2018年3月2日金曜日

速須佐之男命の後裔:その弐 〔177〕

速須佐之男命の後裔:その弐


古事記の本文は何世代も先の大国主命の説話を延々と記述する。国作りに難儀した彼の元に少名毘古那神、挙句には大物主大神まで登場させる。要するに大国主命は出雲を完全には掌握し切れていなかったと告げているのである。そのところに唐突に速須佐之男命の御子である「大年神」の後裔の記述が実に簡明に、と言うか簡単に、羅列されて行くのである。

下記にその背景を推測するが、古事記の編者達がかなりの配慮をした記述ではなかろうか。それだけにこの段はいつもより更に精度高く読み解く必要があるように感じられる。従来は神々の名前が並んだところを読み解いたとは到底思えない有様かと思われる。いつもに増して編者達の捻くれた文字遣いが炸裂しているようである。

古事記原文…、

故、其大年神、娶神活須毘神之女、伊怒比賣、生子、大國御魂神、次韓神、次曾富理神、次白日神、次聖神。五神。又娶香用比賣此神名以音生子、大香山戸臣神、次御年神。二柱。又娶天知迦流美豆比賣訓天如天、亦自知下六字以音生子、奧津日子神、次奧津比賣命、亦名、大戸比賣神、此者諸人以拜竈神者也、次大山咋神、亦名、山末之大主神、此神者、坐近淡海國之日枝山、亦坐葛野之松尾、用鳴鏑神者也、次庭津日神、次阿須波神此神名以音、次波比岐神此神名以音、次香山戸臣神、次羽山戸神、次庭高津日神、次大土神、亦名、土之御祖神。九神。上件大年神之子、自大國御魂神以下、大土神以前、幷十六神。

右図に系譜を示した。神と命を合わせて十七名の御子が誕生する。全てを紐解くことにする。

前記したが関連するところは…、

又娶大山津見神之女、名神大市比賣、生子、大年神、次宇迦之御魂神。二柱。宇迦二字以音。

…「大年神」は速須佐之男命と神大市比賣との間に生まれた神である。母親の居場所から始めることにする。

Ⅱ. 神大市比賣

大山津見神の比賣であるなら、山麓、しかもその中でも中心となる山の麓と推測されるが…、


神(稻妻の形をした山稜)|大(意富)|市(祭祀の場所)|比賣

…「稻妻の山稜の麓で意富の神を祭祀するところ」の比賣となる。現在の戸上神社がある辺りではなかろうか。地名は門司区大里戸ノ上である。


Ⅱ-1. 大年神

大(意富)|年(稲、成熟した穀物)

「年」=「禾+人」であり、稲の収穫を示す文字と解釈されている。意富における稲作の地に居た神と思われる。櫛名田比賣の御子、八嶋士奴美神が肥河の傍らであるならこの神は南方にある州の近隣に居たと思われる。戸ノ上山山塊に多くの谷間があるがそこから流れ出る川、現在名では、例えばみどり川、十田川などが見つかる。これら複数の川が極めて多くの州を形成していたと推定される。

地形的な表現が含まれていず、また実際の地形も特徴が少ないようで一に特定することは叶わないが、現地名の門司区稲積辺りと推定される。その広さ、また現在の行政区分との一致は不詳であるが、現在よりも大きな傾斜地であったと推測される。御子達の居場所と併せてその範囲を決める方法を採る。弟(妹?)が居た…、


Ⅱ-2. 宇迦之御魂神

「宇迦」は既に紐解いた文字で、大国主命の説話で「宇迦能山」として登場する。


(山麓)|(出会う)=山の稜線が複数寄集っている様

…と解釈された。勿論同じ場所を示しているものと思われる。少し横道であるが、神倭伊波禮毘古命が宇陀で「兄宇迦斯・弟宇迦斯」と一悶着するが、それにも登場する。「山麓で蛇行する川を会わせる」=「山麓で蛇行する川に道を作る」兄弟と紐解ける。「迦」は真に便利な文字なのである。「御魂」とは?…


御魂=御(傍らで従う)|魂(玉のような山)

…と紐解く。通して「山麓が寄り集まる玉のような山に寄り添ったところ」の神と読み解ける。これはかなりの捻った文字使いであるが、その玉のような山がある。現在「桃山」と呼ばれている。大年神の南~東側、現在の門司区上藤松・緑ヶ丘・上馬寄と思われる。

「御霊」と読んでも良いように掛けた言葉である。捻くれた文字使い、いよいよ開始ではなかろうか…しばらく後に再度登場する。娶りと御子の紐解きに入る。通説では女神とされるが、果たして?・・・。

Ⅱ-1. ①神活須毘神之女・伊怒比賣

「神活須毘」は既に紐解いた文字の列であろう。順次置き換えてみると…、


神(稻妻のような山麓)|活(舌の形)|須(州)|毘(並んだ田)

…となる。前記の「神大市比賣」などと同じ山麓でその形が舌のようになっているところ…現在の門司区城山町辺りと思われる。後代では「波多毘」と言われるように谷間の州である。故に「伊怒」=「僅かばかりの野」の比賣と解釈できるであろう。御子が「大國御魂神、次韓神、次曾富理神、次白日神、次聖神」と列挙される。




大國御魂神

「御魂」は上記に準じると…、


大國(大国)|御(傍らで従う)|魂(玉のような山)|神

…「出雲にある玉のような山(桃山)の傍らで従う」神と紐解ける。現地名は門司区大里桃山町辺りと推定される。神宿る山:戸ノ上山山頂への「戸口」の一つである。上記も含めて地形的に特徴ある場所であり、特定が容易となるが故に「玉」を使わなかったのであろう。何故であろうか?・・・。


韓神

大年神の御子が「韓国の神」となる?…三韓統一の神?…あり得ない。それを知ってて使った文字であろうが、これも少々捻れている感じである。

「韓」=「井桁」を意味する。すると後の八上比賣が木の俣に残して去った「御井神」と重なるのだが…。現地名は門司区大字大里、緑ヶ丘の谷筋を登ったところである。下流に広がる「年」の地への重要な水源があった場所と思われる。


曾富理神

「京城」が出て来る所以である。確かに「韓」と来て「曽富理」だから…これは決定的に捻れた表現であろう。そう読めるようにも記述している。

「富」=「宀+酒樽の象形」と解説されている。古事記で頻出する「酒」=「坂」とすると「富」=「山麓の坂」と紐解ける。「理」は…「理」=「王+田+土」から成り「連なり区画された耕地」の象形から発生した文字と言われる。「曾富理」は…、


曾(重なる)|富(山麓の坂)|理(整えられた田)

…と紐解ける。「山麓の坂に段々に重なり整えられた田」の神と解釈できるであろう。現地名は門司区大字大里、上藤松(一)の谷筋を示していると思われる。現在も複数の堰が設けられているようであり、急傾斜の斜面で階段状に作られた田があったところと推測される。上記と同じく「年」の地への重要な水源があった場所である。

「曾」「富」「理」の三文字、それぞれの成り立ちから紐解かねば伝わらない表現であった。だがそれが分かれば決して奇想天外な記述ではなく、古代にあったであろう現実が浮かび上がって来るようである。それにしても「京城の古名」を匂わせるような文字使い、意図的、と思われる。


白日神

「白日」は「白日別」に接するところであろう。現在の門司区大字大里、上藤松(三)の谷筋の上と思われる。


聖神

「聖なる神」ではなかろう?…よくぞ見つけて来たよ、この文字を…という感じである。「聖」=「耳+口+王」に分解できる。多用される「耳」=「耳の形」、そして「口」=「田」、「王」=「人」を表すとすると…、


聖神=聖(耳の形のところに人が田を作る)|神

…となるが、果たしてそんな地形はあるのか?…現在の門司区光町・青葉台辺りである。後に御諸山の大物主大神が「陶津耳命之女・活玉依毘賣」を娶ったと記述される。古事記は語らないが何らかの繋がりがあったのではなかろうか。上記を纏めた図を示す。



后が住まう地に神子達が居たのではなく父親の近隣である。稀有なケースなのでるが、上図から判るように「神活須毘」は狭く、后の名前「伊怒」と記述している。「大年神」は出雲の南部の開拓に邁進したのであろう。

「大年神」の居場所は上図のような範囲であったあろう。八嶋士奴美神の御子である布波能母遲久奴須奴神」は叔父二人と従兄弟達に取り囲まれた配置になる。それが何を意味するのか…彼は肥河の比賣を娶って後裔は移って行くことになる。

余談だが、「宇迦之御魂神」は「女神」とされている。伏見稲荷大社の主祭神とのことであるが、これも少々捻れた感じである。上記の紐解きからでは女神も稲荷神もその影は伺えないようである。

Ⅱ-1. ②香用比賣

出自が不明でこの文字だけで解釈しろ、ということなのであろうか…既に紐解いたように「香」=「禾+白(モウス)」である。神を祭祀することを意味すると判ると…、


香用比賣=香(神を祭祀する)|用(役立てる、供える)|比賣

…「神を祭祀し、供える」比賣と解釈される。既に登場した「神=稻妻」が付かないところを探すと「瀧の観音寺」がある場所を示すのではなかろうか。麓は門司区不老町(二)とある。御子に「大香山戸臣神、次御年神」と記される。


大香山戸臣神・御年神

「大国の香山の登り口の臣神」という解釈であろう。上記の麓辺りと思われる。御年神とは「収穫を御する」と読み解くと神への祭祀と繋がるであろう。稲作に関連する神への祭祀行事を司る神々であったと推察される。



Ⅱ-1. ③天知迦流美豆比賣

脚注に「訓天如天」と記される。「天=阿麻」ではないということであろう。まさか「テン」?…と思いつつ紐解いてみよう。「流美豆」から見ると…、


流美豆=流(広がる)|美(見事な)|豆(凹凸のある地面)

…であろう。「知迦」は何を意味するのか?…凹凸の地面が続くのであれば、と気付き…、


知迦=知(鏃の形)|迦(合せる)

としてみる。「知」=「矢+口」=「矢の口(鏃)の形」に分解したことに基づく。どうやらここまででは「鏃の形を凹凸の地面で繋ぎ合わせる」の意味を示しているようである。


奧津日子神・奧津比賣命

御子が「奧津日子神、次奧津比賣命」と記述される。既に登場の「秋津」に関わる名前と判る。「火の津」の河口付近・・・これで解読可能となった。「天」=「火の文字の上部(頭部)」を指し示していると紐解ける。「天知迦流美豆」を通して見ると…、


天知([火の頭]の[鏃])|迦(合せる)|流美豆(広がる見事な凹凸の地面)

…「火の文字の頭部が鏃の形をしたところを広がる凹凸の地で繋ぎ合わせる」比賣と解釈される。現地名は宗像市神湊であり、釣川の河口付近の場所と比定される。下図を参照されたいが「段天」という地名がある。その由来は不詳であるが「天」の所以を知りたいところでもある。

「秋津」を「火の津」と解釈することの妥当性を示していると思われる。それにしてももっと簡単な表現方法もあったと思われるが、古事記作者の戯れかな?…「奥津比賣命」は「亦名、大戸比賣神、此者諸人以拜竈神者也」と追記される。


大戸比賣神(竈神)

「大戸」=「大斗」柄杓の地を表す。それを「竃」と人々が言ったと述べる。それは「八雲」立つ、即ち「煙」立つと言い換えたのである。この比賣の出自が「火」の津、「火の粉(子)」が「竈」に入り、煙が立ち昇る、何ともよくできた筋書きであろうか・・・宗像と出雲、倭国ができ上がる前にそれぞれの意思を実行して国を作っていたところなのであろう。古事記はそれを「美」に記述していると思われる。


<天知迦流美豆比賣と御子>

大山咋神(山末之大主神)

更に御子が続く…「大山咋神、亦名、山末之大主神」の大物が現れる。出雲国を飛び出た神であり、その行き先は倭国に近付く地であると伝える。二つの名前を持ち、坐した場所も二つある活躍をされた神である。その場所は「近淡海國之日枝山、亦坐葛野之松尾」と記述される。

突然倭国の地名が出現する。この記述だけでは到底突き止めることは不可能で後代の記述に依存する。ここでは概略の結論のみに留めることにする。

・近淡海国之日枝山

「近淡海国」は現在の行橋市、京都郡みやこ町・苅田町辺りが該当するところである。玄界灘・響灘に面するのではなく周防灘に一部に接し、倭国の中心に近接するところである。古事記の中で発展する地であってその初期は蛇行する複数の川がある入江の「難波」の地であったと思われる。

「日枝山」は入江の奥まった中央にあり中心の地点にあったと推定し、現在の行橋市上・下稗田辺りにある小高いところとした。現在の日吉神社、比叡山それらの根本となる地と推定した。「稗田阿礼」と深く関わる地と思われるが、不詳である。

・葛野之松尾 

「葛野」は「吾勝野」と呼ばれた地域(現在の田川郡赤村赤)にある場所と比定した。その中で「松尾」は赤村赤の岡本という地名とした。近淡海国と同様、未開の地であったと思われるが「用鳴鏑神」と言われるように武力を背景とした侵出を行ったようである。

これらは後に記述される倭国の中心、即ち大倭豊秋津嶋への侵出の布石であり、その周辺が示された最初の例である。





庭津日神・庭高津日神

多彩多様な文字使いに少々悩まされるが…「庭」=「◯内」であろう。本来は「广+廷」で屋根付きのようであるが…いや、その本来の意味を採用する。


庭(高)津=庭(山麓にある囲われた平地)|(高い)|津(川の合流点)

…戸ノ上山の山麓を探すと「寺内」という地名が見つかる。そして低いところと少し山麓を上がったとことで所望の地形が見出せることが判る。



阿須波神・波比岐神・羽山戸神

これらの名前を以下のように紐解いた。


阿須波=阿(台地)|須(州)|波(端)

…「州の端にある台地」であろう。現地名は門司区大里東(一)、海に接するところと思われる。


波比岐=波(端)|比(並ぶ)|岐(分かれる)

…「端にあって分かれて並ぶところ」と紐解ける。上記の北側にある台地、現地名は門司区矢筈町である。共に肥河の河口付近に居た神と伝えていると思われる。


羽山戸=羽山(端の山)|戸(登り口)

…「端の山(風師山)の登り口」の谷間と思われる。現在の門司区羽山であろう。小森江貯水池のあるところである。



香山戸臣神・大土神(土之御祖神)

「香山戸」とは上記外の戸ノ上山の登り口を意味していると思われる。現在も門司区城山町からの北麓からの登山道が記載されている。おそらくは類似のルートがあったのではなかろうか。

次の大土神の解釈は「土之御祖」から考察すると岩石の集積所ではなかろうか?…古事記の作者は岩が砕かれて石、砂、土へと状態を変えていくことを理解していると思われる。現在も採石場の場所が鹿喰峠付近にある。川を流れて砕けて土となることを示しているようである。

上記の図に重ねて表示すると…、



羽山戸神については更にその後裔の記述が続くが、次回としよう。それにしても捻れた表現の連続である。この「大年神」の子孫の記述は挿入されたような記述である。難解さもあって詳細に読み解かれて来なかったようでもある。出雲が如何に早期から朝鮮半島との繋がりが深かったか、日本海海流文化圏形成の論拠のような解釈が大手を振っている。更には出雲が現在の島根地方にあったことを示すものとまで妄想されて行く。

上記の難解な…と言うよりむしろ多重に意味するような、凝った文字使いに翻弄されることなく紐解けば出雲のことがいくらかでも理解できそうである。大国主命の後裔を纏めてみよう・・・。