2018年10月12日金曜日

日爪の糠 〔269〕

日爪の糠

「日爪」の文字は、意祁命(仁賢天皇)が娶った「丸邇日爪臣之女・糠若子郎女」と天國押波流岐廣庭天皇(欽明天皇)が娶った「春日之日爪臣之女・糠子郎女」で登場する。既に「日爪」の示す地形は紐解いたのであるが、比賣の名前に「糠」が付く。通常の意味は米糠は別として「ごく小さいこと、虚しい」などを表すものであろう。

人名として少々違和感のあるところであったが、今日まで手付かずの状態、やはりきちんと紐解いておこうかと思う。前記と重なるところも含めて述べる。
 
丸邇日爪臣之女・糠若子郎女

丸邇系の娶りが急増した模様、と言うか絶えることなく比賣の供給場所であったと告げている。従来より解説される葛城・丸邇の確執のようでもあるが、意祁命は葛城の市邊之忍歯命の御子である。古事記を豪族間の確執で読み解こうすることに拘りがあり過ぎても問題であろう。素直に受け止めて先に進む。「日爪」は…、
 
日([炎]の地形)|爪(山稜の先端)

…「[炎]の地形が山稜の端にあるところ」と紐解いた。丸邇にある山稜の端であり、現在の田川郡香春町柿下原口辺りとした。
 
<丸邇日爪>
比賣の名前が「糠若子郎女」と記載される。糠のように細かいイメージであろうが、場所を特定する表現ではない。

「糠」=「米+康」と分解されるが、更に「康」=「广+隶」とすると「广(崖)+隶(追い付く)」と紐解ける。「糠」は…、
 
崖が引っ付くような地形で米を作るところ

…と解釈される。図に示したように御祓川が流れる崖の谷間を表していると思われる。

解けてみれば決して複雑な地形を示すものではなく、寧ろ特徴的な、現在からすると人が住めるのか?…のような狭い場所であった。

隶」は「逮捕」の文字に含まれるように「追い付く」という意味を示すと解説される。上記では「引っ付く」と訳したが、そのまま山陵が別の山陵に「追い付く」の方が躍動感ある訳になるかもしれない。が、少々散文的になり過ぎて遠慮申し上げた。漢字を知り尽くした安萬侶くんの為せる技、であろうか・・・。

現在も香春町柿下と赤村内田の行政区分となっている。古代の人々の佇まいを色濃く残している地、地形が変わらなければ引き継がれて行くものなのであろう。

丸邇の春日侵出は、ちょっと穿った見方かもしれないが、娶りと御子の活用、嘗ての天皇家と同じ戦略のように思われる。土地を開拓し、子孫を増やして広がって行くという自然の流れに従っているのであろう。その裏に人々の鬩ぎ合い、葛藤する姿もが浮かんで来るが、寡黙な古事記からではこれ以上は口を紡ごう。
 
春日之日爪臣之女・糠子郎女
 
<春日之日爪>
仁賢天皇が娶った「丸邇日爪臣之女・糠若子郎女」と隣り合わせの場所、正に鬩ぎ合うような位置関係である。

丸邇と春日がそれぞれ我が地としようと伺っていたのかもしれない。古事記編纂時には両者併記でバランス?…を取ったのかもしれない。

御禊川を挟んで鬩ぎ合う…いや、大切な川を共有していたのであろう。


「丸邇日爪臣之女・糠若子郎女」の文字列、それだけでは気付かなかったが、丸邇は「糠若子郎女」で春日は「糠子郎女」で少々異なる。

「若」が付くか付かないかの異同がある。若い、若くない・・・ではないであろう。

「子」は一体何を意味しているのであろうか?…拡大した図を示す。
 
<糠若子郎女・糠子郎女>

「日爪」を拡大すると丸邇と春日では爪の形が異なることに気付く。

春日之日爪は山陵の端ではあるがくっきりと分かれた地形である。一方丸邇日爪は山稜が繋がったままの地形であることが判る。

「子」=「生まれ出る」と解釈できるから、山陵の端から生まれ出たところが「若」=「成り切れていない」状態を示していると読み解ける。

恐れ入った、と言うしか言葉がない有様である。ものの見事に日爪の地形を表している。

逆にこの地形が今日まで変わらずに保たれていることに驚かされるのである。

寶王・亦名糠代比賣王

沼名倉太玉敷命(敏達天皇)が伊勢大鹿首之女・小熊子郎女を娶って「寶王・亦名糠代比賣王」が誕生する。伊勢からの娶りは極めて珍しい。この時代になって伊勢の地にも御子を育てられる財力が蓄えられて来たことを伝えている。大河の紫川の下流域に属する地であるが、稀有な出来事と思われる。

現在に至っては広大な耕地を有する中流域となっているが、未だ治水が及んでいなかったのであろう。遠賀川と同じく下流域の開拓はずっと後代になってからと推測される。

<伊勢大鹿首の比賣と御子>
大鹿首
 
「大鹿」は大きな鹿の生息地ではなかろう。「大鹿」=「大きな山の麓」…ひょっとすると鹿もいたかもしれないが…上記の如く伊勢がある福智山山麓を示していると思われる。

「首」=「囲まれた凹の地」を示す。今に残る下関市彦島の「田の首」の表現に類似する。纏めると…、
 
大鹿(大きな山の麓)|首(囲まれた凹地)

…と紐解ける。この特異な地形を求めると、現在の北九州市小倉南区蒲生にある虹山と蒲生八幡神社に挟まれたところと推定できる。

採石場が近接し、かなり地形は変化しているが「首」の形を留めていると思われる。下図及び俯瞰図を参照。
 
<伊勢大鹿首俯瞰図>
「小熊子郎女」は紫川の蛇行の「熊=隅」、それが「小」=「小さく」、「子」=「突き出たところ」と解釈される。

八幡神社の近傍であろう。御子に「布斗比賣命、次寶王・亦名糠代比賣王」が誕生する。
 
布斗=布を拡げたような柄杓の地

…「首」の中を示すと読み解ける。次いで「寶」=「宀+玉+缶+貝」と分解すれば…、
 
寶=宀(山麓)|玉・缶(高台)+貝(谷間の田)

…「山麓の高台にある谷間の田」があるところに座している王と読み解ける。別名の「糠代」の「糠」が登場する。

上記の丸邇・春日之日爪の「糠若子郎女」「糠子郎女」で、「糠」=「崖が引っ付くような地形」と紐解いた。虹山と鷲峯山の麓の崖が作る地形と推定される。実に類似した地形を示している。ここでも「細かな田」の意味も含まれているであろう。丸邇・春日之日爪の場合と同様に決して広い場所ではない。

「爪」、「糠」及び「若」共に微妙な地形を表す表記であることが読めた。まさに驚嘆すべき文字使いである。