2017年9月24日日曜日

孝元天皇:内色許比賣 〔101〕

孝元天皇:内色許比賣

孝元天皇の娶りに抜けがあった…というか文字の持つ意味が読取れていなかった。反省を込めて書き足して置くことにする。

古事記原文…

大倭根子日子國玖琉命、坐輕之堺原宮、治天下也。此天皇、娶穗積臣等之祖・內色許男命、此妹・內色許賣命、生御子、大毘古命、次少名日子建猪心命、次若倭根子日子大毘毘命。

內色許賣命

御子に大活躍の説話が記述される大毘古命、次期天皇となる若倭根子日子大毘毘命(開化天皇)の名前などが見える。それらは別途のところを参照願う。

「内色許」とは何を意味しているのであろうか?…「色許」は既に何度か目にしている言葉である。大国主命の別名「葦原色許男大神」に含まれている。

読み飛ばして来たが、「色」=「華美、女性の美しい容貌」「許」=「目立つ(際立つ)状態になる、盛んになる」を選択してみると…、


色(華美)|許(際立つ)

…「華やかで美しいものが一層際立っている」ちょっと長ったらしいが、こんなところであろうか。いや、こんな浮部のことを伝えているとは到底思えない。

地形象形の筈である…「色」=「人+巴」と解説される。「巴」=「渦巻く、曲がりくねる」蛇の象形文字である。「許」=「元、下、所」として…、


色(渦巻く地形)|許(下)

…「渦巻く地の下」と読み解ける。「壹比韋」(現地名田川郡赤村内田山の内)のことを述べているのである。

「色許賣(シコメ)」と読んで「醜女(シコメ)」と解釈?…以ての外である。

初見では「內・色許男命」=「内の色許男命」「內・色許賣命」=「内の色許賣命」と読むと解釈したが、「内」=「内側」として…、


内色・許=内側が渦巻く地形・下(元)

…と紐解ける。「内色」=「壹比韋」となろう。

後に登場する言葉も含めて、邇藝速日命が降臨した香春三ノ岳、坐した場所の戸城山、宇遲、春日、日子国、これら邇藝速日命の関連する場所の比定を確信するに至った。




と同時に古事記を紐解くことの難しさも痛感する。この簡明な記述、一語たりとも油断ができない状況であることをあらためて思う。しかしそれは古文書を読み解く時には当たり前のことであろう。三国志であろうが全てについて言える。そしてその難解さを乗越える、姑息な手段ではなく、努力がこれからも必要なのであろう。

先代旧事本紀などを横目で眺めると「内色許賣命」は後にまで太后として生き永らえたとのことである。歴史の表舞台からは消えたのであろうが、その血は末長く天皇家に繋がったのである。彼らがいつ、どこで生き、何を感じたか、その事実を覆い隠すこと、してはならないことである。

前後の物語は「古事記新釈」を参照願う。

…と、まぁ、もっと大事なことを見逃している?・・・。