2019年3月1日金曜日

高志之八俣遠呂智 〔322〕

高志之八俣遠呂智


須佐之男命の伝説の中でも最も輝きがあるものであろう。結果の先取りではあるが、これは実に良くできた物語風になっていて、「八俣遠呂智」の名称、文字使いも出色の出来栄えであろう。ところが全く紐解けていなかったのが実情、と言う本ブログも様々な解釈を試みて来たのだが、今一つ、これだ!…と言い切れるものに行き当たっていなかった。

「高志」=「越」の通説に引き摺られていたこと、更には「呂」、「智」の解釈の曖昧さが加わって今日に至ったようである。そんな背景で、あらためて解読結果を述べてみようかと思う。

少々長くなるが、この段の全文を引用しながら・・・。



<肥河・鳥髪・高志>
古事記の中で最も印象的な説話の一つであろう。がしかし、合理的な解釈を目にしたことがない。「八俣遠呂智」は一体何を比喩するのか?…これは決して難しいものではない。

多くの頭と尻尾を持って身体には木が生えている、これまでに幾人かの人が考えたように、これだけで…、
 
八俣遠呂智=肥河の氾濫

…現在の「大川」と解釈される(左図参照)。毎年訪れるのは季節に従って氾濫する肥河の様相である。

だが、この比喩が王道を歩かない。引っ掛かるのが「高志」である。島根と越は河では繋がらないのである。

決定的と思われ、納得のいく比喩の最後が空間をワープする、又は日本海で交流があった証拠などと有耶無耶な世界に入り込んでいく。これが現状である。

須佐之男命が「肥河」の氾濫を見事なまでに食い止めたのである。多くの逆巻く波頭を堰き止めて鎮めたと記述されている。「肥河」の源流は「鳥髪」の山にある。そこを「越」えると「高志」である。前記した「上菟上(トのカミ)國造・下菟上(トのカミ)國造・伊自牟國造」である。全てが繋がり、全てが合理的に理解でき、この説話の重要性も伝わってくる。

速須佐之男命は秘策を提示する。比賣を寄越せ、なんてセコイことも宣うのであるが・・・。ともかくこの作戦は的中である。説話の詳細を八俣遠呂智が肥河の氾濫として読んで頂けると、宜しいかと…、

爾速須佐之男命、詔其老夫「是汝之女者、奉於吾哉。」答白「恐不覺御名。」爾答詔「吾者天照大御神之伊呂勢者也自伊下三字以音、故今、自天降坐也。」爾足名椎手名椎神白「然坐者恐、立奉。」爾速須佐之男命、乃於湯津爪櫛取成其童女而、刺御美豆良、告其足名椎手名椎神「汝等、釀八鹽折之酒、亦作廻垣、於其垣作八門、毎門結八佐受岐此三字以音、毎其佐受岐置酒船而、毎船盛其八鹽折酒而待。」
故、隨告而如此設備待之時、其八俣遠呂智、信如言來、乃毎船垂入己頭飮其酒、於是飮醉留伏寢。爾速須佐之男命、拔其所御佩之十拳劒、切散其蛇者、肥河變血而流。故、切其中尾時、御刀之刄毀、爾思怪以御刀之前、刺割而見者、在都牟刈之大刀、故取此大刀、思異物而、白上於天照大御神也。是者草那藝之大刀也。那藝二字以音。
故是以、其速須佐之男命、宮可造作之地、求出雲國、爾到坐須賀此二字以音、下效此地而詔之「吾來此地、我御心須賀須賀斯而。」其地作宮坐、故其地者於今云須賀也。茲大神、初作須賀宮之時、自其地雲立騰、爾作御歌、其歌曰、
夜久毛多都 伊豆毛夜幣賀岐 都麻碁微爾 夜幣賀岐都久流 曾能夜幣賀岐袁
於是喚其足名椎神、告言「汝者、任我宮之首。」且負名號稻田宮主須賀之八耳神。
[そこでスサノヲの命がその老翁に「これがあなたの女さんならばわたしにくれませんか」と仰せになつたところ、「恐れ多いことですけれども、あなたはどなた樣ですか」と申しましたから、「わたしは天照らす大神の弟です。今天から下つて來た所です」とお答えになりました。それでアシナヅチ・テナヅチの神が「そうでしたら恐れ多いことです。 女をさし上げましよう」と申しました。依つてスサノヲの命はその孃子を櫛の形に變えて御髮にお刺しになり、そのアシナヅチ・テナヅチの神に仰せられるには、「あなたたち、ごく濃い酒を釀し、また垣を作りして八つの入口を作り、入口毎に八つの物を置く臺を作り、その臺毎に酒の槽をおいて、その濃い酒をいつぱい入れて待つていらつしやい」と仰せになりました。そこで仰せられたままにかように設けて待つている時に、かの八俣の大蛇がほんとうに言つた通りに來ました。そこで酒槽毎にそれぞれ首を乘り入れて酒を飮みました。そうして醉つぱらつてとどまり臥して寢てしまいました。そこでスサノヲの命がお佩きになつていた長い劒を拔いてその大蛇をお斬り散らしになつたので、肥の河が血になつて流れました。その大蛇の中の尾をお割きになる時に劒の刃がすこし毀けました。これは怪しいとお思いになつて劒の先で割いて御覽になりましたら、鋭い大刀がありました。この大刀をお取りになつて不思議のものだとお思いになつて天照らす大神に獻上なさいました。これが草薙の劒でございます。 かくしてスサノヲの命は、宮を造るべき處を出雲の國でお求めになりました。そうしてスガの 處においでになつて仰せられるには、「わたしは此處に來て心もちが清々しい」と仰せになつて、其處に宮殿をお造りになりました。それで其處をば今でもスガというのです。この神が、はじめスガの宮をお造りになつた時に、其處から雲が立ちのぼりました。依つて歌をお詠みになりましたが、その歌は、
雲の叢り起つ出雲の國の宮殿。妻と住むために宮殿をつくるのだ。その宮殿よ。
というのです。そこでかのアシナヅチ・テナヅチの神をお呼びになつて、「あなたはわたしの宮の長となれ」と仰せになり、名をイナダの宮主スガノヤツミミの神とおつけになりました]


川の氾濫を防ぐために多くの入り口を持つ「垣=堰」を造り、それぞれに「槽=貯水池」を設けて水の流れを制御しようと試みた…と読み解けるようである。調べると強調された「丹波酸漿のように眞赤」「草那藝之大刀」は砂鉄及びその酸化物を示すと解釈されているようである。

「出雲及び日本海沿岸部と鉄」は遺跡からでも推測されるところであろう。現在の企救半島で製鉄されていたかどうかの確証はないが「高志」に住まう人々の技術力の高さは古事記が幾度となく記述するところである。

「鉄」を見つけた速須佐之男は喜んで天照大御神に献上した、と推測される。石屋の天照は「鉄」の大御神だったのだから。何れにせよ、通説の「八俣遠呂智の伝説」は、読み手が勝手に作り上げた伝説である。


<高志之八俣遠呂智>
八俣遠呂智」の一文字一文字を紐解くことにする。

「遠」=「辶+袁」=「ゆったりとした山麓の三角州が広がるところ」と読み解く。

後に登場する火遠理命遠津などと同様の解釈である。「辶」=「延びる、広がる」と読む。

「袁」=「ゆったりとした衣」と解説される。「衣」=「襟」の象形で、三日月の形を表す、と紐解ける。

「月」、「夕」は古事記で極めて多用される文字である。一例として月読命の解釈例を挙げておく。

「呂」=「囗+囗」から、字形そのものの「積み重なった台地」と読める。「智」=「知+日」で、「知」=「矢+口」=「[鏃]の地形」及び「日」=「[炎]の地形」と紐解く。

「智」の出現数は少ないが「知」は頻出する。本牟智和氣、六嶋の知訶嶋などがある(解釈の詳細は該当箇所を参照:安萬侶コード知・智」)。すると八俣遠呂智」は…、
 
八(谷)|俣(分岐)|遠(ゆったりとした三角州が広がる)
呂(積重なった台地)|智([鏃]と[炎]の地形)

…「分岐した谷が分岐したところにゆったりとした山麓の三角州が広がり積重なった台地と[鏃]と[炎]の地形がある地」となる。上図<肥河・鳥髪>に示したように大きな二つの谷間が一つになる場所の詳細を並べ挙げている名称であることが解る。

八俣遠呂智」に含まれる一文字一文字は後に幾度となく登場し、全て上記の解釈となる。」は通常の「遠い」という意味では使われない。「智」は「」と「」の地形を同時に持つ場所を示すのである。その徹底した一貫性に驚かされる(それぞれの文字のリンクで例示)。「智」は場所・方角を意味する接尾語と解釈したくなるが、それでは古事記の伝える情報を見逃すことになろう。

複数の谷間から流れる川が一つになる、その川の凄まじい氾濫、それと向き合って暮らす人々の物語と思われる。八俣遠呂智」の説話は、現在の大川沿い、上記したように北九州市門司区永黒辺りの出来事と推定される。

ところで「高志」の文字は、ここが最初である。通説「高志」=「越」は定説となっているが、この一面的な解釈が今日まで続いているのが現状である。「高」=「皺のような筋目がある様」と訳すと…「高志」は…、
 
皺のような筋目を蛇行して流れる川

…と解読される(上図<肥河・鳥髪・高志>参照)。「高」は、高天原の解釈で「広げた布に皺が寄ったような筋目がある様」を示すと読み解いた。後に登場する「荏」も皺に関連する。古事記の自然現象に対する感受性は極めて高い、のである。

「志」=「之:蛇行する川」これも後の志賀高穴穂宮で紐解ける。「高志」は場所を示すのではなく、蛇行する川そのものであったと解る。因みに「志(斯)」は古事記中399回出現する。「王」の386回を凌ぐ多さである。古事記の主舞台は、蛇行する川の畔であったことが伺える。

勿論「(オロチが)越して来る」意味を重ねた表記であろう。そして後には「高志国」という表記も登場することになる。万葉歌のような優雅な遊びに惑わされては古事記は読めない、と言える。そしてこの”伝説”は間違いなく肥河の氾濫を示していることが解る。

最後に大国主命が高志國之沼河比賣のところに通う説話が記載される。その歌の中で使われる文字に注目すると・・・。

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詠われた内容の解釈は、上記の武田氏に準じるとして、些か気に掛かる部分を述べてみよう。

夜知富許能 迦微能美許登波 夜斯麻久爾 都麻麻岐迦泥弖 登富登富斯 故志能久邇邇:「ヤチホコの神樣は、方々の國で妻を求めかねて、遠い遠い越の國に」

夜斯麻久爾」=「八嶋国」とすると、武田氏の「方々の国」のような訳になるかもしれない。だが「八嶋」=「山に[鳥]の地形がある谷」と紐解いた。八嶋士奴美神八嶋牟遲能神に登場する。彼らは方々に居たわけではなかろう。事実、大国主命は八嶋牟遲能神の比賣を娶ったのである。夜斯麻久爾八嶋という区域と読み解ける。

一説には通説に従って「八嶋」=「日本」としてる解釈もある。日本より遠い遠いところが「越」になる?…ベトナムか?・・・。

登富登富斯」は、いずこも「遠い遠い」と訳される。その意味も含んでいるであろうが、「登富」=「山麓の境の坂を登る」の意味を示しているのではなかろうか。山麓の境の坂を登り、山麓の境の坂にある斯(志:蛇行する川)を遡ると読み取れる。「遠い」の基準がない、と言うか出雲と越は遠いと決め込んでいるだけの解釈に過ぎないのである。

故志能久邇」=「高志之国」(盛んに蛇行して流れる川の国)と訳せるであろう。「志」を表音(シ)としながら、「之:蛇行する川」の表記を行っているとすれば、「高」→「故」に置換えた理由は何であろうか?…「故」は死者を意味するように「変化しようもない状態」を表す文字と解説される。ならば「故志」は、三日月湖のある蛇行する川と紐解けるのではなかろうか。蛇行が激しくなって取り残された部分が作る状態を三日月湖と呼ぶそうである(参考)。


このことが「沼河」の意味を知らしめていると気付かされ、三日月湖のところを「沼」と表記したと読み解ける。

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