2017年12月19日火曜日

顯宗天皇:袁祁之石巢別命 〔140〕

顯宗天皇:袁祁之石巢別命


ちょっと遡って市邊忍齒王の二人の御子、先に即位した弟の袁祁命について述べてみよう。それなりに重要なことであった。古事記原文…

伊弉本別王御子、市邊忍齒王御子・袁祁之石巢別命、坐近飛鳥宮治天下、捌也。天皇、娶石木王之女・難波王、无子也。

僅か八年の即位期間であったと告げている。いつもこの期間を書いてくれると助かるのだが…干支を入れているから計算しろ、ということなのであろうか・・・。ところでよく見ると袁祁命に「石巣別」の付帯事項が記載されている。

既に「石巣」は福岡県田川郡添田町の岩石山辺りとしたが、それは「石=岩」に着目しただけであった。山を「別」としたわけではないであろうし、収穫のある、またはこれからそうなると思われる土地でなければ意味がないであろう。「石巣」をきちんと紐解くことなのである。

石巢・石木

分け与えられた「石巣」は何処であろうか?…着目した岩石山の周辺に目を遣ると彦山川ではなく複数の川が蛇行していると判る。それにしてもこの山は花崗岩の塊のような山で、戦国時代は戦略拠点として多くの大名が関わり、山頂付近にあった岩石城は豊前一の堅城として有名な場所であったと伝えられる。

この山の西麓を彦山川が流れるのであるが、固い岩に挟まれて大きく蛇行しながら北に流れている。また幾つかの川が合流する地点でもあるが、不動川と呼ばれる川と大きな「州」を形成していることも判る。現在の田川郡添田町添田辺りである。

ということは…、


石巣=石(岩)|巣(州)

…「岩でできた州」と解釈できる。前記で紐解いた「三野国之本巣」と同じ表現と思われる。



袁祁命はこの州の別となった、即ち直轄の領地を保有したのである。父親が雄略天皇に亡き者にされたのだから地領は何もなかったのであろう。しかし、現在は広大な耕地となっているように見受けられるが、当時はまだまだ岩だらけで、沖積の進行に伴って次第に耕地としての広がりを示し始めていたのであろう。配下の者が移り住み開拓していったと推測される。

「石木」はその中心地、添田町庄岩瀬近隣、貴布禰神社辺りではなかろうか。比賣の名前が「難波王」とある。蛇行する、またほぼ直角に曲がる川が「難波」を作っていたと推測される。古事記は…


難波=難(安楽には進めない)|波(水面の起伏運動)

として記述していることが明らかである。氾濫を繰り返し、蛇行する川の流れと切り離して解釈することは到底不可能と思われる。


飛鳥河

また、針間逃亡の際に食料を奪われた「猪甘老人」を見つけ出して「飛鳥河之河原」で成敗をする。古事記原文…

初天皇、逢難逃時、求奪其御粮猪甘老人。是得求、喚上而、斬於飛鳥河之河原、皆斷其族之膝筋。是以、至今其子孫、上於倭之日、必自跛也。故能見志米岐其老所在志米岐、故其地謂志米須也。

「飛鳥河」とは光栄な命名であるが、「近飛鳥」の近く、現在の同県京都郡みやこ町犀川大坂を流れる「大坂川」と既に紐解いた。犀川(現今川)に合流するが、その間の何処かの河原を「志米須」と命名したそうだが、今一歩見極め辛いところであった…


志米須=志(蛇行する川)|米(多くの支流が集まる)|須(州)

と解釈すると、大坂山の山稜から多くの小川が集まっている様子を表現しているのであろう。下図を参照願う。


かつて登場した「當岐麻道」の近隣である。道の分岐が判り辛いところ、また川が寄集っているところの表現は重なっているように思われる。古代の大坂山口は幾重にも重なる岐路があった交通の要を形成していたと推測される。現在とは相違する華やかな地域であったのであろう。

歴代の天皇はその宮の場所を倭国繁栄の目的に合せ選択してきたように思われる。またそのように紐解いて来た。この近飛鳥宮の「意図」はなかなか読み辛い。逃亡中に通過した地であり、ひどい目に遭った場所でもある。山代国に隣接し、交通の要所ではあるが、拠点とするには倭国中心からは離れているところでもある。

倭国の北方は叔母の飯豐王が葛城忍海之高木角刺宮に居て睨みを利かしてくれているから、南方に…でもないであろうし、安萬侶くんが無口な故にあらぬ方向に思いが飛んでしまうのである。とにかく、そう伝えられている以上それを信じて先に進もう。


…全体を通しては「古事記新釈」の清寧天皇・顕宗天皇の項を参照願う。