2018年11月26日月曜日

伊邪那岐の禊祓:神々=竺紫日向 〔286〕

伊邪那岐の禊祓:神々=竺紫日向


黄泉国を脱出した伊邪那岐は竺紫日向之橘小門之阿波岐原で禊祓を行う。それから実に多くの神が誕生したと伝える。最後に三貴神が伊邪那岐自らの身体から生まれ出て行くことになる。神名が意味するところなど、従来は全く理解されて来なったのが実情であろう。

この膨大で、一見ややこしい名前は何のために付けられたのか?…何故そうする必要があったのか?…問い詰められることもなく今日に至っているのである。竺紫日向、橘小門、阿波岐原でさえ闇の中に葬っている現状からすると当たり前のことかもしれないが、古事記は全て何かを伝えるために、難解と言われる名前を付けたのである。

禊祓を行った順に全ての神名を紐解いてみよう。
 
身之物から誕生した神

故、於投棄御杖所成神名、衝立船戸神。次於投棄御帶所成神名、道之長乳齒神。次於投棄御囊所成神名、時量師神。次於投棄御衣所成神名、和豆良比能宇斯能神。此神名以音。次於投棄御褌所成神名、道俣神。次於投棄御冠所成神名、飽咋之宇斯能神。自宇以下三字以音。次於投棄左御手之手纒所成神名、奧疎神。訓奧云於伎。下效此。訓疎云奢加留。下效此。次奧津那藝佐毘古神。自那以下五字以音。下效此。次奧津甲斐辨羅神。自甲以下四字以音。下效此。次於投棄右御手之手纒所成神名、邊疎神。次邊津那藝佐毘古神。次邊津甲斐辨羅神。
右件自船戸神以下、邊津甲斐辨羅神以前、十二神者、因脱著身之物、所生神也。
[その投げ棄てる杖によつてあらわれた神は衝き立つフナドの神、投げ棄てる帶であらわれた神は道のナガチハの神、投げ棄てる袋であらわれた神はトキハカシの神、投げ棄てる衣であらわれた神は煩累の大人の神、投げ棄てる褌であらわれた神はチマタの神、投げ棄てる冠であらわれた神はアキグヒの大人の神、投げ棄てる左の手につけた腕卷であらわれた神はオキザカルの神とオキツナギサビコの神とオキツカヒベラの神、投げ棄てる右の手につけた腕卷であらわれた神はヘザカルの神とヘツナギサビコの神とヘツカヒベラの神とであります。以上フナドの神からヘツカヒベラの神まで十二神は、おからだにつけてあつた物を投げ棄てられたのであらわれた神です]

❶衝立船戸神

伊邪那岐が身に着けていたものから神が誕生する。「杖」からの「衝立船戸神」は…、
 
衝立(突き立てた)|船戸(船が出入りする戸口)|神

…「杖」を柱にして「突き立てた柱がある船の出入り口」の神となる。澪標と同じく水脈(水路)を示すものであろう。当時は「州」の近隣が船着き場とする場合が多かったと推測されるが、水脈の在処は着船するには極めて重要であったろう。禊祓の場所は「阿波岐原」飛沫の盛んな水辺の場所である。

これは上記の「橘小門」の別表記であろう。「門」は船の出入りするところと解釈される。深く入り込んだところは船着き場としての機能を十分に果たしたと推測される。

❷道之長乳齒神

「帯」からの「道之長乳齒神」は…「道」=「辶+首」と分解して、「首」地形の場所と思われる。「首」の地形は下図<首>を参照。
 
道之(首の地形)|長(長い)|乳歯(綺麗に並んだ稜線)|神

<禊祓>
…図<首>に示した地形に類似する場所が見出だせる。下記の「道俣神」に隣接するところと推定される。

図に示した禊祓の場所を中心として竺紫日向の詳細な地形を表していると思われる。引き続き誕生した神々を紐解いてみよう。

❸時量師神

囊」からの「時量師神」は…、
 
時(時間)|量(測る)|師(専門家)|神  

…「囊」からもの出すのに掛かる時間で時を測った、と解釈するのであろうか?(砂時計のような)。従来より「時」を司る神様のように解釈されている。全般的な神を特定の禊祓の地で誕生させるとは到底思えないのだが・・・。

「師」は後に登場する師木などに含まれ「諸々(小さな凹凸)の地」と解釈される。この」時量師神」も何らかの地形象形をしていると思われる。では何と紐解くか?…「時」=「日+寺」と分解され、「日が進む」と解説されている。

「寺」は、勿論、寺院の意味に使われるのは後代のことであり、「止め(ま)る」の意味を示のだが、一方で「之(進む)」の意味を併せ持つと解釈されている。「シ」の音で繋がっているとも言われるようである。静と動の対立概念を持つ文字と思われる。漢字の成立ちに関連して実に興味深いところでもある。「時」は…、
 
日(炎)|寺(之:進む)

…「炎のように揺れ曲がりながら進む様」と紐解ける。安萬侶コード「之(蛇行する川)」の象形と併せて矛盾のない結論と思われる。「量」=「液体を注ぎ込む」が原義とある。「時量師神」は…、
 
時(蛇行する川)|量(流れ込む)|師(凹凸のあるところ)|神

<禊祓で誕生した神①>
…「蛇行する川が流れ込む凹凸のあるところ(干潟)」の神と解釈される。これこそ禊祓の場所「阿波岐原」のことを指し示していると思われる。

「橘」のような谷川から流れ出て来た川の河口を示すには、「囊」から誕生したとして納得できるものであろう。

また禊祓の地「阿波岐原」は広大な汽水湖があったところと推定した。

邇邇藝命の禊祓から時が計られ始めた、とでも言うのであろうか・・・何とも文字遊びとしか受け取れないような感じなのだが・・・。

「時」も昼・夜を繰り返して流れて行く。それと川が蛇行するする形「之」とを重ねて用いていると思われる。古事記の自然観が出ているようである。存在するもの全てが決して直線的に進むのではなく、蛇行し、捻れながら進むことの理解である。
 
まさか、あの螺旋構造を!?
 
❹和豆良比能宇斯能神

衣」からの「和豆良比能宇斯能神」は…、
 
和(ゆったりと曲がる)|豆(高台)|良(なだらかな)|比(並ぶ)
能(の)|宇(山麓)|斯(蛇行する川)|能(の)|神

…「衣」が広がって「ゆったりと曲がっていて、なだらかな高台が並ぶ麓にある蛇行する川」の神となる。上図の橘小門の左手にある山麓を示しているようである。既述した日子坐王の御子「丹波比古多多須美知能宇斯王」が登場する。この「宇斯」と繋がるのである。


<首>
❺道俣神

褌」からの「道俣神」は…ここまで詳細に具体的に神を述べて来て、単に「道の俣」とは到底思われない。

上記と同様に「道」=「辶+首」に分解すると…「首の俣」海に面して大きく凹んだところの奥にあるところであろう…、
 
道(首の形)|俣(奥の付け根)|神

…両足の象形であろう。谷の奥が更に二股に分かれている地形が見出だせる。見事に合致した表現であることが判る。

彦島向井町と記されたところが神の居場所と思われる。褌」からできたとして上出来の配置であろう。図では少々分かり辛いが台地が刳り取られて「首」の地形になったところは多く見られ、古事記に幾度か登場するのである。


<飽咋之宇斯能神>
❻飽咋之宇斯能神

冠」からの「飽咋之宇斯能神」は少々ややこしい解釈となるようである。「飽」=「食+包」と分解される。

「食」=「人+良」=「なだらかな山麓」、これは讃岐国の謂れ飯依比古の解釈と同様である。

「包」=「勹+己」であり、蛇行する川(己)が囲まれて(勹)でいる様を表していると読み解ける。

「咋」=「口+乍」で通常は「食らう」という意味であるが、「乍」=「削ぎ落とす」の意味を用いていると思われる。
 
飽(なだらかな山麓の蛇行する川を囲むところ)|咋(削ぎ落とす)
之(の)|宇(山麓の)|斯(蛇行する川)|能(の)|神

…「なだらかな山麓を流れる川の河口を囲むところが削ぎ落とされたような地形になっている蛇行する川の神」と紐解ける。図に示したところが急斜面の山麓に挟まれた河口となっていることがわかる。

「ノ」と読める文字が二つ、「之」と「能」。前者は間違いなく「ノ」であろうが、後者は「能」=「熊」=「隅」の解釈も成り立つようである。「山麓で蛇行する川の隅」…ならば現在の山崎神社辺りが、一に特定された表記と思われる(上図<飽咋之宇斯能神>参照)。

「冠」については少々補足を要する。冠の部位は下図のように解説されている。部位名称の由来は定かではないが、天辺に甲(山)があり、額、磯、海と山のある島の象形のような名付けである。

形状から判るように河口を挟む地形は冠の様相である。二つの冠の間を流れる川を傍らに坐した神と思われる。生まれの素性は、かなり確かなものと思われる。

❼奧疎神・奧津那藝佐毘古神・奧津甲斐辨羅神

左御手之手纒」からの「奧疎神」は…、
 
奥(沖の)|疎(遠く離れた)|神 ⇒???
 
…註記(於伎=オキ=沖)に従って読むと上記のようである。沖だから遠く離れている?…沖と被る解釈となり、意味が通らない。「奥疎」は「手纒」から生じているのなら「山」の地形と関連するように思われるが・・・。

「於伎」は何と解釈するか?…「於」=「㫃(旗の原字)+二(区切り)」と分解される。「㫃」=「竿に付けられた旗がなびく様」を象った文字と解説されている。地形象形的には主稜線から延びた枝稜線がなびくように延びる様と読み解ける。「伎」=「人+支」=「谷間で分れる、離れる様」と読んで来た。すると「於伎」は…、
  
旗がなびく様に延びた山稜が区切られ谷間で分れたところ

…と紐解ける。下図を参照すると、北に向かう[炎]の山稜がところどころで区切られた様子を示している。内陸の「奥」にある配置に加えて、「於伎」は地形を表現する文字列であることが解る。

「疎」=「𧾷+束」と分解する。「速秋津」の「速」=「辶+束」と同じ扱いにしてみると、「足」=「伸びた山稜」を束ねた地形と解釈される。後の神倭伊波禮毘古命の段に足一騰宮が登場する。伸びた山稜の端が一段高くなっている様を表現したと解釈できる。
 
奥(離れたところ)|疎(山稜の束)|神
 
…「離れたところにある複数の山稜が束になっている地」の神と紐解ける。禊祓の地から遠く離れたところは竺紫日向の最南端であろう。戸田山を中心とした山稜の場所と推定される。手纒」の地形象形として納得できるものであろう。古事記中には「疎」の文字はこの段のみである。残念ながら検証は叶わないのであるが・・・。

上記の場合と同様である。続いて「奧津那藝佐毘古神」は…、
 
奥津(離れたところの津)|那藝佐(渚)|毘古(田を並べて定める)|神

…「奥津」と一纏めにしたが、「於伎」にある「津」=「川と海の合流地点」を意味する。戸切川が古遠賀湾に接するところと思われる。そこが「渚」であろう。更に「奧津甲斐辨羅神」は…、
 
奥津(離れたところの津)|甲斐(山に挟まれた)|辨羅(花弁が連なる)|神

…「奥津」は上記と同じ。「花弁」は「甲斐」を作る斜面が整った山腹を表すと解釈される。この空間は人が住まうのに好適であり、それが複数ある重要な地点であることを告げているのである。

❽邊疎神・邊津那藝佐毘古神・邊津甲斐辨羅神

次いで「右御手之手纒」からは「邊疎神、邊津那藝佐毘古神、邊津甲斐辨羅神」が誕生する。「奥=離れたところ」に対して「邊」=「近いところ」である。それ以下の神名は同様の解釈であろう。


<禊祓で誕生した神②>

図に「奥」「邊」の神々の場所を示した。「邊」は矢矧川流域が該当すると思われる。解けると、その見事さに感動!…である。

この帰結は禊祓の地の比定の強力な傍証になっていると判る。古事記はその地を繰り返し伝えているのである。

後に邇邇芸命が降臨する竺紫日向之久志布流多氣(現在の孔大寺山系)の麓に伊邪那岐の禊祓の地があったと読み解いた。

間違いなくこの地域に多くの渡来があったと思われる。そして「天」の天神一族が移り住んで来たところである。

しかしながら遠賀川河口付近の土地は狭い。豊かな水田にするには当時の「技術」では叶わぬ夢物語であったろう。古事記を通読すると、河口付近の開拓までには及んでいないことが窺い知れる。宗賀(蘇我)一族がそれを為し得た地は全く稀有の場所であったのだろう。いや、だからこそ彼らが圧倒的な財力を有することになった、と思われる。

滌御身で生まれた神

於是詔之「上瀬者瀬速、下瀬者瀬弱。」而、初於中瀬墮迦豆伎而滌時、所成坐神名、八十禍津日神訓禍云摩賀、下效此。、次大禍津日神、此二神者、所到其穢繁國之時、因汚垢而所成神之者也。次爲直其禍而所成神名、神直毘神毘字以音、下效此、次大直毘神、次伊豆能賣神。幷三神也。伊以下四字以音。
[そこで、「上流の方は瀬が速い、下流の方は瀬が弱い」と仰せられて、眞中の瀬に下りて水中に身をお洗いになつた時にあらわれた神は、ヤソマガツヒの神とオホマガツヒの神とでした。この二神は、あの穢い國においでになつた時の汚垢によつてあらわれた神です。次にその禍を直そうとしてあらわれた神は、カムナホビの神とオホナホビの神とイヅノメです]

「八十禍津日神」「大禍津日神」は…「八十=多くの」「大=大きな」として「禍津日神」は…、
 
禍(災い)|津(集まる)|日(日々の、日常の)|神

…「津日=~の神霊」と訳されるようであるが、敢えて意味を加えてみた。「汚垢」から生じた神と伝える。神直毘神、大直毘神、伊豆能賣神」が「禍」を直す神として挙げられる。
 
神(雷:稲光)|直(真直ぐ)|毘(助ける)|神
大(大きな)|直(真直ぐ)|毘(助ける)|神
伊豆(膨らんだ凸の表面)|能(の)|賣(生み出す)|神

…前二者は「禍(摩賀:マガ)」を真っ直ぐにするのを助ける神と解釈できる。「毘」を「日」に置き換えることは誤りである。「豆」は「禍」によって「表面が凹凸ができて曲がった状態」を示すものと紐解ける。中に含まれた「禍」を「賣=中にあるものを外に出す」、膿を絞り出すような様相を表していると思われる。古事記表記の肌理細やかさであろう。

上記のように「禍」に対応する神々として解釈することができるようであるが、地形を表す「神」「伊豆」「毘」などの文字が並んでいるようでもある。かなり後の段になるが允恭天皇紀に「味白檮之言八十禍津日前」として明らかに地名(地形)を示す表記が登場する。地形を表す表現として紐解いてみよう。

❶八十禍津日神・大禍津日神

「八十」=「八(谷)+十(十字に)」=「谷が十字に交差したところ」、「禍」=「頭蓋骨のような形をして丸く小高くなったところ」、「日」=「炎の地形」、「大」=「山頂が連なる尾根からの谷間が広がったところ」とすると…「丸く小高い凸部が集った炎の地形の傍らにある」…、
 
谷が十字に交差したところ
尾根からの谷間が広がったところ

…と紐解ける。
<禊祓で誕生した神③>

❷神直毘神・大直毘神

「神」=「稲妻の形」「大」は上記と同様とし、「直」=「従う」、「毘」=「田を並べる」とすると…、
 
稲妻の形に従って田を並べる
尾根から広がる谷間に従って田を並べる

…と紐解ける。

❸伊豆能賣神

そのままの表記で…「伊」=「僅かに」、「豆」=「高い台地(高台)」、「能」=「熊(隅)」及び「賣」=「生み育てる」とすると…、
 
僅かに高い台地の隅で生み出す神
 
<禊祓で誕生した神(全)>
…と読み解ける。これらの神々の名前は日向の典型的な地形(耕作地)を示していると気付かされる。

汚垢」の禊祓から誕生した神々、それは稲作には欠かせない「汚泥」に繋がるものであろう。

安萬侶くんが伝えたかったのは、やはり、竺紫日向の地の詳細であったと判る(⓲⓳については後日に述べる)。

実に興味深いことに現在の行政区分と重なるのである。遠賀郡岡垣町の東は遠賀郡遠賀郡であり、南は宗像市となっている。

北の湯川山から始まる孔大寺山系は、南へぐるりと回って東へ向かい、そこから北上する。竺紫日向の地はこの山塊と響灘・古遠賀湾に囲まれた地域であることを示している。海面水位に相違はあっても古事記の時代と今も変わらぬ地形なのである。

古事記は、それをあからさまに表現することなく記述した。地形に従った耕作のやり方、それぞれに堪能な神を周到するとは筋の通ったことである。ものの捉え方に「上中下」を持って来ることに通じるであろう。

葦原中国(出雲)、竺紫日向に降臨した伊邪那岐は、その地を天神達の統治する場所としたのである。周到に、そして精緻なまでに語られる物語を読めて来なかったことに忸怩たる思いである。