伊邪那岐・伊邪那美【神生み】
大八嶋及び六嶋が生まれて引き続き多くの神が生まれる。別天神五柱の神々によって、「天」の地は①隆起した台地、②山麓の葦が茂る治水された水田の二つの地形に特徴があることが判った。その地に三名の指導者が居たことも示された。
更に神世七代の神々によって「國」…「天」に対して不特定の「大地」を意味する…にも①隆起した台地 ②雨雲が覆う平らな土地があることが知らされた。
加えて③山麓及び州の近傍に並ぶ田畑、④山稜の端が長く延びたり、分かれたりしたところ、⑤柄杓の形をした三方を山稜で囲まれた地、⑥崖のある台地及びその近傍の田畑の地形が示された。これらは古事記の時代に人々が衣食住を満たした地形であったと告げているのである。
このことは人々が如何に山麓に寄り添い、そこから流れ出す蛇行する川(下流で州を形成)の近傍に日々の基盤を置いていたことを表していると思われる。神々の名前に「志:之(蛇行する川の象形)」「須:州」が多用されることからも伺えるものである。
最後に登場するのが伊邪那岐・伊邪那美神である。彼らはその名前の通りに「誘い導く」役割を担った神である。そして更に詳細な彼らにとって必要な地形を記述するのである。古事記記述の一貫性を信じて膨大な数の神々を紐解いてみよう。
古事記原文[武田祐吉訳](以下同様)…
既生國竟、更生神。故、生神名、大事忍男神、次生石土毘古神訓石云伊波、亦毘古二字以音。下效此也、次生石巢比賣神、次生大戸日別神、次生天之吹上男神、次生大屋毘古神、次生風木津別之忍男神訓風云加邪、訓木以音、次生海神、名大綿津見神、次生水戸神、名速秋津日子神、次妹速秋津比賣神。自大事忍男神至秋津比賣神、幷十神。
[このように國々を生み終つて、更に神々をお生みになりました。そのお生み遊ばされた神樣の御名はまずオホコトオシヲの神、次にイハツチ彦の神、次にイハス姫の神、次にオホトヒワケの神、次にアメノフキヲの神、次にオホヤ彦の神、次にカザモツワケノオシヲの神をお生みになりました。次に海の神のオホワタツミの神をお生みになり、次に水戸の神のハヤアキツ彦の神とハヤアキツ姫の神とをお生みになりました。オホコトオシヲの神からアキツ姫の神まで合わせて十神です]
大事忍男神
伊邪那岐・伊邪那美神から生まれた最初の神である。「事」=「神に仕えること、捧げること」が原義のようである。前記と同様に「大」=「平らな頂の山」、そして「忍」=「人目から隠れた、一見では分からない」、「男」=「田+力」=「田を作る、耕す」とすると…、
大(平らな頂の山)|事(神に捧げる)|忍(隠れた)|男(田を耕す)|神
…「平らな頂きの山で神に捧げる隠れた田を耕す」神と紐解ける。冒頭の神に別天神五柱の大神を祭祀する神を置いたのではなかろうか。
神が坐しているところは急峻な頂きではないようである。「忍」と記されるように密やかな行いなのである。通説では「大仕事を為した後に生まれた神」もしくは間違って記述したなどと言われるが、神の食い扶持を先ずは確保であろう。
神が坐しているところは急峻な頂きではないようである。「忍」と記されるように密やかな行いなのである。通説では「大仕事を為した後に生まれた神」もしくは間違って記述したなどと言われるが、神の食い扶持を先ずは確保であろう。
石土毘古神
通説では「石・土の男神」とされる。そのままの解釈でも意味は通じるようであるが、「毘古」を紐解くと…、
毘(田を並べる)|古(固:定める)
…となる。「男神」と記述しないことを受けると、単に「岩・土」というモノ(物質)の神ではなく…「石土毘古神」は…、
石土(岩の土地)|毘古(田を並べ定める)|神
…「岩のある地に田を並べ定める神」と解釈され、大地に田を作る神を意味すると思われる。
石巢比賣神
上記の石土毘古神と対を成すような女神とされ、砂の神、堅固な住居の神などと言われるが果たしてそうであろうか?…「比賣」も併せて紐解くと…、
石巣(岩が寄り集まる)|比(並べる)|賣(生み出す)|神
…と解釈される。「比」=「並べる、接する」である。「賣」=「孕む、生み出す」の意味を持つ。「多くの岩があるところで畑を並べて作物を生み出す神」の意味となる。尚、古事記は「毘」と「比」を使い分けているようである。前者は「水田」、後者は「畑」として解釈する。
「大戸」は「家の戸口」を示すのであろうか?…自然の地形、造形物に関する記述の流れからは受け入れられない。「大戸」=「大斗」であろう。「戸」を「柄杓」の形に模したものと見做したのであろう。
「日別」の文字は「筑紫嶋之面四」で登場した「白日別」「豊日別」から類推すると「方位」を示すようでもあり、「時を識別する」ような解釈ができそうである。
が、記述の流れからすると、やはり何らかの地形を表しているのではなかろうか。既出の「日(炎)」とすると…、
大戸(大斗)|日([炎]の形)|別(土地)|神
…「大斗の[炎]の形をした山麓の地」の神と紐解ける。前出の意富斗能地神の中で山稜の端が長く[炎]のように延びたところを示していると思われる。「大斗」=「出雲国」現在の北九州市門司区大里辺りと推定される。そこに戸ノ上山が聳える。現存する地名との深い繋がりと思われるが、現地名の由来は不詳である。
天之吹男神
「天」と特定された名前である。「吹男」はそのままの通り、自噴する水(蒸気)が見られるところと思われる。端的には温泉場があるところ、しかも自噴するほどのところである。「天」に存在するのか?…神功皇后が三韓征伐の折に発見したという由緒のある温泉場がある(壱岐市勝本町立石西触、湯ノ本温泉)。何を隠そうこれこそが伊邪那岐・伊邪那美が生んだ正真正銘の神の湯である。
…と紐解ける。この特徴的な地表を表現したものと思われる。
「國之吹男神」がないのは古事記の範疇にある「國」には温泉が無いことを示すと考えられる。
伊余湯は温泉場ではない。「天」ではない自噴する温泉場は古事記の記述の範囲外と結論付けられる。
壱岐島は溶岩台地と知られる。「天」が壱岐島にあったことに対して極めて重要な記述と思われる。通説は屋根葺きの神と解釈されるようである。「國」には必要のない神だった?…腑に落ちない解釈の一つであろう。
大屋毘古神
通説は「大きな家屋」という解釈であるが、「大」=「平らな頂の山稜」の象形として、「屋」=「尸+至」で「崖、山麓が尽きる」と紐解く。「毘古」を上記と同様にして「大屋毘古神」は…、
大(平らな頂の山稜)|屋(山麓が尽きる)|毘(窪んだ地が並ぶ)|古(小高い)|神
…「平らな頂の山稜の尾根が尽きて窪んだ地が並び小高い地があるところの神」と紐解ける。後の大国主の段で木國之大屋毘古神が登場する。具体的なイメージはそちらを参照。また、「蚊屋」という表現が登場する。「大屋」に対して用いられたものであろう。その時は「蚊のような(小さな)家屋」と解釈するのであろうか…「交差するように尾根が延びる」と解釈するが、具体的な場所が登場した時に詳細を述べる。
風木津別之忍男神
これはそのまま文字通りに解釈することは不可である。「風+木」=「楓」と結合すると、楓の葉脈が示す地形を表していると思われる。
示した図の葉脈が「川」を表し、それらが集まって「津」を形成する。「津」は古代の人々が住まう場所として重要な地であったと思われる。その地形を「人目から隠れる、一見では分からない」ところで田を耕す神のことを述べているのである。
「津」=「氵+聿(ふで)」=「水+毛の束(穂)」=「川が束ねる(集まる)」と解釈する。「つ」という語幹は「寄り集まる」ことを示していると解釈される。
古文解釈である「~の」として機械的に解釈してしまっては地形象形していることを見逃すことになる。重要な情報を示す「津」であると思われる。
石土毘古神から風木津別之忍男神までの六神を「家宅六神」と呼ばれるとのことである。先ずは「家」が重要なのだと古事記が伝えているとの解釈である。六神中一部読み解けた神名が家屋に関連させられたに過ぎないのである。
上記のごとく大地が生まれて、更にその詳細な特徴ある地形、人が衣食住を満たすために欠かせない地形を司る神々の列挙と解釈される。古事記の記述はこの地形の中で生起した出来事の記録なのだと告げていると思われる。
海神:大綿津見神
次いで海神が生まれる。名を「綿津見神」と言う。一文字一文字を紐解くと…「大=広大な」として…、
綿(海)|津(海と川が集まる)|見(見張る)|神
…「広大な海と川が集まるところを見張る」神となる。通説のような単なる海の神ではないと解釈する。
水戸神:速秋津日子神・妹速秋津比賣神
<速秋津日子神・速秋津比賣神> |
またそれらの地点は交通の要所でもあり、海と川の混じり合う豊かな水辺でもあったと思われる。
その神に具体的な名前が付けられている。それは何処を指し示しているのであろうか?・・・。
神生みの時期に当て嵌まる地があるのか…「天」に次ぐ古事記の重要な地点であろう。図を参照願う。
「秋津」の「秋」=「禾+火」と分解し、略等間隔で海に突き出る三つの岬を「火」の頭の部分に見做したものと推測される。「秋」は…、
しなやかに曲がる[火]の形
…と紐解ける。後に登場する「畝火山」の表現に類似するものであろう。図から判るように現在の標高で推定して草崎に連なる山稜線の両脇は大きな汽水湖を形成していたと推測される。
この地は邇邇芸命が降臨した竺紫日向に隣接し、後に神倭伊波禮毘古が訪れた国「阿岐(アキ)国」(二つに分かれた台地)と呼ばれたと読み解いた。現地名は宗像市の赤間である。「秋津」の名前が全てに繋がっていることが伺える。
「速」=「辶+束」と分解して「速秋津日子神」「速秋津比賣神」を紐解くと…、
速(束ねる)|秋(火の)|津(入江)|日子神(男神)
速(束ねる)|秋(火の)|津(入江)|比賣神(女神)
上記したように類似する地形は多く見出だせる。「水戸神」としての汎用性をも持合せていると述べている。更に付け加えると「水戸神」は「秋津」が発祥の地であると告げているのである。
この二人の神が更に神を生んでいくことになる。汽水湖に関連する彼らは川と海の両方の性格を持合せている。この認識は重要である。そして古代において最も重要な地域であることを示しているのである。記述はそれに従って生まれた神の名前が述べられる。
此速秋津日子・速秋津比賣二神、因河海、持別而生神名、沫那藝神那藝二字以音、下效此、次沫那美神那美二字以音、下效此、次頰那藝神、次頰那美神、次天之水分神訓分云久麻理、下效此、次國之水分神、次天之久比奢母智神自久以下五字以音、下效此、次國之久比奢母智神。自沫那藝神至國之久比奢母智神、幷八神。
[このハヤアキツ彦とハヤアキツ姫の御二方が河と海とでそれぞれに分けてお生みになつた神の名は、アワナギの神・アワナミの神・ツラナギの神・ツラナミの神・アメノミクマリの神・クニノミクマリの神・アメノクヒザモチの神・クニノクヒザモチの神であります。アワナギの神からクニノクヒザモチの神まで合わせて八神です]
沫那藝神・沫那美神
「沫」=「飛沫」と解釈すると…、
沫那藝神=沫(飛沫)|那藝(凪:穏やかな状態)|神
沫那美神=沫(飛沫)|那美(波:波立つ状態)|神
…川と海とが入り交じる場所での飛沫の状態を表しているのであろう。二つの状態を示していると思われる。
頰那藝神・頰那美神
「頬」=「表面」と解釈すると…、
頰那藝神=頬(水面)|那藝(凪:穏やかな状態)|神
頰那美神=頬(水面)|那美(波:波立つ状態)|神
天之水分神・國之水分神
「水分」=「水を配る」の意と解釈されている。通説に言われるように水源、川の分岐するところの神と思われる。「天」は壱岐島であり、「國」はその他の土地を示していると考えられる。
天之久比奢母智神・國之久比奢母智神
「久比奢母智」が難解のようである。通説には「瓢箪」のこととあり、水を取り扱うのに柄杓として瓢箪を使ったことに由来するとされる。その他の解釈は殆ど見当たらないようでもある。この解釈では「神」とするには無理があろうし、最後の「智」が引っ掛かるのである。
「久比」=「杙、切り株」、「奢」=「おごる、分け与える」、「母智」=「持ち:変わりなく続けること」とすると神武天皇紀に登場する三嶋湟咋(溝杭)を連想させる。「茨田(松田)」=「棚田」作りの名人であって、用水路の作成に関わった人物である。「久比奢母智神」は…、
杙で水を分け与え続ける神
…と紐解ける。古事記が描く水田には不可欠な神と言える。「天」「國」は上記と同様。生まれた神々は水源から河口に至るまでに流れる水を制御する役割を担っていたと判る。
さて、次は何が生まれるのであろうか?…古事記の記述に従って読み進める。
次生風神・名志那都比古神此神名以音、次生木神・名久久能智神此神名以音、次生山神・名大山上津見神、次生野神・名鹿屋野比賣神、亦名謂野椎神。自志那都比古神至野椎、幷四神。
此大山津見神・野椎神二神、因山野、持別而生神名、天之狹土神訓土云豆知、下效此、次國之狹土神、次天之狹霧神、次國之狹霧神、次天之闇戸神、次國之闇戸神、次大戸惑子神訓惑云麻刀比、下效此、次大戸惑女神。自天之狹土神至大戸惑女神、幷八神也。
[次に風の神のシナツ彦の神、木の神のククノチの神、山の神のオホヤマツミの神、野の神のカヤノ姫の神、またの名をノヅチの神という神をお生みになりました。シナツ彦の神からノヅチまで合わせて四神です。
このオホヤマツミの神とノヅチの神とが山と野とに分けてお生みになつた神の名は、アメノサヅチの神・クニノサヅチの神・アメノサギリの神・クニノサギリの神・アメノクラドの神・クニノクラドの神・オホトマドヒコの神・オホトマドヒメの神であります。アメノサヅチの神からオホトマドヒメの神まで合わせて八神です]
風神:志那都比古神
現在の人々にとって風の実体を理解することは難しくない。しかし古代に於いてはこの実体の理解は到底不可能なことであったろう。目に見えないものを理解することの難しさ、微生物の存在を認めるようになってまだ200年も経たない。古事記は如何に捉えていたのであろうか?…、
志那=品
…とする。本来の「品」の意味ではなかろう。
「品=口+口+口」何か得体のしれないものが「口」の奥にあってそれが吹き出て来る状態を表しているのではなかろうか。捉えどころのない大きさから「口」を三つも揃えた。そんな認識と読み解ける。「志那都比古神」は…「多くの口の男神」…と解釈できるが、更に「都比古」=「集め並べてしっかり定める」と紐解いてみると…、
多くの口を集め並べ定めた神
…となる。風は神の息吹なのであろう。立派な現象論的結論である。
木神:久久能智神
漸くにして木の神が登場する。この神を抜きにして「家宅六神」はないであろう。日本の古代は石造家屋が主体であったとも言うのであろうか?…通説は脇に置いて、この神の名前は何と解したら良いのであろうか?…、
久久能智=久久(長い長い年月)|能(の)|智(知恵・知識)
山神:大山津見神
この神はそのまま紐解けるであろう…、
大(大きな)|山(山)|津(寄り集まる)
見(目の当たりにする)|神
見(目の当たりにする)|神
…大きな(高い)山が連なって山脈(山塊)を作っているところを目の当たりにする神である。「天」の地にはない地形である。と同時に単なる「大きい山の神」ではなく、この山塊により詳細な地形を生み出すことに繋がる。
野神:鹿屋野比賣神、亦名謂野椎神
野の神である。山が絡む野となれば…「鹿屋野神」は…、
鹿(山麓)|屋(尾根が尽きる)|野
…「尾根が尽きる麓の野」の神と解釈できる。別名が記される。「椎」=「背骨」脊椎のように小さく枝骨が生えた象形である。「野椎神」は…、
野|椎(背骨の形)
…「山稜の端で小さく、狭く何本もに分かれた支稜にある野」の神を示すと解釈される。大きく高い山が作る山塊の麓及び稜線の端にある野原の神を意味していると思われる。
天之狹土神・國之狹土神
狭土=狭(狭い)|土(地面)
…山に挟まれたところ、峡谷であったり、後に登場する「甲斐」のように山で挟まれた地形を示していると思われる。「天」「國」も同様なのであるが、「國」に居場所がありそうな大山津見神が「天」の神を生んでることになる。不合理ではないが、こんな例もあるということか…。
天之狹霧神・國之狹霧神
狭(狭い)|霧(切戸、切通)
…「深く鋭角に山稜が抉られた場所を表すところ」の神と紐解ける。隧道の技術がない時代山稜を跨ぐには切り通し、両脇が崖となった地を利用するしか方法はなく、またその場所を切り開いて人が住まうようになったと推測される。現在の山岳用語の「キレット:稜線がV字に凹んだ箇所」はこの切戸が由来との説もある。
風の神が生まれたのだから霧もある、ではないであろう。山と野の神だけではなく、水の神が加わって初めて霧の発生が納得される。それにしても接頭語と接尾語にしてまう解釈、枕詞と同様、古事記が伝えようとする意味を見失ってしまう元凶である。「天」、「國」は上記と同じ。
天之闇戸神・國之闇戸神
「闇」の文字解釈を何とするか?…「闇」=「門+音」と分解する。「門」は両開きの「戸」を象っていると解説されるが、「門戸」と表記されることから「門」及び「戸」の解釈はもう少し丁寧に読み解く必要があるかと思われる。
「門」は「家の囲いに設けられた出入口」であって、その全体をも意味するように使われている。家筋、一族、一門など、何らかの核を中心に一纏めにしたものを表す文字となっている。地形象形的に解釈すると「門」は、出入口から中心に辿り着くまでの通路を含めた文字と読み解ける。一方の「戸」は出入口そのものを示していると思われる。
古事記は「門」と「戸」を明確に区別して用いていると思われる。後に「穴門」と「穴戸」の文字が出現する。通説は、勿論、簡単に置換えて解釈する。川の流れの途中で狭まったところは「瀬戸」である。「瀬」が「穴」のように極度に狭いところを「穴戸」と表記するのである。川の流れの途中に中心となるところはないであろう。穴門之豐浦宮、穴戸神など参照。
「音」は、前出の意富斗の「意」に含まれていた。「音」=「刃物で切り開いた大地が閉じ込められたところ」と読み解いた。纏めると「闇」=「囲われ閉じ込められた中に通じる路」と紐解ける。
闇(囲われ閉じ込められた中に通じる路)|戸(出入口)
…「[闇]の出入口」を表していることが解読される。開化天皇紀には沙本之大闇見戸賣という后も登場する。「闇」の示すところの具体的な例として貴重である。
但し、この后については「大きな洞窟を見張る」という意味も重ねられているようである。詳細は後述する。「天」、「國」は上記と同じ。
大戸惑子神・大戸惑女神
「惑」=「麻刀比」と註記される。「惑」=「一定の区域を囲み動く」これは「惑星」で用いられる場合の意味である。「惑」=「纏」と置き換えると…「大戸惑」は…、
大(平らな頂の山)|戸(斗:柄杓の地)|惑(山裾に纏わり付く地)
…と紐解ける。後の「纏向」と同様の表現と解釈される。「大戸」を変わらず大きな戸口としていては全く伝わらない記述であろう。大山津見神と野椎神は山塊にある地形の細部に関わる場所の神々を生んだのである。特に山稜に挟まれ山並みの隙間を活用した地形、洞穴、切通し、隧道そして彼らにとって重要な「斗」の山裾の野など、実にきめ細やかな記述と思われる。
迷い子の神格化…確かに古事記は奇想天外で神話ムード一杯の読み物…古事記がそうなのではなく読者が迷い子なのである。ご丁寧に男女の神とされている。
いよいよ神生みも最後の段となった。様々な地形の神が終わって次は如何なる神様になるのだろうか…、
次生神名、鳥之石楠船神、亦名謂天鳥船。次生大宜都比賣神。此神名以音。次生火之夜藝速男神夜藝二字以音、亦名謂火之炫毘古神、亦名謂火之迦具土神。迦具二字以音。因生此子、美蕃登此三字以音見炙而病臥在。多具理邇此四字以音生神名、金山毘古神訓金云迦那、下效此、次金山毘賣神。次於屎成神名、波邇夜須毘古神此神名以音、次波邇夜須毘賣神。此神名亦以音。次於尿成神名、彌都波能賣神、次和久產巢日神、此神之子、謂豐宇氣毘賣神。自宇以下四字以音。故、伊邪那美神者、因生火神、遂神避坐也。自天鳥船至豐宇氣毘賣神、幷八神。
[次にお生みになつた神の名はトリノイハクスブネの神、この神はまたの名を天の鳥船といいます。次にオホゲツ姫の神をお生みになり、次にホノヤギハヤヲの神、またの名をホノカガ彦の神、またの名をホノカグツチの神といいます。この子をお生みになつたためにイザナミの命は御陰が燒かれて御病氣になりました。その嘔吐でできた神の名はカナヤマ彦の神とカナヤマ姫の神、屎でできた神の名はハニヤス彦の神とハニヤス姫の神、小便でできた神の名はミツハノメの神とワクムスビの神です。この神の子はトヨウケ姫の神といいます。かような次第でイザナミの命は火の神をお生みになつたために遂にお隱れになりました。天の鳥船からトヨウケ姫の神まで合わせて八神です]
鳥之石楠船神、亦名謂天鳥船
「鳥のようにはやく、石のように堅固な楠(くすのき)の船を意味する」とコトバンクに記載される。異論を挟む余地はなさそうである。誤解なきように、あくまで神である。後に建御雷神に随行して出雲の国譲りの段に登場する。まるで連合艦隊の司令官というキャスティングのようである。
大宜都比賣神
食物に関して古事記が記述するものは「稲」が多く、「田」に絡む地形、水(治水)など多様である。狩猟、漁獲に関連する神はこの神が唯一ではなかろうか。どうやら狩猟生活から農耕生活に移ってそれほど時が経っていないことを示しているのではなかろうか。
自然にあるがままのものを食する時代から自然に手を加え、太陽の力を借りて育てて食物を得る、その感動が失せていない時のように感じられる。農耕から全てが得られるわけではなくそれまでの方法で得られるものを大切にしながら豊かな生活に移れたことへの感謝を伝えているようである。「大宜都比賣神」は…、
大|宜(肉・魚)|都(集める)|比賣神(女神)
…大いに「肉・魚を集める」女神と解釈される。「比賣」=「比(並べる)|賣(内から取り出す)」の解釈も妥当であろう(「賣」の解釈は下記参照)。両意に記されているようである。後にこの大宜都比賣神から穀物の種を取り出す説話が記述される。植物、動物を含め自然界の循環を認識している内容である。古事記の自然観の記述は実に貴重な資料として評価できるものであろう。
尚、この「大宜都比賣」は全く別の解釈を行った経緯がある。国生みで誕生する伊豫之二名嶋の「粟国」の謂れである。平坦な頂の山の麓に段差がある高台が集まるところに座す比賣と紐解いた。この文字列は全く異なる意味を重ねた表記と思われる。古事記の難解さであり、面白さかもしれない。
火之夜藝速男神(火之炫毘古神・火之迦具土神)
「火」に関連する神であることには違いない。最初の名前の「夜藝」=「焼け(る)」(火がついて燃える)とすると「火之夜藝速男神」は…「火之」=「火がついて」として…、
夜藝(燃える)|速(束ねる)|男(田を作る)|神
…「燃え上がる炎を束ねる」であり「炎を御して田を作る神」と解釈される。「速」=「辶+束」の解釈である。焼畑を作る神であり、次の名前「火之炫毘古神」は文字通りで…、
炫(目に眩い)|毘古(田を並べて定める)|神
…のようである。この文字列からは古来から行われている「焼畑農法」の状況を連想させる。休閑期間を設けて繰り返し収穫を得る方法である。間違いなく当時の重要な農法の一つであっただろう。最後の名前「火之迦具土神」は…、
迦(重ね合わせる)|具(器)|土|神
…粘土から器にするには粘土紐を重ねて形作ったものを焼結させるのが一般的であろう。その隙間を焼いて重ね合せると表現したものと思われる。結果として「土を器にする」即ち「土器を作る神」と解釈される。遺物に残る中で最も多い土器の神の登場である。火がなければ作れない古代の人々の生業を示すものであろう。生まれた神は極めて現実的である。
後に燧臼と燧杵で火を起こすという記述があるが、「火」に関する記述は決して詳しくはない。ともかくもこの火の玉男はとんでもないことを為出かすのである。伊邪那美が焼け死んでしまったのである。だが、ただでは死なない。
余談だが、現在の火の神様は「迦具土神」と表現される場合が多いようである。秋葉神社などが有名(全国400社以上)だが、やはり神様の表記はこの神となっている。だが上記のごとく「土器作りの神様」であり、「火之夜藝速男神」の名称が適切では?…と思われるのだが・・・。
山が燃えてしまうか?…古事記はちゃんと本来の素性を明かしてくれている。「夜藝速」=「焼けが速い」としては何だか適切ではないから?…別名であって同じ神様だから問題なし?・・・「焼畑」は遠い過去に追いやられたのであろう。いずれにしても「消火」の神様不在のようである。だから「龍神」が必要なのかも?…。
もう少し身近な火の神様は「秋津の奥津比賣命」で「竈神」と言われた比賣であろうか。秋津の火は火ではないし、大斗は竈でもないのであるが・・・大年神系はメジャーにはならなかったのであろう。加えて大斗の所以は避けたかったこともあろう。戯れに近いが、根深いもので、面白いことには違いない。
――――✯――――✯――――✯――――
余談だが、現在の火の神様は「迦具土神」と表現される場合が多いようである。秋葉神社などが有名(全国400社以上)だが、やはり神様の表記はこの神となっている。だが上記のごとく「土器作りの神様」であり、「火之夜藝速男神」の名称が適切では?…と思われるのだが・・・。
山が燃えてしまうか?…古事記はちゃんと本来の素性を明かしてくれている。「夜藝速」=「焼けが速い」としては何だか適切ではないから?…別名であって同じ神様だから問題なし?・・・「焼畑」は遠い過去に追いやられたのであろう。いずれにしても「消火」の神様不在のようである。だから「龍神」が必要なのかも?…。
もう少し身近な火の神様は「秋津の奥津比賣命」で「竈神」と言われた比賣であろうか。秋津の火は火ではないし、大斗は竈でもないのであるが・・・大年神系はメジャーにはならなかったのであろう。加えて大斗の所以は避けたかったこともあろう。戯れに近いが、根深いもので、面白いことには違いない。
――――✯――――✯――――✯――――
金山毘古神・金山毘賣神
火から金が出る、銅鉄のできあがる様そのものであろう。銅鉄のことを語らない古事記であるが、それらを使いこなしていたことは記述しているのである。高熱で溶けた銅鉄と吐瀉物、類似していると見えなくもないようである。
<今> |
生まれる神々の流れからは上記のような解釈も飛び出て来るようではあるが、地形象形的には逸脱した表記であろう。
「金」=「今(含む)+ハ(鉱物)+土」と解説される。「今」の甲骨文字から「段差のある山麓」と紐解ける。「ハ」=「[ハ]の字の地形」、「土」=「台地」として…「金山」は…、
麓の段差が[ハ]形に広がる台地がある山
波邇夜須毘古神・波邇夜須毘賣神
何と「屎(クソ)」から神が生まれると記述される。これは一体何を示そうとしているのか?…この二神の名前の意味は?…先ずはそれから紐解いてみよう。「波邇夜須毘古」は…、
波(端)|邇(延び広がる)|夜(谷)|須(州)|毘(田を並べる)|古(しっかりと定める)
…「山稜の端が延び広がっている傍らの谷間にある州に田を並べてしっかりと定める」神となる。「波邇夜須」「波邇安」は後の孝元天皇紀、崇神天皇紀にも登場する名前である。全て上記の解釈で紐解けるのであるが、何が言いたいのか?…尻と両足が作る谷間の象形と作物が豊かに実る肥えた土地を意味していると思われる。
「夜須=安」は古事記の中で多用される。谷に形成された州は人々が住まい、豊かな収穫が得られるところとして極めて重要な地域であったと推測される。「毘賣」は何と読めば良いのであろうか?…、
毘賣=毘(田を並べて)|賣(生み出す)
…「賣」=「売(ウル)=「内にある貝(財)が出す(る)」のが原義とある。「比賣」に使用されるのも女性の体内から子が出る(を出す)意味を示すからであろう。即ち「整地された田の土から作物が出てくる(させる)」神と解釈される。
上記に登場した「毘古」と「毘賣」は…、
土地を整え地中から(出て来る)ものを収穫すること
…を表現したと紐解ける。そしてそれそれが男性、女性を示す言葉に転化したと推測される。転化した後では、そう言われて来たのだから、という理由で元来の意味は蔑ろにされてしまう。意志の伝達を簡略にするには都合が良いからであろう。だが、しっかりと本来の意味に遡って考えることも重要である。同じことが「枕詞」にも言えるであろう。
彌都波能賣神
今度は「尿」からできる神の話である。先ずは神の名前「彌都波能賣」は…、
彌(弓なりに広がる)|都(人が集まるところ)|波(端)|能(隅の)|賣(生み出す)
…「人が住まう地の果てまで隈なく収穫を得る」神と解釈できるようである。「毘」が付かないのは特に手を掛けることなく得られるものも含めているのであろう。「尿」は「屎」よりも遠くに届くから「彌」が付けたと思われる。いずれにしても作物の成長を促し収穫を得ることを意味していると推測される。この神によって大地の隅々にまで収穫の得られるところをカバーしたということであろうか。
和久產巢日神
文字通りに読み解いてみよう「和久產巢日」は…、
和(穏やかに)|久(くの字に曲がる)|產(造り出す)|巢(州)
…「穏やかにくの字に曲がり州を造り出す」日神(日々の神)と紐解ける。「州」は「住処」に通じるのであるが、この神はその「州」の形を変えて人の住まう、また収穫の得られる地にする神の意味であろう。通説の支離滅裂(失礼!)な解釈では至らない結果となった。ここで表現された地形を基に古事記の舞台が作られているのである。それを要として読み進んで行こう。
さて、最後に和久產巢日神から後に登場する「豐宇氣毘賣神」が誕生すると記載される。登場したところで彼女の居場所など紐解いてみることにする。「州」に密接に関連し、食物の収穫を担う神と伝えられる。