速須佐之男命の後裔:その参
<本稿は加筆・訂正あり。こちらを参照願う>
前記で速須佐之男命が櫛名田比賣を娶って誕生した「八嶋士奴美」の系譜から大国主命が誕生するところまでを述べた。一方神大市比賣を娶って誕生した「大年神」の系譜を紐解き、羽山戸神が誕生したところまで記した。それぞれのその後の系譜を述べようと思うが、大国主命の方は多くの説話が挿入される。そちらは「古事記新釈」を参照願うとして、大国主命の娶り関連を抽出して紐解いてみよう。Ⅲ. 大国主命の系譜
少し振り返ると上記の「八嶋士奴美」から「布波能母遲久奴須奴」、「深淵之水夜禮花」と肥河沿いで坐したがここから「天」に移る。「淤美豆奴」、「天之冬衣」と繋がり、「刺国若比賣」を娶って「大国主命」が誕生するのである。
「八嶋士奴美」の系列は一旦「天」に引揚げ、そこで連綿と繋がるのではなく「刺国」(佐度嶋)という定住するには不向きな場所に移って行くのである。「大穴牟遲神」は必然的にこの場所から旅立つ運命にあったと言えるであろう。言い換えるとこの系列は葦原中国から引揚げ、その行先を見失ってしまったのである。
そう見てくると大国主命の説話はよく理解できる。天神達が役立たずのこの系列を何とかして立て直そうと大国主命を強引に出雲に再突入させて鍛え上げ、黄泉国に送り込んで須佐之男命の比賣(須勢理毘賣)と結ばせる。名前が頻繁に変わることも彼が決して優れた有能な人材ではなかったことを示している。勿論彼自身の問題もあろうが、この系譜が有する不甲斐なさが背景に含まれているのである。
結果的辛うじてその名前に恥じないようになって黄泉国から這い上がって来る。そして名前の通りの大国の統治に手を付け始めたのである。その鍛錬の過程から記された娶りを纏めてみよう。
Ⅲ-1. 稲羽之八上比賣
故、其八上比賣者、如先期、美刀阿多波志都。此七字以音。故、其八上比賣者、雖率來、畏其嫡妻須世理毘賣而、其所生子者、刺挾木俣而返、故名其子云木俣神、亦名謂御井神也。
[かのヤガミ姫は前の約束通りに婚姻なさいました。そのヤガミ姫を連れておいでになりましたけれ
ども、お妃のスセリ姫を恐れて生んだ子を木の俣にさし挾んでお歸りになりました。ですからその
子の名を木の俣の神と申します。またの名は御井の神とも申します]
菟神の予言通りに射止めた八上比賣は正妻須世理毘賣に恐れをなして逃げ帰ってしまう。何とも残酷風な表現なのであるが、子供を木の俣に挟んで置いてきぼりにしたとか…一応次のような解釈としておこう。「木俣」=「山稜がわかれたところ」=「谷の川が合流するところ」、その近辺にある「御井」=「御(御する)|井(水源)」池(沼)を支配する意味であろう。神として生き永らえられたのかもしれない。
この説話は速須佐之男命から「宇迦能山之山本」に宮を作れ、と言われて黄泉国から出て来た直後に記述されている。「宇迦」=「山麓が寄り集まった」ところと紐解いた。現在の北九州市門司区上藤松・緑ヶ丘・上馬寄辺りであろう。その場所で「木俣」を探すと…「池(沼)」がある!
この説話は速須佐之男命から「宇迦能山之山本」に宮を作れ、と言われて黄泉国から出て来た直後に記述されている。「宇迦」=「山麓が寄り集まった」ところと紐解いた。現在の北九州市門司区上藤松・緑ヶ丘・上馬寄辺りであろう。その場所で「木俣」を探すと…「池(沼)」がある!
この地は前記で大年神の御子「韓神」(韓=井桁)が居たところと重なる。世代が異なるが、大年神の系列が支配するところであることには間違いない。須世理毘賣の嫉妬なんていうことではなく大国主命はこの地に座することができなかったことを示していると思われる。これは極めて重要な意味を持つが、後に記述する。
Ⅲ-2. 高志國之沼河比賣
此八千矛神、將婚高志國之沼河比賣、幸行之時、到其沼河比賣之家
[このヤチホコの神(大國主の命)が、越の國のヌナカハ姫と結婚しようとしておいでになりました時に、そのヌナカハ姫の家に行つて]
神様の行動は天皇様の行動に類似する、逆か?…ともかくも正妻なんて何のその、しっかり美しい比賣を求めて徘徊するのである。しかも真夜中に…「高志國之沼河比賣」の登場。高志国は幾度も登場した国で「沼河」は現在の大坪川であろう。現在も数個の貯水池から福岡県門司区伊川を流れて海に届く川である。
これもしっかり裏読みができる段であろう。徘徊するのは土地を求めているのである。「高志」に居場所を求めたのであるが、その後が続かなかったのであろう。「高志」に入り込む余地がなかったのである。何故そうしたのか?…後程纏めて読み解いてみよう。
Ⅲ-3. 大国主命の後裔
故、此大國主神、娶坐胸形奧津宮神・多紀理毘賣命、生子、阿遲二字以音鉏高日子根神、次妹高比賣命、亦名・下光比賣命、此之阿遲鉏高日子根神者、今謂迦毛大御神者也。大國主神、亦娶神屋楯比賣命、生子、事代主神。亦娶八嶋牟遲能神自牟下三字以音之女・鳥耳神、生子、鳥鳴海神。訓鳴云那留。此神、娶日名照額田毘道男伊許知邇神田下毘、又自伊下至邇、皆以音生子、國忍富神。此神、娶葦那陀迦神自那下三字以音亦名・八河江比賣、生子、速甕之多氣佐波夜遲奴美神。自多下八字以音。此神、娶天之甕主神之女・前玉比賣、生子、甕主日子神。此神、娶淤加美神之女・比那良志毘賣此神名以音生子、多比理岐志麻流美神。此神名以音。此神、娶比比羅木之其花麻豆美神木上三字、花下三字、以音之女・活玉前玉比賣神、生子、美呂浪神。美呂二字以音。此神、娶敷山主神之女・青沼馬沼押比賣、生子、布忍富鳥鳴海神。此神、娶若盡女神、生子、天日腹大科度美神。度美二字以音。此神、娶天狹霧神之女・遠津待根神、生子、遠津山岬多良斯神。右件自八嶋士奴美神以下、遠津山岬帶神以前、稱十七世神。
天照大御神と須佐之男命の宇気比で誕生した最初の比賣である。奥津宮に坐す比賣が大国主命の后となる。
⑴胸形奧津宮神・多紀理毘賣命
阿遲鉏高日子根神、妹高比賣命(下光比賣命)が誕生する。
阿遲鉏高日子根神
阿(台地)|遲(治水された)|鉏(鉏の形)|高(高い)|日子(男子)|根(中心の)|神
…「高い山稜を持つ鉏の形をした台地が治水されていてその中心に居る」神と紐解ける。「秋津」の中心を鉏に見立てた表現である。秋津の中心にいた神と思われる。「迦毛大御神」とも言われる。今に繋がる神でもある。「大御神」が付くのは天照大御神と二人だけとある。奥津宮に坐す多紀理毘賣命の位置付けからして納得されるところであろう。
高比賣命(下光比賣命)
「鉏高」の近隣と思われるが「下光比賣命」は何を意味しているのであろうか?…「光」=「火+-」と紐解ける。「火」の下側に括れたところがある場所に座していたのではなかろうか。下図を参照願う。「宿の谷」と呼ばれるところがその地形を示しているようである。
次に娶ったのが…、
⑵神屋楯比賣命
「神」は神様ではなかろう…、
神(稻妻の形)|屋(山麓)|楯(柵)|比賣命
…「稻妻の形をした山肌の麓に柵があるところに居る」比賣命」と紐解ける。「柵」は祭祀する場所と推定される。すると須佐之男命が娶った大山津見神之女「神大市比賣」が坐していた場所と重なるのではなかろうか。現地名は北九州市門司区大里戸の上である。現在の戸上神社辺りと思われる。
事代主神
御子に「事代主神」が誕生する。後に説話に登場するが、古事記の扱いは簡略である。
事代主神=事(祭事)|代(田地)|主神
…「神の祭事に関わる田地の主の神」という意味であろうか。母親の名前も併せると「神田」を守る人のようでもある。後に追加の情報があれば追記しよう。次に娶ったのが…、
⑶八嶋牟遲能神之女・鳥耳神
前記の八嶋士奴美神の「八嶋」=「谷にある島」であろう。「牟遲能神」は…、
牟(大きな)|遲(治水した田)|能(の)|神
鳥(鳥髪:戸(斗)の山稜)|耳(麓の縁にある耳の形)|神
…「戸ノ上山の麓にある耳の形の地」神と解釈される。現地名は門司区松崎町、大山祇神社辺りと推定される。御子に「鳥鳴海神」が誕生する。
鳥鳴海神
「鳴」=「那留」と読めと註記される。海を留めるところと解釈すれば…、
鳥(鳥髪:斗の)|鳴海(海辺の波止場)|神
…「大斗の海辺にある波止場」神となる。現地名は門司区大里戸の上・黄金町辺りであろう。この鳥鳴海神の系譜に入る。
Ⅲ-3-1. 鳥鳴海神
Ⅲ-3-1. 鳥鳴海神
日名照額田毘道男伊許知邇神
いやはや何と紐解くのか、難解そのもの…と言っても仕方なし。一文字一文字紐解くことにするが、何せ長いのでブロック毎に…「日名照」…、
日(日)|名(優れている)|照(照らす)
…「日当たりが優れている」と紐解ける。「日=肥」とすれば「肥えた(作物の育ちが良い)土地」と解釈することもできる。肥河に掛けている表現と思われる。「額田毘道男」は…、
額田(突き出た山稜の田)|毘(田を並べる)|道(畦)|男(田を耕す)
伊(僅かに)|許(麓)|知(地)|邇(近い)
この地は「大斗」の中では珍しく日当たりの良いところである。近接地に「櫛名田比賣」の居場所がある。「名」を使った地名シリーズということかもしれない。もう少し簡略に…とすると特定できないか…山の名前が付いてない時代である。山名を少し多くすると良かったかな?…同じかな?…安萬侶くん。
Ⅲ-3-2. 國忍富神
御子の名前だが簡単なようでこういうのが最も難しい。「国」=「大地、地面」であるが、「忍富」の解釈に窮する。「富を忍ばせる」となるのだろうが、これでは曖昧な表現そのものとなる。致し方なく「富」を分解すると…「宀(屋根の下)+酒樽(豊か)」と解説されているようである。これで解けた。「富」=「宀(山麓)+酒樽(坂)」と紐解ける。
國忍富神=国(地面)|忍(目立たない)|富(山麓の坂)|神
…「地面が山麓にある目立たない坂になっているところ」の神と解釈される。すると現地名は門司区奥田(三)辺りではなかろうか。近辺で最も勾配の少ない坂と思われるが、当時との相違は不詳である。この神が「葦那陀迦神(八河江比賣)」を娶り、「速甕之多氣佐波夜遲奴美神」が誕生する。
葦那陀迦神(八河江比賣)
「八河江」で解けるようである…、
八河江=八河(谷河)|江(入江)
葦那陀迦神=葦(葦の)|那(豊かに)|陀(崖)|迦(出会す)|神
Ⅲ-3-3. 速甕之多氣佐波夜遲奴美神
一気に紐解いてみよう…、
速甕之(束ねた瓶の)|多氣(山の頂)|佐(助くる)|波(端)|夜(谷)
|遲(治水された)|奴(野)|美(見事に)|神
…となろう。「束ねた瓶のような山頂が谷の端にある治水された野を見事にするのを助ける」神と解釈される。ピンと来ないかもしれないが下図を参照願うと、矢筈山の山頂が複数あり、水瓶を束ねたようになって、谷の出口にある田の治水の水源となる、と述べているのである。現地名大里東(四)辺りの地形を示しているようである。それにしても長い・・・。
出雲国で誕生の神々を纏めて示すと…、
この神が「天之甕主神之女・前玉比賣」を娶り「甕主日子神」が誕生すると伝える。
…と、切りが良いのでここまでで、次回は「天」の紐解きに・・・。