2019年1月17日木曜日

大倭根子日子國玖琉命(孝元天皇):大毘古命・少名日子建猪心命 〔306〕

大倭根子日子國玖琉命(孝元天皇):大毘古命・少名日子建猪心命


大倭根子日子國玖琉命(孝元天皇)が穗積臣等之祖・內色許男命、此妹・內色許賣命を娶って誕生したのが大毘古命、少名日子建猪心命そして次期天皇となる若倭根子日子大毘毘命(開化天皇)の三人と記載される。

邇藝速日命の子孫である穂積臣との婚姻が初めて成立したのである。神倭伊波禮毘古命が宇陀で遭遇した兄宇迦斯・弟宇迦斯(邇藝速日命の子孫の物部一族と解釈した)、そして登美能那賀須泥毘古との再度にわたる戦いを経て伊波禮の地に坐して以来、邇藝速日命の本拠地に侵出することはできなかった。

時が流れたこともあろうが、やはり葛城の地を切り開き、豊かな財源を手にしたことが最も大きな役割を果たしたであろう。既に彼らは淡海近くに至るまでを稲穂の地に変えつつあったと推測される。

内色許男命とは、葦原色許男を思い起こさせる命名であろう。その地の中心に居たことを示しているように思われる。神武一家の黎明期、そのものであろう。そんな背景の中での娶りであったと推測される。

古事記原文…、

大倭根子日子國玖琉命、坐輕之堺原宮、治天下也。此天皇、娶穗積臣等之祖・內色許男命、此妹・內色許賣命、生御子、大毘古命、次少名日子建猪心命、次若倭根子日子大毘毘命。三柱。又娶內色許男命之女・伊賀迦色許賣命、生御子、比古布都押之信命。又娶河內青玉之女・名波邇夜須毘賣、生御子、建波邇夜須毘古命。一柱。此天皇之御子等、幷五柱。故、若倭根子日子大毘毘命者、治天下也。其兄大毘古命之子、建沼河別命者、阿倍臣等之祖。次比古伊那許士別命。此者膳臣之祖也。比古布都押之信命、娶尾張連等之祖意富那毘之妹・葛城之高千那毘賣、生子、味師內宿禰。此者山代內臣之祖也。又娶木國造之祖宇豆比古之妹・山下影日賣、生子、建內宿禰。此天皇御年、伍拾漆。御陵在劒池之中岡上也。

御子の誕生も多くなって来る。紐解き不十分と感じられるところを述べてみよう。大毘古命、少名日子建猪心命を取り上げることにする。
 
少名日子建猪心命
 
「少名」は、既出の少名毘古那神とこの命のみに使われる以外に登場しない。「少名日子建猪心命」の名前は何を伝えているのであろうか?・・・。少名日子建猪心命」は…、
 


<少名日子建猪心命>
少名(田を持たない)|日子(稲)|建(勇猛な)|猪心(突進する気性の)|命

…「稲の田を持たず勇猛な突進する気性の命」のように紐解ける?・・・。

がしかし、果たしてそんな人物評価のような記述をするであろうか?…古事記で読めないところは日本書紀から類似の名前を抜き出す(例えば少彦男心命)…益々混乱の極みに・・・。

少名毘古那神と同様に地形を表していると思われる。
 
少(僅かな)|名(山麓の三角州)|日子(稲)|建(作り定める)
猪(山稜が寄集る谷間の台地)|心(真ん中)|命

…「僅かな山麓の三角州で稲を作り定め、山稜が寄集る谷間の真中に坐す命」と紐解ける。

「少名」は少名毘古那神に類似する。「猪」=「犭+者」と分解される。「犭」=「口の出ている猪」、「者」=「台上に柴を集めて火を焚く」様を表していると解説される。この象形から「山稜が寄集ってできる谷間の台地」と紐解いた。

雄略天皇紀に登場する赤猪子に含まれる。「猪子」=「山稜が寄集ってできる谷間の台地の登り口」を表しているとした。紐解ければ、母親の内色許賣命の近隣、その地の詳細を伝えていることが解る。邇藝速日命の子孫、穂積臣の流れを汲む地に生まれた御子である。

赤村内田山ノ内と壱岐市仲触の地形、共に狭く短い谷間が特徴のところであろう。辛うじて形成されている山麓の三角州の地形を活用して稲を育てていたと推察される。

<大毘古命>
眞名」のようにしっかりとした三角州ではないところ、それを「少名」と表現したと解釈される。
 
大毘古命

「大毘古命」とは…上記とは全く正反対に…何とも簡単な命名であるが、それだけに確信の持てる場所を求めることが困難な状況に陥る。

そこで「大=大きな」ではなく、前記で紐解いた「大」=「大坂山」とすると、その南麓の山の中に居場所が見出せる。

後に大活躍をされる命であるが、出自の情報は無い。呆気ない命名であり、検証する記述も見当たらない。

とは言え、この地以外に求めることは困難な山麓深くに入ったところである。現地名は、田川郡香春町柿下と赤村内田の境に位置する。

また大毘古命の御子に「比古伊那許士別命」が居たと告げられている。娶り関係は不詳のようである。ここに記されている「建沼河別命」後に現れる御眞津比賣命」と母親不詳の御子が居て、かつ皇統に絡んで来る。事績もさることながら、確かに大物風の命であったと推測される。
 
<比古伊那許士別命>
比古伊那許士別命
 
「比古伊那許士別命」は、兄の建沼河別命とは異なり地元に密着した生業であったろう。その居場所は、現在の蛇行する川の有様から求めたが、再掲すると…、
 
伊(小ぶりな)|那(整えられた)|許(傍ら)|士(川の蛇行)|別(地)

…「蛇行する川の傍らの小ぶりだが整えられた地」で田畑を並べ定めた命と紐解ける。

春日の地では珍しくやや広くゆったりとしたところを指し示していると思われる。それにしてもこの地の谷間は狭く、邇藝速日命の子孫、穂積一族が切り開きつつあった地に神武一家が侵出したのであろう。

ともかくも大坂山山麓である春日の地は、狭い故に「伊」が付いた表現となっている。それを忠実に記述していると思われる。

感想はさて置きその場所は図に示したところ、現在の川の蛇行からの推定ではあるが、土地の傾斜、谷間の広さからも十分に推定できるものではなかろうか。

<膳臣>
膳臣之祖となったと記される。世界大百科事典によると・・・、

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かしわでうじ【膳氏】:古代の豪族。《日本書紀》では孝元天皇の皇子大彦命を祖とし,《古事記》では大彦命の子比古伊那許士別命(ひこいなこしわけのみこと)を祖としている。

《高橋氏文》によれば,磐鹿六鴈命(いわかむつかりのみこと)(大彦命の孫)は,景行天皇の東国巡幸に供奉,上総国において堅魚や白蛤の料理を天皇に献上し,その功により以後永く天皇の供御に奉仕することを命ぜられ,また膳臣の姓を賜ったという。《日本書紀》にも類似の記事がある。

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・・・とのことである。

がしかし、地形象形している筈である。「膳」=「月+善」と分解される。更に「善」=「羊+訁訁」である。地形を表す文字にまで分解されることが解る。即ち「膳」は…、
 
谷間が広がるところで山麓の端にある三角州の傍らの耕地

…を表していると紐解ける。「月」=「山麓の三角州」、「羊」=「谷間が広がるところ」、「言」=「大地を切り開いて耕地にする」の安萬侶コードである。

上図に示した通り、比古伊那許士別命が居た場所を示し、「膳」は地形に基づく命名であると思われる。現在は田川地区の水道設備が立ち並び大きく変化しているが、地形としては十分に読み取れるようである。

文字の構成が月讀命に類似する。複数の枝稜線の間に流れる谷川が合流し州を作るところが稲穂の稔る地となっていた、水田稲作の原風景であろう。

若倭根子日子大毘毘命(開化天皇)の出番がやって来る。その周辺はすっかり固められていたのであろう。邇藝速日命の血統を受け継ぎながら、皇統は着実に浸透して行ったと伝えている。