別天神五柱神・神世七代
天地開闢の記述と言われる段である。別天神と名付けられた五人の神と神世七代、計十二名の神々が登場する。正に神様であって古事記が神話を語る書物と言われる所以である。従来よりそう解釈されて来たでのであるが、少々視点を違えて紐解いてみようかと思う。何故なら古事記全般を通じて神様の名前は彼の居場所、役割(古事記の中で)、加えてその人となりを示しているからである。
この視点はこの「古事記通釈」を通じて変わらぬものであり、その解釈から得られた古事記が語る世界こそが本来の日本の古代を表していると信じるものである。従来の解釈としてネットで入手できる武田祐吉氏の訳を併記することにした。解説などは付帯されてはいないので訳文のみの読み取りになるが、時折ネット検索の結果も述べながら取り進めたく思う。
古事記原文[武田祐吉訳]…、
この視点はこの「古事記通釈」を通じて変わらぬものであり、その解釈から得られた古事記が語る世界こそが本来の日本の古代を表していると信じるものである。従来の解釈としてネットで入手できる武田祐吉氏の訳を併記することにした。解説などは付帯されてはいないので訳文のみの読み取りになるが、時折ネット検索の結果も述べながら取り進めたく思う。
古事記原文[武田祐吉訳]…、
天地初發之時、於高天原成神名、天之御中主神訓高下天、云阿麻。下效此、次高御產巢日神、次神產巢日神。此三柱神者、並獨神成坐而、隱身也。
次、國稚如浮脂而久羅下那州多陀用幣流之時流字以上十字以音、如葦牙、因萌騰之物而成神名、宇摩志阿斯訶備比古遲神此神名以音、次天之常立神。訓常云登許、訓立云多知。此二柱神亦、獨神成坐而、隱身也。上件五柱神者、別天神。
次成神名、國之常立神訓常立亦如上、次豐雲上野神。此二柱神亦、獨神成坐而、隱身也。
次成神名、宇比地邇上神、次妹須比智邇去神此二神名以音、次角杙神、次妹活杙神二柱、次意富斗能地神、次妹大斗乃辨神此二神名亦以音、次於母陀流神、次妹阿夜上訶志古泥神此二神名皆以音、次伊邪那岐神、次妹伊邪那美神。此二神名亦以音如上。
上件、自國之常立神以下伊邪那美神以前、幷稱神世七代。上二柱獨神、各云一代。次雙十神、各合二神云一代也。
[昔、この世界の一番始めの時に、天で御出現になつた神樣は、お名をアメノミナカヌシの神といいました。次の神樣はタカミムスビの神、次の神樣はカムムスビの神、この御三方は皆お獨で御出現になつて、やがて形をお隱しなさいました。
次に國ができたてで水に浮いた脂のようであり、水母(くらげ)のようにふわふわ漂つている時に、泥の中から葦が芽を出して來るような勢いの物によつて御出現になつた神樣は、ウマシアシカビヒコヂの神といい、次にアメノトコタチの神といいました。この方々も皆お獨で御出現になつて形をお隱しになりました。以上の五神は、特別の天の神樣です。
それから次々に現われ出た神樣は、クニノトコタチの神、トヨクモノの神、ウヒヂニの神、スヒヂニの女神、ツノグヒの神、イクグヒの女神、オホトノヂの神、オホトノベの女神、オモダルの神、アヤカシコネの女神、それからイザナギの神とイザナミの女神とでした。
このクニノトコタチの神からイザナミの神までを神代七代と申します。そのうち始めの御二方は獨立ちであり、ウヒヂニの神から以下は御二方で一代でありました]
1. 別天神五柱
高天原の「天」は「云阿麻」と註記される。冒頭の天地の「天」とは異なる意味を持つことが示されているのであろう。「アマ」と読んで「高天原」=「タカマガハラ」とされ、架空の存在説から現実にあった場所の比定まで、未だスッキリとはしていない。
[昔、この世界の一番始めの時に、天で御出現になつた神樣は、お名をアメノミナカヌシの神といいました。次の神樣はタカミムスビの神、次の神樣はカムムスビの神、この御三方は皆お獨で御出現になつて、やがて形をお隱しなさいました。
次に國ができたてで水に浮いた脂のようであり、水母(くらげ)のようにふわふわ漂つている時に、泥の中から葦が芽を出して來るような勢いの物によつて御出現になつた神樣は、ウマシアシカビヒコヂの神といい、次にアメノトコタチの神といいました。この方々も皆お獨で御出現になつて形をお隱しになりました。以上の五神は、特別の天の神樣です。
それから次々に現われ出た神樣は、クニノトコタチの神、トヨクモノの神、ウヒヂニの神、スヒヂニの女神、ツノグヒの神、イクグヒの女神、オホトノヂの神、オホトノベの女神、オモダルの神、アヤカシコネの女神、それからイザナギの神とイザナミの女神とでした。
このクニノトコタチの神からイザナミの神までを神代七代と申します。そのうち始めの御二方は獨立ちであり、ウヒヂニの神から以下は御二方で一代でありました]
1. 別天神五柱
高天原の「天」は「云阿麻」と註記される。冒頭の天地の「天」とは異なる意味を持つことが示されているのであろう。「アマ」と読んで「高天原」=「タカマガハラ」とされ、架空の存在説から現実にあった場所の比定まで、未だスッキリとはしていない。
天=阿麻
阿(台地)|麻(擦り潰された)
…凹凸が擦り潰されたような表面を持つ台地のことを示している。溶岩台地の凹凸が侵食作用で擦り潰され、決して平坦ではないが極端な凹凸もない地形を表現していると解釈される。玄界灘に浮かぶ壱岐島以外にこの地形を求めることは極めて困難であろう。
「高」は「高い」と読んで良いのだろうか?…天(ソラ)高く…そんな感じに読めるように記述されているが・・・。「天」=「擦り潰された台地」と「高い」とは矛盾する文字列となろう。「高」は「盛り上がった様」を象った文字とされ、「乾く」の意味は物が乾いて皺が寄った様から生じると解説される。即ち「広げた布に皺が寄ってできる筋目がある地形」を表していると思われる。「高天原」は、下図の壱岐の地形を文字にしたと解釈される。
「高」は「高い」と読んで良いのだろうか?…天(ソラ)高く…そんな感じに読めるように記述されているが・・・。「天」=「擦り潰された台地」と「高い」とは矛盾する文字列となろう。「高」は「盛り上がった様」を象った文字とされ、「乾く」の意味は物が乾いて皺が寄った様から生じると解説される。即ち「広げた布に皺が寄ってできる筋目がある地形」を表していると思われる。「高天原」は、下図の壱岐の地形を文字にしたと解釈される。
<壱岐> |
古事記は全編を通じて、漢字の文字列によって地形を示す…これを「地形象形」と名付ける…記述を行っていると読み解いた。従来より難解、意味不明などとして解釈されて来なかった文字列が本著の中で、活き活きと、それが伝えるところを示すのである。
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更に「可」=「𠀀(or丂)+囗」と分解すると「𠀀(or丂)」=「曲がった釘の様」とされ、文字形そのものであるが、地形象形的としては折れ曲がって流れる谷間の川の様子を表わすと解釈できる。これらを纏めると「阿」=「谷間に区切られた段丘」と読み解ける。
また他の解釈としては、段丘の端は地面は曲がって段差が生じ、台地形状になる。これらの解釈から、簡略に表現して「阿」=「台地」を表していると思われる。台地の周辺は谷間であり、またその内部に谷間を含むこともあり得るであろう。関連する文字に「豆」があるが、「豆」=「高台」と解釈する。
また「麻」の文字も頻度高く出現する。「麻」は249回、「摩」は32回で合せると計281回となる。「麻」=「广(屋根、建物)」+「𣏟(ハイ。アサの茎をならべ繊維をはぎとる様「林」とは別字」)と解説される。意味は…①植物の麻、②痺れる…であるが、派生した文字種が多数存在する。
摩(擦る、近接する)、磨(擦り減らす、擦り潰す)、魔(人の心をまどわすもの)、麼(小さい、細かい)、麾(差招く)、糜(かゆ)、縻(繋ぐ、縛る)、麿(まろ:国字)などの例がある。国字は別として、植物の麻から繊維として取り出し、布にする過程に基づく意味を示しているようである。
古事記は、これらの文字に対して「麻」を略字として表記していると思われる。上記の「阿麻」の「麻→磨」の解釈である。「多遲麻国」「夜麻登」「當麻」「當岐麻道」など、これらの文字列を何と解釈するのか、極めて重要な文字である。そしてこの「麻」を使って詳細な地形を表しているのである。
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1-1. 別天神:三柱神
この高天原に三柱神が現れたと記述される。天之御中主神、高御產巢日神、神產巢日神である。この神々の名前は何と読み解けるのであろうか?・・・。
①天之御中主神
御(束ねる)|中(真ん中を突き通す山稜)|主(真っ直ぐに延びた)
…「真ん中を突き通す山稜を束ねる真っ直ぐに延びたところ」に「天」に坐す神と読める。
<天之御中主神> |
しかしながら使われている文字をよく見れば、地形象形する場合に頻出する文字であることが判る。
解釈は「主」を何と読み解くか、であろう。「主」=「灯をともす皿の中の灯心」を象ったものと言われる。
それから「じっと立って動かない」様を表す文字として使われていると解説される。古文字を図中に示したが、これを「火を噴く山」の象形として用いたのではなかろうか。
古事記の登場する「柱」=「木+主」は「火山」を示すと紐解ける。ここでの「主」は「柱」を略した文字として使用されていると解釈すると…、
天之(阿麻の)|御(束ねる)|中(中にある)|主(火の山)|神
…「阿麻の中にある火の山を束ねる神」と紐解ける。天安河の上流部にある谷間、現地名勝本町本宮東触辺りと推定される。「神通の辻」を中心とする火山群、それが「天(阿麻)」の中心であることを伝えている。
「御中主」は、後に伊都之尾羽張神の「伊都」として記述される。「伊都」=「燚(イツ)」と紐解いた。正に「火」が束になった地形を示している。ご本人は登場しないがその存在感は十分に伺えるのである。
②高御產巢日神
上記と異なり、文字通りに読み下してもスッキリとは受け取れない文字列である。通説でも読み下した例は少なく、「本来は高木が神格化されたものを指したと考えられている。「産霊(むすひ)」は生産・生成を意味する言葉で、神皇産霊神とともに「創造」を神格化した神である」と言う説ぐらいであろう。
次の伊邪那岐・伊邪那美のように「神產巢日神」と対をなして「産む」神としての解釈であろう。伊邪那岐・伊邪那美と違って性別不明なことが引っ掛かるようでもあり、曖昧な状態である。
高(高所から)|御(束ねる)|產(生み出す)|巣(住処)|日(日々)|神
<高御產巢日神・神產巢日神> |
ならば一文字一文字を紐解いてみよう。「高」、「御」は上記に従う。
「高」=「広げた布に皺が寄ってできる筋目がある地形」及び「御」=「束ねる」である。
「產(産)」=「生え出る」と読む。「子を産む」の意味を示すが、地形象形的には「子」=「山稜から生え出た様」と読み解く。
「巢(巣)」=「寄り集まる」、「日」=「[炎]の地形」とする。
「日(炎)」はこの後古事記に頻出する文字である。「日」=「太陽」を象っている文字であるが、古事記は太陽を丸い形に捉えるのではなく、輝く[炎]のような姿として表している。更にその[炎]の形を山稜から延びる複数の小さな稜線を象ったと解釈する。
すると「高御產巢日神」は…、
高(皺の筋目がある地)|御(束ねる)|產(生え出る)
巣(寄り集まる)|日([炎]の地形)
巣(寄り集まる)|日([炎]の地形)
…「皺の筋目がある地が生え出て寄り集まる[炎]の地形を束ねるところ」に坐す神と紐解ける。図に示したように山腹に皺の筋が見える地に囲まれた地形を表していると思われる。この神は、後に高木神と別名を持っていたと告げられる。簡単な表記であり、坐していたのは最も南側の山稜(麓)と推定した。
③神產巢日神
神([雷]の形)|產(生え出る)|巣(寄り集まる)|日([炎]の地形)
…「[雷:稲妻]の山稜から生え出て寄り集まった[炎]の地形」に坐す神と紐解ける。この神の名前に二つの「神」の文字がある。間違いなく前者は「雷」であろう。上図に示した通り「稲妻」山稜が見出せ、高御產巢日神と全く同様の[炎]の地形が谷間を形成していることが分かる。
また「雷=雨+田」に分解できるとすれば、恵みの雨を誘起するという穀物を育てるには不可欠な存在、それを活用していた神であることを伝えていると推察される。
また「雷=雨+田」に分解できるとすれば、恵みの雨を誘起するという穀物を育てるには不可欠な存在、それを活用していた神であることを伝えていると推察される。
後述される須佐之男命の段に「天」を追い払われ、出雲に降臨する際、大氣津比賣神から食物を調達しようとする。その比賣神の身体から種々の食物が生えてくるのをせっせと神產巢日神が取り集めて種にするという記述がある。
また大国主命の段に常世国から神產巢日神之御子・少名毘古那神が登場する。大国主命に稲作技術を伝えに来たと紐解いた。その役割は、神產巢日神の名前に刻まれていたのである。
また大国主命の段に常世国から神產巢日神之御子・少名毘古那神が登場する。大国主命に稲作技術を伝えに来たと紐解いた。その役割は、神產巢日神の名前に刻まれていたのである。
1-2. 別天神:二柱神
次いで二柱神が登場する。「宇摩志阿斯訶備比古遲神、次天之常立神」と記される。この二柱神に割り当てられた役割は何であろうか?…名前に刻まれているのである。何とも奇妙な名前の持ち主から紐解いてみよう。
宇摩志阿斯訶備比古遲神に含まれる「阿斯訶備」=「葦牙」とされるようである。「牙」=「カビ」と読み、意味は武田氏の通り「葦の芽」、「芽」=「艹+牙」である。だがこの四文字だけを抜き取って読むとは思われない。
「阿斯訶備」も含めて文字を一文字一文字を解釈すると…「宇」=「谷間に延びた山稜」、「摩」=「細かく岐れる」、「志」=「之:川の蛇行の象形」、「阿」=「台地」、「斯」=「其(箕:分ける)+斤(斧:切る)」=「切り分ける」、「訶」=「言(耕地)+可(谷間)」=「谷間の耕地」、「備」=「整える」、「比」=「並ぶ」、「古」=「固:定める」、「遲」=「治水された田」を用いて紐解く(文字解釈は下記に補足)。
①宇摩志阿斯訶備比古遲神
「宇摩志」は…、
…「谷間に延びた山稜が蛇行する川で細かく岐れた地」と読み解ける。「阿斯」は…、
…「切り分けられた台地」と読める。「訶備」は…、
…「谷間の耕地が整えられた処」と読める。「比古遲神」は…、
…「田を並べて治水する」と紐解く。纏めると「宇摩志阿斯訶備比古遲神」は…、
…の神と解釈される。壱岐島でそんな場所は見つかるのか?・・・。
現在の地名が壱岐市芦辺町である。「葦」=「芦」違いは穂が出ているか否やとのこと。「アシ」で関連付けられているのかもしれない。
唐突に「葦」を持ち出さなくても地形を表す解釈となった。壱岐島の、決して山岳地形ではないが、台地形状の複雑な地形を、この長い名前で表現したものであろう。
更に読み落としてはならないことは「天=阿麻」が付かないことである。この地は「阿麻」ではなく「宇摩志阿斯」が特徴的な地形なのである。
後に物部氏の祖と伝えられる「宇摩志麻遲命」上記と同様にして春日の地に比定した。案外壱岐の「宇摩志」と繋がっているのかもしれない、何の根拠もないが・・・。
「斯(シ)」=「其(箕)+斤(斧)」と分解され、篩い分ける「箕」と切る「斧」から成る文字と解読する。表音に用いられる場合も含めて、計190回登場する文字の一つである。
「訶」=「言+可」となるが、「言」=「辛(刃物)+口」とされる。それを地形象形的には「大地から刃物で耕地を切り取る」と解釈する。類似する解釈が多数出現する。例えば、後に登場する月讀命、一言主神など。
「可」は上記の「阿(台地)」に含まれ、台地を切り取ったところは谷間となることから「台地を切り取った谷間の耕地」と解釈される。簡略に「訶」=「谷間の耕地」と読み解ける。「訶」もそれなりに多用されている文字(34回出現)であるが、地形を表現する上において重要である。
宇摩志阿斯訶備比古遲神に含まれる「阿斯訶備」=「葦牙」とされるようである。「牙」=「カビ」と読み、意味は武田氏の通り「葦の芽」、「芽」=「艹+牙」である。だがこの四文字だけを抜き取って読むとは思われない。
「阿斯訶備」も含めて文字を一文字一文字を解釈すると…「宇」=「谷間に延びた山稜」、「摩」=「細かく岐れる」、「志」=「之:川の蛇行の象形」、「阿」=「台地」、「斯」=「其(箕:分ける)+斤(斧:切る)」=「切り分ける」、「訶」=「言(耕地)+可(谷間)」=「谷間の耕地」、「備」=「整える」、「比」=「並ぶ」、「古」=「固:定める」、「遲」=「治水された田」を用いて紐解く(文字解釈は下記に補足)。
①宇摩志阿斯訶備比古遲神
「宇摩志」は…、
宇(谷間に延びた山稜)|摩(細かく岐れた)|志(蛇行する川)
阿(台地)|斯(切り分ける)
…「切り分けられた台地」と読める。「訶備」は…、
訶(谷間の耕地)|備(箙の形)
…「谷間の耕地が整えられた処」と読める。「比古遲神」は…、
比(並ぶ)|古(丸く小高い形)|遲(刃物の形)
谷間に延びた山稜が蛇行する川で細かく岐れたところ
台地が切り分けられた谷間の耕地が箙のような形をしているところ
並んだ丸く小高い地が刃物の形をしているところ
…の神と解釈される。壱岐島でそんな場所は見つかるのか?・・・。
<宇摩志阿斯訶備比古遲神> |
唐突に「葦」を持ち出さなくても地形を表す解釈となった。壱岐島の、決して山岳地形ではないが、台地形状の複雑な地形を、この長い名前で表現したものであろう。
更に読み落としてはならないことは「天=阿麻」が付かないことである。この地は「阿麻」ではなく「宇摩志阿斯」が特徴的な地形なのである。
後に物部氏の祖と伝えられる「宇摩志麻遲命」上記と同様にして春日の地に比定した。案外壱岐の「宇摩志」と繋がっているのかもしれない、何の根拠もないが・・・。
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<宇> |
「宇」は168回出現の重要な地形を象形する文字である。「宇」=「宀+于」であり、「宀」=「山稜が覆い被さる様」から、「山麓の谷間」とし、「于」=「弓なりに、ゆるく曲がる」意味から「宇」=「山麓の谷間で延び出る山稜」と解釈する。図に甲骨文字を示した。
古事記は文字の形を時には甲骨文字に求めるようである。そもそも象形の原型と見做せるであろう。山稜から段差があって長く裾野を延した地形を表していると伺える。
また「宀」のみで「山麓もしくは谷間」を示すように解釈される場合が登場する。これも略字を用いた場合と見做せるであろう。「宀(ウ冠)」の文字は多数出現する。多彩な表記に用いられていることが解る。
「志」は計209回登場する。この文字の解釈は後に記述される「志賀」から導き出され、中国「之江(シコウ)」に由来すると見て、「志」=「之(蛇行する川)」と紐解く。曲がりくねる川の流れを象形している。こちらに纏めた。この解釈が古事記全般を通じて妥当とするなら、天神一族は中国揚子江南岸に出自を持つ一族であることを暗示している。
「斯(シ)」=「其(箕)+斤(斧)」と分解され、篩い分ける「箕」と切る「斧」から成る文字と解読する。表音に用いられる場合も含めて、計190回登場する文字の一つである。
<言> |
「可」は上記の「阿(台地)」に含まれ、台地を切り取ったところは谷間となることから「台地を切り取った谷間の耕地」と解釈される。簡略に「訶」=「谷間の耕地」と読み解ける。「訶」もそれなりに多用されている文字(34回出現)であるが、地形を表現する上において重要である。
<古(小篆)> |
<古(甲骨)> |
古文字は図に示す通りであるが、「言」に極めて類似する形をしていて、大地を耕すイメージを持っていることが解る。また「比賣」の「賣」に含まれる「貝」は「孕む」象形で、女性を表すと解釈されている。
「比古」の「古」=「耕す(突く、衝く)」を示すことから男性の表記として用いられていることが解る。本著では上記のように「古(丸く小高くなったところ)」または「古(定める)」と訳すことにする。
「遲」は69回の登場。通常使われる文字の意味からすると多いように思われるが、全く異なる用い方である。「遲→治」であって「治水された(田)」を表すことが後に明らかとなる。古事記では同一場所を両方の文字で記述する。また「遲」=「辶+犀」と分解すると、「犀の角のような地」と解釈される。直接的にはこの地形を表していると思われる。
「治」=「氵+台」であって「台」=「ム(鋤)+口」となり、通常は川の水を鋤鍬で大地を掘って御する意味を表しているが、地形象形的には「水辺にある鋤のような地」と解釈される。「角」と見るか「鋤」と見るか、であろう。
このように古事記に記載される文字を、その原点に立ち戻り解釈する手法で読み解くことにする。ほんの数例を記述したが、主要なところはその都度付け加える。文字解釈の方法として、一部を例示した。
②天之常立神
天之常立神には「天」が付くので「阿麻」の神であろう。「常立」は何と読み解くか?…、
…「台地が立つ/盛り上がったところ」を紐解ける。壱岐島の北西部一帯を示すのであろう。上記の「常世国」には「天」は付かない。
後の天安河之河上之天堅石の考察から「炭焼の岩脈」が浮かび上がって来た。
溶岩が地層の割れ目に侵入して固まったものとある。「岩脈」=「大地が立った」表現であると解釈できる。
このように古事記に記載される文字を、その原点に立ち戻り解釈する手法で読み解くことにする。ほんの数例を記述したが、主要なところはその都度付け加える。文字解釈の方法として、一部を例示した。
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②天之常立神
常(大地)|立(立つ:盛り上がる)
…「台地が立つ/盛り上がったところ」を紐解ける。壱岐島の北西部一帯を示すのであろう。上記の「常世国」には「天」は付かない。
<天之常立神①> |
溶岩が地層の割れ目に侵入して固まったものとある。「岩脈」=「大地が立った」表現であると解釈できる。
「天之常立神」はこの岩脈に基づく神と推察される。彼らは岩脈を見て、大地の成り立ちは「立っている」と思い付いたのであろう。
「盛り上がる」よりももっと自然を直接的に捉えていたと思われる。また、それを見たままに表現したものであろう。
「勝」は「渡し舟」と「ものを上に持ち上げる」象形とある。「立」に繋がる意味を有していると思われる。
この地に天照大神と須佐之男命との宇気比で誕生した正勝吾勝勝速日天之忍穗耳命に含まれる三つの「勝」は「常立」に関連付けられるのではなかろか。更に「勝本町」も…上記した「芦辺町」も合せると「阿斯(アシ)」と現在の地名との関わりを伺わせるものと思われる。
<天之常立神②> |
後に登場する常世國に含まれる「常」の文字解釈と同様に、「常」=「尚+巾」=「向+八+巾」と分解する。
「向」=「北向きの窓に煙がたなびく様」として、「常」=「山稜が北に向かって延びて広がる様」と紐解ける。
「向」の文字の解釈は竺紫日向の解読で成遂げられた。実に難解な文字の一つである。「日向(ヒナタ)」とは無縁の地形を表していた。
「立」はの原義は「林」とされる。即ち「並」の旧字体が「竝」であるように「並び立つ様」を表している。纏めると…、
常(山稜が北に向かって延びて広がる)|立(並ぶ)
…「山稜が北に向かって延びて広がって並んでいるところ」を表していると読み解ける。意味を汲んで他の文字に置換えて解読することも一つの手法ではあるが、思い込みなどの錯覚を生じることになろう。文字そのもの解釈を併行することが肝要と思われる。
これら二柱神は壱岐島、特にその北半分を作り上げ、統治した神と伝えているのである。別天神五柱神はあくまで壱岐島に関わる神々であり、彼らの子孫が為したことを古事記が記述したというシナリオが貫かれていると思われる。芦辺町、勝本町とに二分される地域となっている。古事記冒頭の記述との深い繋がりを感じさせるものであろう。
2. 神世七代
神世二世代の二柱神と対となった五世代の十柱神の計十二名の神々が登場する。これらの神々は「成神」と記述される。「成」=「成し遂げる」即ち実行する神々という意味であろう。別天神五柱、中でも最初の三柱神の指示の下での実務担当の役割を担う神々である。
2-1. 神世二世代:二柱神
「國之常立神」と「豐雲野神」の二神と記され、「獨神成坐而、隱身也」単独で成し遂げる神であってその姿は見えない、というところであろうか。
①國之常立神
「常立神」は、上記と同じく北に向かって山稜が並ぶ地の神の意味であるが、「國」=「囲われた(ある特定の)地域」を示すと解釈される。大地に凹凸を付ける、山あり谷ありの地形を作り上げる神と理解できる。
すると天之常立神の北側の山稜が並んで北に流れる場所が見出せる。現在の勝浦浦とタンス浦の挟まれた地形を表していると思われる。
「隱身」である以上坐した場所を求めることは叶わないようであるが、図に示した城山の北麓辺りではなかろうか。間違いなく「天=阿麻」の地形ではなく、峰が続く山稜の様相である。
現地名は壱岐市勝本町坂本触である。従来説では「「国土が永久に立ち続けること」と解釈されたりしているが、曖昧なままであって、定説化しているわけではなさそうである。
②豐雲野神
「豐雲野神」はそのまま文字解釈を行うと…、
豐(段差のある高台)|雲(ゆらゆらと曲がって延びる)|野(平らな地)|神
…「云」=「雲」の象形である。「段差のある高台がゆらゆらと曲がって延びる麓の野原の神」と解釈できる。
この地形を探索すると谷江川が多くの川と合流する地点、後に「天津」と推定する場所の近くに見出すことができる。標高差約50mの山稜が作る長い谷間であり、極めて特徴的な地形を示している。この神も「隱身」である以上詳細を求めることは控えるが、おそらく谷間の奥の開けた場所だったのではなかろうか。
現地名は壱岐市芦辺町箱崎本村触である。上記二神の場所はそれなりの広域であることが解る。「隱身」とした所以かもしれないが、壱岐島の北部が徐々に開拓されて行った様子を伺わせているのであろう。
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「豐」は「豊かな」と読まれて来た。古事記は徹底して地形を表記する。後に伊邪那岐・伊邪那美の国生みで筑紫嶋の面四の一つに「豐国」があると記述される。「豊かな国」ではなく、上記の「段差のある国」と紐解ける。この豐国は「豐日別」とも記される。これは「豊かな日」=「南面」と解釈する。この自在な文字使いを読み解くことが古事記解読であろう。
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余談だが、1,300年経った今でも地震予知はお手上げ状態、毎年のように洪水・土砂崩れで尊い人命が失われる。今から1,300年後の人々は古事記の時代と現在とを僅かな差として捉えていることであろう。
2-2. 神世五世代:雙十神
五組十神が登場する。「隱身」とは記されず、いよいよ具体的な役割を担う神々であろう。一組づつ紐解いてみよう。
<宇比地邇神・妹須比智邇神> |
「此二神名以音」と註記されるなら一文字一文字解いてみる。「比」=「並ぶ、くっつく」、「地」=「うねって連なる土地」、「邇」=「延び広がる」を用いいて…「宇比地邇神」は…、
宇(谷間で延びる山稜)|比(並ぶ)|地(曲がりくねる)|邇(延び広がる)|神
…「谷間で延びる山稜が曲がりくねる地が延び広がって並んでいるところの神」となる。古事記に登場する最も基本的な地形である。
「地」=「土+也」から成り「也」=「蛇の象形」(うねって連なる様)と解説される。また、「地」=「田畑」の意味を示す。人が手を加え収穫を得るための土地を簡略に表現したものであろう。多様な意味を示す文字であるが、その原義に遡って使用されていると思われる。
要するに谷間を挟んで山稜が並んでいるが、広がらずにむしろ近付くような地形を表している。その地形を求めると図に示した現地名の壱岐市芦辺町江角触にある場所と思われる。
要するに谷間を挟んで山稜が並んでいるが、広がらずにむしろ近付くような地形を表している。その地形を求めると図に示した現地名の壱岐市芦辺町江角触にある場所と思われる。
「須比智邇神」は「須」=「州、洲」(川中にできる三角州)、「智」=「知+日」と分解される。更に「知」=「矢+口」(鏃)、「日(火)」とすると…、
須(州)|比(並ぶ)|智([鏃]と[火]の地形)|邇(延び広がる)|神
…「州(川中島)が並んで[鏃]と[火]の形の地が延び広がっているところの神」と紐解ける。「宇比地邇神」の南隣の谷間の地形を表していることが解る。「州」、「鏃」そして「火」の三つの地形が寄り集まった特徴ある場所であろう。古事記の表現に頻出する「以音」、「天=阿麻」で登場したように極めて重要な情報を与えてくれているのである。「音」としながら、これに用いられた「漢字」が重要なのである。
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「智」=「矢+口+日(曰)」=「矢を添えて祈り神意を知ること」と解説される。諸説があって日は「曰(モウス)」とも解釈される。現在の用法では「曰」の方が判り易いようではあるが、古事記は「日(太陽)」=「火(炎)」として解釈してると思われる。この用法が頻出することからも重要な位置付けと思われる。勿論「智」=「知恵」も重ねられている場合もあり、一文字の中に多様な意味を含ませていると思われる。
<角杙神・妹活杙神> |
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「角」「活」は何と解釈するか…「杙」と関連して…であろう。古事記は「木」を山稜の地形象形として表記する。山稜の広がり方を木の幹、枝で表すのである。詳細はこちらを参照。
「杙」=「棒」即ち棒状の、尾根の分岐が少ない、山稜を示していると思われる。とすれば、上記の二神は以下のような地形を表すのではなかろうか。
「角杙神・妹活杙神」は…、
…「柄杓の形の山麓の坂で閉じ込められたような地の隅で曲がりくねっているところの神」と紐解ける。「斗」の地形は容易に見出すことができる。上記の「宇摩志阿斯訶備比古遲神」の北側、現地名は壱岐市芦辺町大左右触である。
更に難解なのが「富」である。「富」=「宀+畐(酒樽)」と解説される。「宀」=「宇」=「山麓」と紐解ける。「酒(サカ)=境の坂(サカ)」(坂迎え、境迎え、酒迎えの故事に由来する:詳細は後に記述)と置き換えると「富」=「山麓の境の坂」と紐解ける。
「意富」は…、
…「山麓の境の坂がある閉じ込められたようなところ」と読み解ける。現在の北九州市門司区の地形を例示した。後に「出雲国」と比定する場所である。
山稜に囲まれた「斗」(柄杓)の地形を示している。少なくとも三方を山に囲まれた地勢なのである。
「斗」の底面は田が作られた「意」であり、境に向かう坂のある側面は「富」と表現される。「斗」はこの二つの面から成り立っていることを示しているのである。
また、「大」=「人+一」と分解すると…、
…の地形象形と読み取れる。取り囲む山並みがほぼ標高の揃った尾根を形成している地形を表している。
「斗」を形成する全ての山陵ではなく、山並みが整った部分と読めるであろう。故に「辨」が存在することになる。「大きい」と言う意味と重ねられた表現ではなかろうか。後に「大坂」「大山」などが登場する。全て複数の意味を含んでいると思われる。
上図の上部に小さな「斗」が見える。これも後に登場する由良能斗である。決して「意富斗」とは表記されない。詳細は仁徳天皇紀で述べる。
「於母陀流」とは如何なる意味であろうか?…「於母」=「面:地面」のようにも受け取れるが、「於」=「㫃+二」=「旗がたなびく様」、「母」=「両腕で抱える様」から「山稜に囲まれた様」と紐解くと「於母陀流神」は…、
角(二股に分かれた山稜)|杙(棒状の主稜線)|神
活(舌のように延びた山稜)|杙(棒状の主稜線)|神
…である。これだけ明確に記述されているからには、後はこれに合致する地形を探し出すのみ…なのであるが、やや山稜の高低差が少なく簡単ではなかった。辿り着いた場所は現地名壱岐市勝本町北触、谷江川の沿いの地と推定した。「杙」の地形が若干曖昧なようだが、「角」と「舌」の地形に救われたようである。「隱身」ではないのだが、坐したところは「角」及び「舌」の付け根辺りではなかろうか。
後に登場する「角鹿」=「二股に分かれた山稜の麓」と解釈される。特徴的な地形ではあるが、山と入江がある豊かな土地を示す表記であろう。尾根の先が二股もしくは平たく広がっている地形である。
③意富斗能地神・妹大斗乃辨神
「斗」=「柄杓」と紐解いた。古事記に「斗」の文字は延べ41回出現する。地形象形の表現として極めて多用された文字なのである。三方を山に囲まれて一方が海又は川に開口する地形が大半を占める。
右の甲骨文字の上部が椀状の部分、下部が柄の部分を示すと解説される。地形象形的には山稜の一部が大きく湾曲している状態を表すものと紐解ける。
それは実にその地を特定する上において有用であり、以降も幾度となく述べるように地名、番地など現在では当然と思われるものがなかった時代に編み出された手法である。
「意富」「大」は神世七代での記述だけでは「大きい」として読むことになろう。示される意味としては外れてはいない。だが、これらの文字は繰り返し登場し、より具体的な地形を示していると思われる。詳細は下記することにして、読み進めることにする。
「意富斗能地神」は…、
右の甲骨文字の上部が椀状の部分、下部が柄の部分を示すと解説される。地形象形的には山稜の一部が大きく湾曲している状態を表すものと紐解ける。
それは実にその地を特定する上において有用であり、以降も幾度となく述べるように地名、番地など現在では当然と思われるものがなかった時代に編み出された手法である。
「意富」「大」は神世七代での記述だけでは「大きい」として読むことになろう。示される意味としては外れてはいない。だが、これらの文字は繰り返し登場し、より具体的な地形を示していると思われる。詳細は下記することにして、読み進めることにする。
「意富斗能地神」は…、
意(閉じ込められた)|富(山麓の坂)|斗(柄杓の地)
能(隅)|地(曲がりくねる)|神
<斗> |
その東側の隅で「斗」の山稜が曲がって延びている場所を表していると思われる。「意富斗」の代表的な例が後に登場する「出雲国」であろう。古事記中最大の大きさを誇るところであり、また幾多のドラマが語れる場所でもある。
妹「大斗乃辨神」は何と解く?…、
大(平らな頂)|斗(柄杓の地)|乃(長く延びた山稜)
辨(切り分ける)|神
…「平らな頂から長く延びた山稜が「斗」を二つに切り分けたようなところの神」と読み解ける。二神の名前と地形との合致は、見事であろう。すっかり「隱身」ではなくなった、のかもしれない。
古代は「斗」の地に住み着き開拓し子孫を育んだことを示している。従来の古事記解釈に「斗」を柄杓の地形象形とした例は無いようである。このこと一つで、従来の古事記解釈とは決別することになる。
「意富」は兄妹の対で示されることから「大」と解釈したが、そもそもの文字の意味は何と紐解けるであろうか?…これは後の登場人物の名前から解読される。決して容易なものではない。
「意」は「心に思っている事、考え、物事に込められている内容」などである。抽象的な意味からでは地形象形に如何に繋がるのであろうか?…「意」=「音+心」と分解される。更に「音」=「言+一(or・)」と解説される。つまり、「言」に「一(or・)」を加えた文字(藤堂明保氏)となる。これから二通りの解釈ができるように思われる。
一つは、古事記では「言」=「辛(刃物)+口(大地)」であり、「刃物で切り開いた大地(耕地)」の象形と紐解いた。それに「一」(区画する)とすると、「音」=「刃物で切り開いた大地を田にしたところ」が導かれる。もう一つは、「・」(閉じる:口を窄める)では「音」=「刃物で切り開いた大地が閉じ込められたところ」と導ける。
地形象形的には「耕地」と「田」の区別より、「閉じ込められたところ」が適切のように思われる。「意」は後に多用される文字であり、古事記全体から判断しても、どうやら後者の解釈となるようである。「心」=「内にある」として「意」は簡略に表記して…、
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『意富』と『大』
「意富」は兄妹の対で示されることから「大」と解釈したが、そもそもの文字の意味は何と紐解けるであろうか?…これは後の登場人物の名前から解読される。決して容易なものではない。
「意」は「心に思っている事、考え、物事に込められている内容」などである。抽象的な意味からでは地形象形に如何に繋がるのであろうか?…「意」=「音+心」と分解される。更に「音」=「言+一(or・)」と解説される。つまり、「言」に「一(or・)」を加えた文字(藤堂明保氏)となる。これから二通りの解釈ができるように思われる。
一つは、古事記では「言」=「辛(刃物)+口(大地)」であり、「刃物で切り開いた大地(耕地)」の象形と紐解いた。それに「一」(区画する)とすると、「音」=「刃物で切り開いた大地を田にしたところ」が導かれる。もう一つは、「・」(閉じる:口を窄める)では「音」=「刃物で切り開いた大地が閉じ込められたところ」と導ける。
地形象形的には「耕地」と「田」の区別より、「閉じ込められたところ」が適切のように思われる。「意」は後に多用される文字であり、古事記全体から判断しても、どうやら後者の解釈となるようである。「心」=「内にある」として「意」は簡略に表記して…、
内にある閉じ込められたところ
…と解読される。
更に難解なのが「富」である。「富」=「宀+畐(酒樽)」と解説される。「宀」=「宇」=「山麓」と紐解ける。「酒(サカ)=境の坂(サカ)」(坂迎え、境迎え、酒迎えの故事に由来する:詳細は後に記述)と置き換えると「富」=「山麓の境の坂」と紐解ける。
「意富」は…、
意(閉じ込められたようなところ)|富(山麓の境の坂)
…「山麓の境の坂がある閉じ込められたようなところ」と読み解ける。現在の北九州市門司区の地形を例示した。後に「出雲国」と比定する場所である。
<意富斗・大斗> |
「斗」の底面は田が作られた「意」であり、境に向かう坂のある側面は「富」と表現される。「斗」はこの二つの面から成り立っていることを示しているのである。
また、「大」=「人+一」と分解すると…、
頂上が平らな山陵
…の地形象形と読み取れる。取り囲む山並みがほぼ標高の揃った尾根を形成している地形を表している。
「斗」を形成する全ての山陵ではなく、山並みが整った部分と読めるであろう。故に「辨」が存在することになる。「大きい」と言う意味と重ねられた表現ではなかろうか。後に「大坂」「大山」などが登場する。全て複数の意味を含んでいると思われる。
上図の上部に小さな「斗」が見える。これも後に登場する由良能斗である。決して「意富斗」とは表記されない。詳細は仁徳天皇紀で述べる。
於(たなびく旗の形)|母(山稜に囲まれた形)|陀(崖)|流(連なって延びる)|神
…「たなびく旗のような地の傍らで山稜に囲まれた地の崖が連なって延びているところの神」と紐解ける。「旗」、「母」の地形を探すと現地名壱岐市勝本町東触辺りに見出すことができる。
とりわけ「母」の懐にある崖が谷間に沿って長く延びている様が伺える。この地の特徴を捉えた表記であろう。「母」の文字もそれなりに使われている。例示すると黄泉国の豫母都志許賣、孝霊天皇紀の夜麻登登母母曾毘賣命など実に壮大な「母」が描かれている。
妹「阿夜訶志古泥神」は如何に読み解けるのか?・・・「阿(台地)」、「訶(谷間の耕地)」、「志(蛇行する川)」までは既に登場した。順次紐解いてみよう。
「夜」=「亦+夕」と分解され、「亦」=「谷間」、山稜から谷に川が流れている様を象ったと見做す。また「夕」=「三角州」と解釈すると、「夜」=「三角州のある谷間」と読み解ける。後にかなりの頻度で登場する文字である。簡略に「夜」=「谷」と訳す。例示すると夜麻登、迦具夜比賣などがある。
「古」=「頭蓋骨」とある(藤堂説)。地形象形的には「古」=「丸く小高い地」と読み解く。「比古」=「並べ定める」と解釈するが、この場合の「古」=「固」の意味を示すと思われる。地形を表すか動作を表すかで使い分けているようである。
難解な「泥」=「氵+尼」であって、更に「尼」=「尸+ヒ」と分解される。「尼」=「背中合わせの様、近付き離れる様」を象った文字と思われる。登場頻度は高くはないが、重要なところで使用されている。伊邪那岐・伊邪那美の国生みで登場する筑紫嶋の面四の一つ肥国謂建日向日豐久士比泥別、孝昭天皇の和風諡号、御眞津日子訶惠志泥命などがある。
阿(台地)|夜(谷)|訶(谷間の耕地)|志(蛇行する川)
古(丸く小高い地)|泥(近付き離れる)|神
最後に現れるのが・・・、
⑤伊邪那岐神・妹伊邪那美神
「伊邪那」=「誘う」と解釈されて来たようであるが、それに従う。上記の神々を「誘い導く」役割を担った神である。この二人によって具体的な場所に神々が導かれたと古事記が伝えている。大八嶋、六嶋の島生みの記述に始まる詳細な記述に繋がっていくのである。
・・・と、何となく分ったような気分となるのだが、古事記はそんな気分的な解釈は毛頭好んでいない、と確信する。ならばこの二神の出自の場所を何と伝えているのであろうか?…一文字一文字を紐解いてみよう。
「伊」=「人(谷間)+尹[|(区切る)+又(山稜)]」=「谷間(人)で区切られた(|)山稜(手)」、「邪」=「曲がるくねる様」、「那」=「平たく広がった様」、「岐」=「山+支」=「山稜が岐れる様」と解釈される。
後にこられの文字は頻度高く登場し、それぞれが地形を表す文字であることが分る。とりわけ多用される「伊」は極めて効果的な表記と思われる。本著を手掛け始めた頃には「小ぶり、僅かに、辛うじて」などの訳を与えていたが、立派な”地形象形文字”である。
これらを纏めると伊邪那岐命は…、
谷間に区切られた曲がりくねって平たく広がる山稜の端が
岐れているところの命
…と紐解ける。図に示した現在の壱岐島にある男岳の山稜を表していることが解る。「美」=「羊+大」=「二つの山稜に挟まれた谷間が広がる様」であり、これも実に多く用いられる文字の一つである。纏めると伊邪那美命は…、
谷間に区切られた曲がりくねって平たく広がる山稜の端の
谷間が広がっているところの命
…と紐解ける。男岳の南側の女岳の山稜を表していることが解る。上記の「意富斗能地神・妹大斗乃辨神」の北側に隣接する場所、現地名は壱岐市芦辺町釘ノ尾触(女岳)・本村触(男岳)となる。「隱身」ではないが、二命の坐した場所を特定するには至らないようである。
現在名男岳・女岳は山稜の端の地形に由来する名称であろう。後に彼等によって行われた国(島)生み、その六嶋の中に「女嶋、亦名謂天一根」と「知訶嶋、亦名謂天之忍男」の二島が登場する。響灘に並んで浮かぶ北九州市若松区に属する白島(男島・女島)と推定するが、それぞれの島の端の形状が類似する。ありのままの姿を表現したものであろう(詳細はこちら)。
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別天神五柱~神世七代の神々を纏めた図を示す。後に物語の主舞台となる「高天原」に覆い被さるような配置となっている。❶~❺:別天神五柱獨神、❻❼:神世七代(二柱獨神)、❽~⓱:神世七代(雙十神)
<天神十七柱> |
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冒頭の段として古事記の舞台、その基本の形を神の名前を通じて述べている。ここに登場した神々の名前も例外なく「古事記の表現方法」で読み解くことができる。実に周到な記述であることが示されている。
<目 次>