2017年11月22日水曜日

『伊波礼』の地 〔126〕

『伊波礼』の地


古事記の中で「伊波禮」の文字の初出は「神倭伊波禮毘古命」誕生の記述である。天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命が玉依毘賣命を娶って誕生した四人の御子、五瀬命、稻氷命、御毛沼命、若御毛沼命(亦名豐御毛沼命、亦名神倭伊波禮毘古命)、末っ子の若御毛沼命の別名に含まれる。

明らかに地名と記述されるようになるのは、伊邪本和氣命(履中天皇)の「伊波禮之若櫻宮」、白髮大倭根子命(清寧天皇)の「伊波禮之甕栗宮」及び袁本杼命(継体天皇)の「伊波禮之玉穗宮」である。こう並べてみると「神倭伊波禮毘古命」によって切り開かれた地に名付けられたものと考えて良さそうである。

畝火之白檮原宮」の場所を既に求めて来たが、それを振り返りながら「伊波禮」の地の詳細を探ってみよう。神倭伊波禮毘古命が嫁探しに行った「高佐士野」で「伊須氣余理比賣」を見染める時の説話から…随行の大久米命の歌[武田祐吉訳]…、

夜麻登能 多加佐士怒袁 那那由久 袁登賣杼母 多禮袁志摩加牟[大和の國のタカサジ野を七人行く孃子たち、その中の誰をお召しになります]

「高佐士野」中では「多加佐士怒」である。「佐士」=「佐(タスクル)士(天子)」と解釈する。「高佐士野」=「高い所で天子を奉り仕えるところの野原」であろう。宮殿は畝火之白檮原宮である。その傍らにあったところを示している。「夜麻登能」=「山登りの」となる。

夜麻登能 多加佐士怒=山登りの高い所で天子を奉り仕えるところの野原

と解釈される。現在の「田川郡香春町高野」これこそが「畝火之白檮原宮」があったところである。おそらくは貴船神社辺りではなかろうか。現在の行政区分では細分されているが、香春一ノ岳の東南麓に面する広がりの地域であったろう。

ところで「伊波禮」は地形的な意味を示しているのであろうか?…「禮」=「示(神に捧げる台)+豊(酒を盛る高坏)」から地形的には「山(=神)裾の高台」を示すと解釈すると…、


伊波禮=伊(神の)|波(端:ハタ)|禮(山裾の高台)

…「畝火山(神)の傍にある山裾の高台」と紐解ける。「波」は多くは「端(ハシ)」であるが、傍(カタワラ)の意味も含む。香春一ノ岳の傍らにあってその山に祭祀される神に捧げる行いを為すには最適の場所を意味していると読み解ける。上記高野の地を示すとして矛盾のない表現である。

では、一つ一つ宮の在処を紐解いてみよう。

伊波禮之若櫻宮

「伊邪本和氣命、坐伊波禮之若櫻宮」と記述されている。伊波禮」の地に「若櫻」を示す場所は何処であろうか?…それは地名?…はたまた地形に関係するのであろうか?…「若」=「若い、未熟、時間が経っていない」であろう。「櫻」を分解する。既に登場した「櫻井」と同じ手法を用いると…、

櫻(サ|クラ)=佐(促す:良い状態にする)|倉(暗い:谷)

…通して紐解くと、「谷をより良い状態にするにはまだ時間が掛かる」ところとなる。谷への入り口付近を意味しているようである。伊波禮」近隣でそのような場所は?…現地名香春町鏡山、谷間から流れ出す呉川と金辺川との合流点近隣の高台ではなかろうか。下図中JR九州日田彦山線と国道201号線が交差する近隣である。


伊波禮之甕栗宮

「白髮大倭根子命、坐伊波禮之甕栗宮」と記述されている。キーワードは「甕」と「栗」である。地形象形と見て該当するところを探すと…現在の日田彦山線香春駅の近隣、香春町松丸、庄ヶ原(下高野一区)の地名となっているところが浮かび上がる。


甕の形状と栗の毬のような台地の縁

となっていることが判る。

白髮大倭根子命」の「大倭根子」=「大倭の根本(中心)の子」と紐解けば「甕栗宮」の位置と正に合致すると思われる。倭国の中心の地をこの地、現在の香春町役場がある近隣と古事記が伝えている。

自然環境的な変化に加え人的な変遷を経て、1,300年間という途轍もなく長い年月のなかで根本(中心)の場所が不変であったことに驚嘆する。これが「歴史」であり、これを語る書物を「史書」という。


伊波禮之玉穗宮

「品太王五世孫・袁本杼命、坐伊波禮之玉穗宮」と記述されている。応神天皇五世の継体天皇が坐した場所である。この天皇の出自についてはサラリと流してきたが、いずれキチンと纏めることになるであろう。本日は兎も角も宮の場所を重点に紐解くことにする。


玉穗=玉(勾玉)|穂(穂のような先端)

曲がった地形でその端にある地形を探すと…上記「甕栗宮」の東北の近隣、現在の香春町高野にある勾金小学校辺りと推定される。現地名は変化しているが小中学校の名前に過去の地名に由来する名前が残っている。既に幾度か遭遇した現象である。

「甕」「勾金」を合わせると上記の「栗」その中にすっぽりと収まっている様と判る。見事である。地図が無い時代にどの場所で観察して命名したのか、実に興味ある記述と思われる。下図を参照願う。勿論通常の地図では上記の意味は全く読み取れず、色別標高図を駆使しての結果である。

  
「伊波禮」の地を紐解いて倭国の中心の場所が浮かび上がって来た。長い時間を掛けて漸く辿り着いた場所である。倭国(大倭)の全体を見渡すことができるようになったと言える。安萬侶くんに裏切られることなく導かれたことを感謝する。そして「伊波禮」関連の言葉に潜められた情報の豊かさに感嘆する。まだまだ彼が伝えることを見逃しているのではと、怯える気持ちも生じるのである。

…全体を通しては「古事記新釈」を参照願う。