2017年12月25日月曜日

安閑天皇:伊波礼に坐した最後の天皇 〔143〕

安閑天皇:伊波礼に坐した最後の天皇


<本稿は加筆・訂正あり。こちらを参照願う>
神武天皇、神倭伊波禮毘古命によって切り開かれた「伊波禮」の地に後代の天皇達が坐していく。そこは倭国の中心、畝火山(現香春岳)の麓そしてその山の神を祭祀する場所として「伊波禮」の地としたと紐解いた。再掲すると…


伊波禮=伊(神の)|波(端:ハタ)|禮(高台)

伊邪本和氣命(履中天皇)の「伊波禮之若櫻宮」、白髮大倭根子命(清寧天皇)の「伊波禮之甕栗宮」及び袁本杼命(継体天皇)の「伊波禮之玉穗宮」である。



福岡県田川郡を流れる金辺川、御禊川、呉川に囲まれた場所である。沖積の進行、治水の整備等徐々に豊かな地になりつつあったところと推察される。

上図を見ると「甕」のもう一方の端が空いている。古事記の「完璧」さを思うと欠けたままにする筈がない、いずれご登場なさるのでは?…心配するには及ばず、であった。


勾之金箸宮

御子、廣國押建金日命、坐勾之金箸宮、治天下也。此天皇、無御子也。乙卯年三月十三日崩。御陵在河之古市高屋村也。

近淡海国から招聘した継体天皇の尾張連等之祖凡連之妹・目子郎女を娶って誕生したのが廣國押建金日命、後の安閑天皇である。「勾之金箸宮」に坐したが后も御子もなく僅か数年で逝去される。当然記述も一行余りで終わる。が、関連するところは決して少なくないのである。母親の出自から述べてみよう。

・尾張連等之祖凡連

尾張連は既出で尾張国に関連するのであるが「凡連」の文字は初出である。「凡」は天照大神と須佐之男命の誓約で誕生した天津日子根命「凡川内国造」の祖となったという記述に使われている。川内の中で種々の国に分かれている、未だ川内国そのものの領域が確定していない為に全体を表す意味で使われたのであろう。

とすれば「凡連」も尾張国の種々の「連」を取り纏めて表現したものではなかろうか。時代の変化と密接に関連する言葉使いと思われるが、少々古事記解釈から逸脱しそうなので、これ以上は足を踏み入れないことにする。ネット検索すると「凡」の意味について考察された例が見出される。調べてみたい項目ではあるが・・・尾張連を統括する立場ぐらいに理解しておこう。

・目子郎女

上記の比賣で「目子郎女」=「メコイラツメ」と訓読されるようである。それ以上は紐解けない状況である。


目子=マナコ

と読み下す。「目」は全体を示し、「子」はその中にある黒目の部分を示すのが本来の言葉使いであったと言われる。その地形象形と思われる。さて、尾張国にそんな地形が残っているのか?…これが見事に現存しているのである。



尾張国の中心地、その近隣である。国土地理院の色別標高図が無ければ到底見出すことは不可能な地形である。その北側は広大な団地となっている。山が削られては地形は残らない。背筋に寒さを感じる思いである。黒目の東麓に「目子郎女」が居たと推測される。

余談だが、倭建命が立寄った尾張国造の比賣「美夜受比賣之家」もこの近隣だったであろうか・・・。いずれにしても尾張は早期より天皇家と深い関わりをもった地域であったと思われる。

さて、「勾之金箸宮」は「甕」の空席の端を埋める場所であろうか?…「勾」は「甕」の形を表現している。また現存する地名からも間違いなく「甕」の場所を示している。「金箸」を如何に紐解くか、である。更に…、


箸=端

…とすると甕のもう一方の端を示している。

「金」は何と解釈できるのであろうか?…更に分解して「金」=「八+王(概略で表示)」と…、


金=八(八の形で覆う)+王(神を祭祀するための柱)

…となる。ここは伊波禮の地、八の字をした神を祭祀するところとなる。これを組合せて地形象形したと読み解ける。漢字の原点、見たまんまの表現である。再度地図を掲示すると…


ここまで来ると、やはり見事としか言い表しようがない有様である。現地名「勾金」の地にあった倭国の中心「伊波禮」、その全容を抽出することができたと思われる。本ブログで古事記の紐解きを初めてほぼ一年が経つ。漸くにして解明できた、と感慨深いものがある。


河內之古市高屋村

御陵は「河之古市高屋村」と記される。「古市」=「古くからの交通の要所」と紐解いて、河内にある現在の行橋市長尾、椿市と呼ばれる近隣ではなかろうか。南には小高い山があり「高屋」を示すものと思われる。尚、この地のほぼ真東に「毛受」がある。




娶りの説明がないのは后がなく、御子も無く、逝去されたとのことである。早々に兄弟が後を引き継ぐことになる。しかしながら、まだまだ皇位断絶の危機の影が残っていたようである。古事記最終章に向けて紐解きは断絶することなく・・・。

…全体を通しては「古事記新釈」を参照願う。