2018年11月12日月曜日

隱伎之三子嶋 〔280〕

隱伎之三子嶋


全く欠落していた島名解釈であった。「隱伎之三子嶋」とは何を意味しているのであろうか?…伊豫之二名嶋の次とくれば現在の地島(宗像市地島)辺りで、何となく三つの山から成り立っているように見えるから三子嶋と名付けたか・・・そんな程度の解釈であった。
 
<隱伎之三子嶋①>
「隱」は…「伎」=「人+支(分かれる)」として…、
 
隱(隠す)|伎(分れる)

…「分かれたところを隠している」と紐解ける。「伎」の解釈は「伊伎嶋」と同じ解釈である。

「人」=「人がしたように」と付加することも可である。

「三子嶋」=「分かれたところ」と思われる。隠れたとは?・・・何を意味するのか?・・・。


海中の地形を調べると、宗像市鐘崎の海岸近くにまで隆起したところが列島状に並んでいることが解った。

<隱伎之三子嶋②>
現在も最も浅いところで水深1m、当時としては数mの海面下にあったと推定される。

これを「隱伎」と呼んだのであろう(参照:みんなの海図)。詳細はこちら

後に大国主命の段に登場する。「三子嶋」こそ「海和邇」が並んだ姿を表していると解釈することになる。

そこでは「淤岐嶋」と記述される。
 
泥が溜まった洲が分かれた島

…と紐解ける。

まさに「洲」の状態を表していると思われる。謂れは天之忍許呂別と記される。「忍許呂別」は…、
 
忍(目立たない)|許(傍らに)|呂(連なった)|別(地)

…「目立たないが傍らに連なったところがある地」と紐解ける。古事記の「許呂(コロ)」として読むこともできるが、本来の意味は上記のようである。

この島が後の大国主命の段で登場する「菟」、「氣多之前」など重要なキーワードが登場する。「菟」=「斗」(柄杓の地)の表記である。「菟」の住処を示すのである。「海和邇」も含めて、詳細はこちらを参照願う。