大山津見神・野椎神の神生み:八神
続いて大山津見神と鹿屋野比賣神とが更に神を誕生させると記述される。野山の更に詳細な地形が加わるのではなかろうか。順次紐解いてみよう。
此大山津見神・野椎神二神、因山野、持別而生神名、天之狹土神訓土云豆知、下效此、次國之狹土神、次天之狹霧神、次國之狹霧神、次天之闇戸神、次國之闇戸神、次大戸惑子神訓惑云麻刀比、下效此、次大戸惑女神。自天之狹土神至大戸惑女神、幷八神也。
[このオホヤマツミの神とノヅチの神とが山と野とに分けてお生みになつた神の名は、アメノサヅチの神・クニノサヅチの神・アメノサギリの神・クニノサギリの神・アメノクラドの神・クニノクラドの神・オホトマドヒコの神・オホトマドヒメの神であります。アメノサヅチの神からオホトマドヒメの神まで合わせて八神です]
天之狹土神・國之狹土神
文字通りにそのままの解釈で読み解くと…、
狭土=狭(狭い)|土(地面)
…山に挟まれたところ、峡谷であったり、後に登場する「甲斐」のように山で挟まれた地形を示していると思われる。「天」「國」も同様なのであるが、「國」に居場所がありそうな大山津見神が「天」の神を生んでることになる。不合理ではないが、こんな例もあるということか…。
天之狹霧神・國之狹霧神
狭霧=狭(狭い)|霧(切戸・切通)
…深く鋭角に山稜が抉られた場所を表すところである。隧道の技術がない時代山稜を跨ぐには切り通し、両脇が崖となった地を利用するしか方法はなく、またその場所を切り開いて人が住まうようになったと推測される。現在の山岳用語の「キレット:稜線がV字に凹んだ箇所」はこの切戸が由来との説もある。
風の神が生まれたのだから霧もある、ではないであろう。山と野の神だけではなく、水の神が加わって初めて霧の発生が納得される。それにしても接頭語と接尾語にしてしまう解釈、枕詞と同様、古事記が伝えようとする意味を見失ってしまう元凶である。苦し紛れの解釈なのであろうが、それならばあっさりと不詳とすべきで余計な解釈をしないことである。「天」「國」は上記と同じ。
後に「天狹霧神」が登場する。溶岩台地の「天」に切通がある?…と一瞬戸惑うのであるが、ありました。参考に下記する。大国主命の子孫が「比比羅木」に移り、更に「天」に舞い戻って来たと伝える段である。
下図の城山と右手の小高いところとの間を「切戸・切通」と紐解いた。地名は勝本町西戸触と記されている。「戸」は「切戸の戸」を示すものであろう。そこを通れば勝本港へ下ることになる。外科病院があるのも洒落てて面白い…。
壱岐島の北部が舞台なら勝本港は必ず登場する筈…と思っていたが、こんなところでのお目見えであった。ここに居たのはこの神の比賣「遠津待根神」である。少々脇道に入り込んでしまったので、この辺りで・・・。
天之闇戸神・國之闇戸神
「闇戸」=「洞穴」であろう。自然発生的なもの、人為的に作られたものも含めていると思われる。穴掘りは後述する「朱」の産出に関わる極めて重要な技術となる。「穴太部」はその技術集団と解釈した。開化天皇紀には「沙本之大闇見戸賣」という后も登場する。「闇」の示すところは同じと思われる。「天」「國」は上記と同じ。
大戸惑子神・大戸惑女神
「惑」=「麻刀比」と註記される。「惑」=「一定の区域を囲み動く」これは「惑星」で用いられる場合の意味である。「惑」=「纏」と置き換えると…、
大戸惑=大(大きな)|戸(斗:柄杓の地)|惑(山裾に纏わり付く地)
…と紐解ける。後の「纏向」と同様の表現と解釈される。「大戸」を変わらず大きな戸口としていては全く伝わらない記述であろう。大山津見神と野椎神は山塊にある地形の細部に関わる場所の神々を生んだのである。特に山稜に挟まれ山並みの隙間を活用した地形、洞穴、切通し、隧道そして彼らにとって重要な「斗」の山裾の野など、実にきめ細やかな記述と思われる。
通説は迷い子の神格化…確かに古事記は奇想天外で神話ムード一杯の読み物…古事記がそうなのではなく読者が迷い子なのである。ご丁寧に男女の神とされている。