2018年9月3日月曜日

八瓜之白日子王の最期の地:小治田 〔254〕

八瓜之白日子王の最期の地:小治田


仁徳天皇が父親の応神天皇から譲り受けた日向之諸縣君牛諸の子、髮長比賣を娶って生まれた波多毘能大郎子、その別名が大日下王であった。百済出身で仁徳さんが切にと望んで拝領した比賣で歓喜したと読み解いた。「波多毘」は現在の北九州市門司区城山町辺り、「大日下」=「大の日の下(ヒノモト)」この地はほぼ山影無く日当たりの良いところに由来すると紐解いた。

その妹、若日下王を大長谷命に娶らせようと安康天皇が画策したところから説話が始まる。記述された通りにそのまま読めば、悪い奴を使いに出したもので全くの誤解で大日下王は命を落とす羽目になる。裏読みは様々あるが、葛城系の兄弟相続が続いたのは、やはり何らかの歪…皇位継承を主張する諸兄が増える…を生じていたのではなかろうか・・・兎も角も古事記は語らない。

安萬侶くんの論調からすると「言向和」が欠けているのが気に掛かる。実行する前に一言、だったのでは?…これも時代の変化であろうか・・・ここで安康天皇の姉「長田大郎女」が登場する。同母の姉を后にした…木梨之輕王と輕之大郎女(衣通郎女)の件も含めて、彼ら兄弟姉妹、何かおかしい?…ではない、であろう。

前記允恭天皇紀で長田大郎女の居場所は恵賀之長枝の近隣、現在の京都郡みやこ町勝山黒田小長田辺りと推定した。安康天皇が后にしたのは大日下王亡き後の地を与えたことを意味すると思われる。即ち彼女の本来の地の「長田」に加えて新たな本拠地を「波多毘」にしたのである。これが悲しい出来事の伏線である。


大長谷命

既に述べたところではあるが、再掲すると…古事記原文[武田祐吉訳]…、

爾大長谷王子、當時童男、卽聞此事、以慷愾忿怒、乃到其兄黑日子王之許曰「人取天皇、爲那何。」然、其黑日子王、不驚而有怠緩之心。於是、大長谷王詈其兄言「一爲天皇、一爲兄弟、何無恃心。聞殺其兄、不驚而怠乎。」卽握其衿控出、拔刀打殺。亦到其兄白日子王而、告狀如前、緩亦如黑日子王。卽握其衿以引率來、到小治田、掘穴而隨立埋者、至埋腰時、兩目走拔而死。
[ここにオホハツセの王は、その時少年でおいでになりましたが、この事をお聞きになって、腹を立ててお怒りになって、その兄のクロヒコの王のもとに行って、「人が天皇を殺しました。どうしましよう」と言いました。しかしそのクロヒコの王は驚かないで、なおざりに思っていました。そこでオホハツセの王が、その兄を罵って「一方では天皇でおいでになり、一方では兄弟でおいでになるのに、どうしてたのもしい心もなくその兄の殺されたことを聞きながら驚きもしないでぼんやりしていらっしやる」と言つて、着物の襟をつかんで引き出して刀を拔いて殺してしまいました。またその兄のシロヒコの王のところに行つて、樣子をお話なさいましたが、前のようになおざりにお思いになっておりましたから、クロヒコの王のように、その着物の襟をつかんで、引きつれて小治田に來て穴を掘って立ったままに埋めましたから、腰を埋める時になって、兩眼が飛び出して死んでしまいました]

末弟の大長谷命(後の雄略天皇)が登場する。役に立たない兄達を、従兄弟も含めて処分した様子である。境之黑日子王、現地名の直方市上境付近に住んでいた允恭天皇の次男のところへ出向いたら、その無神経な応対に腹を立てて殺害してしまったとのことである。
 
<小治田>
かなり乱暴なシナリオであるが、更に続く…今度は四男、八瓜之白日子王のところに向かう。

現在の京都郡苅田町葛川辺りに行っても同じ応対を受けて、益々怒り心頭になってその四男を生き埋めにしたら、その前に死んでしまったと記述される。

「童」が大人を殺害すると言う説話が続くのである。長子相続に逆らうように結果的には末子が皇位継承者になる。

長い間の慣習に馴染めなかった天皇家を示しているのであろうか…。

四男が生き埋めにされた場所が「小治田」と記載される…「小」は「小さく、細かく」であろうが、やはりそれだけではないようである…、
 
小([小]の字形)|治(治水された)|田*

…「小の字形の地の傍らで治水された田」と紐解ける。この地は「瓜」と見たり「神根」と見たり山稜が複雑に分岐して、見る者を楽しませているか、のようである。現地名の苅田町葛川の南側、白川流域周辺と思われる。

仁徳天皇の御子、墨江之中津王が開拓したところであるが、現在のような田が広がるわけではなく、当時は入江に面した水辺の場所であったと推測される。古事記最後の推古天皇が坐した場所(小治田宮)の近隣でもある。

あからさまな死因の表現、古事記らしさと受止めようか…。いや、殺害現場の情報?…目が飛び出したというから、山稜の端の先にある小高いところ(白破線円)かも、である。いよいよ下手人を攻めることになる。


<目弱王・都夫良意富美>

舞台が出雲に移って、下手人の目弱王が逃げ込んだ都夫良意富美を攻めて、共々亡き者にした結末となる。

この意富美が所有する葛城の地(記述はないが多分没収?)、またその比賣も手に入れたと告げられる。

比賣の立場は微妙なのであるが、父の仇とは言え、后となったら生き延びる保証が与えられたとも考えられる。その子孫はまた皇統に絡むことにもなる。

大江之伊邪本和氣の御子、市邊之忍齒王を惨殺する説話が挿入される。葛城之曾都比古の後裔となる王である。外的な脅威もさることながら、内的な脅威をも取り払って、初めて大国倭国の誕生へと向かったと記されているようである。

『小治田』についてはこちらを参照願う。