2018年11月22日木曜日

天浮橋 〔285〕

天浮橋


古事記神代における重要なランドマークである「天浮橋」については、本居宣長を始めとして様々な解釈がなされて来た。各説も含めて記述されている文献はこちら「天と地との間に架かる橋」という解釈から「聖界と俗界との境」まで、上記の著者は「境界と国見」の解釈だから折衷された説のようでもある。いずれにしても2010年時点で「多陀用幣流之國」のようである。
 
<天浮橋>
この橋の場所は淤能碁呂島など伊邪那岐・伊邪那美の国(島)生みに関連した場所が定まると必然的に導き出されるとして解読した。

前記した天沼矛で述べたように淤能碁呂島に近接する場所、その端にあり、独立したところとして現在の下関市彦島竹ノ子島と比定した。

「浮いている橋のような地形」が文字解釈であった。古事記が文字によって地形を表すことを一貫しているとするならば、これは曖昧であり、特定困難な表記と思われる。

では、この三文字は何を表わしているのであろうか?・・・順に紐解いてみる。

「天」=「テン:頭(上)」であろう。注目すべきは足(下)に該当するところの地形である。釣り針のような形・・・これで読み解けた。
 
天(頭)|浮(浮き)|橋(釣り針)

…「頭の浮きに釣り針がぶら下がったところ」と紐解ける。

「橋」は「釣り針」を表せるのであろうか?…「橋」=「木(山陵)+喬」と分解できる。「喬」=「夭+高」の組合せであり「曲がって高い」の意味を示すと解説される。両意合された文字であるが、例えば「矯正」などでは「ねじ曲がる」の意味を表すと思われる。

古事記は、ここで「橋」を…、
 
ねじ曲がった山陵=釣り針(鉤)

…として用いていることが解る。

「浮き」を当時に使っていたかは不詳であるが、平安時代初期の出土物に軽石を使ったものが見つかっているそうである。現在の洗錬された形とは異なるが、魚を釣る時には重要なものであることは間違いない。

「釣り針」は後の海佐知毘古・山佐知毘古の説話に「鉤」の文字で登場する。「釣魚」の道具として用いると明確に記載されている。勿論「釣」「鉤」は、ねじ曲がった様を示す文字である。

既に述べたようにこの地は響灘から関門海峡への入口に当たる。葦原中国(出雲:現在の北九州市門司区大里)を臨むところである。関門海峡の潮流の変化に伴う潮待ちの場所でもあろう。間違いなく「境」であり、それを渡り越える「橋」と表現した。「高天原」と「葦原」を結ぶ場所であったと告げているのである。