それにしても「膳」に含まれる地形象形の文字の豊かさに驚かされた、「讀」どころの騒ぎではなかった・・・。