目から鱗の遠津年魚目目微比賣
御眞木入日子印惠命(崇神天皇)の后の一人に木國造の「遠津年魚目目微比賣」がいる。木国は度々登場するのであるが、なかなかその詳細が掴めない。残存している地名もあり、判っているようでわからない、といった国のようである。
グルグルと古事記の中を彷徨ってると、何じゃこれ、の名前で居場所はその前に木国が付いていれば問題なし、と読み飛ばして来たのが実情である。グルグルと目が回ったのか、目目に止まってしまったので、紐解いてみよう・・・。
古事記原文…
御眞木入日子印惠命、坐師木水垣宮、治天下也。此天皇、娶木國造・名荒河刀辨之女遠津年魚目目微比賣、生御子、豐木入日子命、次豐鉏入日賣命。二柱。
意気揚々と師木に進出した初国の天皇、最初に娶った比賣である。それなりの比賣と思うのが世間の常識、ま、それはともかくも名前の字面はちと生臭い感じである。そうなのか?・・・。
「遠津年魚目目微」を紐解いてみよう…
「遠津」は遠い、近いではなく広くて大きな津、幾つかの川が出合うところと思われる。「年魚」は鮎、大后息長帶日賣命(神功皇后)が新羅から帰国して筑紫国の中をあちこちと、ご紹介して貰った時に出現した。細かく言えば鮎だけではないであろうが…。
「目目」この表現も面白い。なんと解釈するか…やはり「目」の強調、大きな二つの目、と言いたいのであろう。最後の「微」ネット探索では大半が「わずか、細い、小さい」などであるが、どうも話の筋とは合わない。毛色の変わった訳を求めたい時は決まってOK辞典さんのところ訪問する。
出てきました
こんな使い方ある?
「微」の原義はやはり「わずか、ひそかに」のように思われ、奥に潜んだ様を表現するものであろう。それを使っている。即ち形の美しさではなく、その中、奥、の美しさを意味すると解釈される。「目」の美しさは、その透き通った、吸い込まれるような奥深さ、ではなかろうか。
人体の美しさを表現する文字、「目」にのみ適用できる表現方法と思われる。「微」を使うことによって美しさの状態を表しているのである。「微」=「美」とはしない、捻くれ者の安萬侶くんである。
何だか「沈魚落雁閉月羞花」の類かも?…纏めると…、
グルグルと古事記の中を彷徨ってると、何じゃこれ、の名前で居場所はその前に木国が付いていれば問題なし、と読み飛ばして来たのが実情である。グルグルと目が回ったのか、目目に止まってしまったので、紐解いてみよう・・・。
古事記原文…
御眞木入日子印惠命、坐師木水垣宮、治天下也。此天皇、娶木國造・名荒河刀辨之女遠津年魚目目微比賣、生御子、豐木入日子命、次豐鉏入日賣命。二柱。
意気揚々と師木に進出した初国の天皇、最初に娶った比賣である。それなりの比賣と思うのが世間の常識、ま、それはともかくも名前の字面はちと生臭い感じである。そうなのか?・・・。
「遠津年魚目目微」を紐解いてみよう…
「遠津」は遠い、近いではなく広くて大きな津、幾つかの川が出合うところと思われる。「年魚」は鮎、大后息長帶日賣命(神功皇后)が新羅から帰国して筑紫国の中をあちこちと、ご紹介して貰った時に出現した。細かく言えば鮎だけではないであろうが…。
「目目」この表現も面白い。なんと解釈するか…やはり「目」の強調、大きな二つの目、と言いたいのであろう。最後の「微」ネット探索では大半が「わずか、細い、小さい」などであるが、どうも話の筋とは合わない。毛色の変わった訳を求めたい時は決まってOK辞典さんのところ訪問する。
出てきました
微=何とも言えないほど美しい
こんな使い方ある?
「微」の原義はやはり「わずか、ひそかに」のように思われ、奥に潜んだ様を表現するものであろう。それを使っている。即ち形の美しさではなく、その中、奥、の美しさを意味すると解釈される。「目」の美しさは、その透き通った、吸い込まれるような奥深さ、ではなかろうか。
人体の美しさを表現する文字、「目」にのみ適用できる表現方法と思われる。「微」を使うことによって美しさの状態を表しているのである。「微」=「美」とはしない、捻くれ者の安萬侶くんである。
何だか「沈魚落雁閉月羞花」の類かも?…纏めると…、
遠津(広大な川の合流地)・年魚(鮎)・目目(両目)・微(透き通った美しさ)
…広大な川合の場所に住む鮎のように透き通った美しさの目を持つ比賣となる。中国四大美人に勝るとも劣らない、とでも言えるかな?
木国に流れる現在の山国川(福岡県と大分県の県境)に耶馬渓・青の洞門という秘境がある。その少し下流が屋形川との合流点、更に少し下流に「鮎帰」という地名がある。回遊する鮎の住処であろうか。この比賣の美しさは尋常ではなかったようである。
おっと、美人に見とれて肝心の「荒河」…説明するまでもなく…「荒河」=「山国川」である。現在の河口、大分県豊津市辺りの氾濫は絶え間なく、河流も大きく変化した経緯があるという。がしかし古事記に記載される地名を多く残しているところでもある。貴重な地域であろう。
前後の物語は「古事記新釈」の崇神天皇紀を参照願う。
下記に比賣が坐した場所、御子の在処などを追記する。詳細はこちらを参照願う。
下記に比賣が坐した場所、御子の在処などを追記する。詳細はこちらを参照願う。
木国に流れる現在の山国川(福岡県と大分県の県境)に耶馬渓・青の洞門という秘境がある。
その少し下流で屋形川(図の右下)との合流点があり、更に少し下流に「鮎帰」という地名がある。回遊する鮎の住処であろうか。この比賣の美しさは尋常ではなかったようである。
その少し下流で屋形川(図の右下)との合流点があり、更に少し下流に「鮎帰」という地名がある。回遊する鮎の住処であろうか。この比賣の美しさは尋常ではなかったようである。
おっと、美人に見とれて肝心の「荒河」…説明するまでもなく…「荒河」=「山国川」である。
木國造荒河刀辨の「刀辨」は何と紐解くか?…、
…「刀の形の地を治める」と読み解ける。図中の上部、荒河に接するところを指し示していると思われる。沖積の進行が未熟な時代、大河に突き出た崖のような場所、後に登場する「淵」の表現に繋がるのではなかろうか。
現在の河口、大分県豊津市辺りの氾濫は絶え間なく、河流も大きく変化した経緯があるという。がしかし古事記に記載される地名を多く残しているところでもある。貴重な地域であろう。
木國造荒河刀辨の「刀辨」は何と紐解くか?…、
刀(刀の形)|辨(地を治める)
現在の河口、大分県豊津市辺りの氾濫は絶え間なく、河流も大きく変化した経緯があるという。がしかし古事記に記載される地名を多く残しているところでもある。貴重な地域であろう。
比賣の在処も大河荒川沿いではなく、少し西側の英彦山山系が作る多くの谷間の一つに位置していたと推測される。図に示されているように有田川と東友枝川とが作る「津」これを「遠津」と表現したと推定される。(2018.04.22)