日名照額田毘道男伊許知邇神(國忍富神)・
葦那陀迦神(速甕之多氣佐波夜遲奴美神)
さて、鳥鳴海神以降は直系の系譜が延々と記述される。ローカルな出雲の出来事としてか、まともに解釈され来なかったところである。勿論登場する御子の名前が難読なため、と言うか、とても現存する地名には当て嵌まらないために放置されて来たと思われる。
現存する地名を探してそこに解を求める本居宣長以来の手法から一歩も抜け出せていないのが現状であろう。そこから生じる矛盾を誤写に求める解決法で事なきを得た来た。怠慢である。
古事記原文…、
鳥鳴海神。訓鳴云那留。此神、娶日名照額田毘道男伊許知邇神田下毘、又自伊下至邇、皆以音生子、國忍富神。此神、娶葦那陀迦神自那下三字以音亦名・八河江比賣、生子、速甕之多氣佐波夜遲奴美神。自多下八字以音。
初見で紐解いて来たが、あらためて一から見直してみよう。一文字一文字の安萬侶コードが蓄積された結果を示す時が来た・・・と勢い込んで・・・。
娶った比賣は男か?…なんてことはないのであろうが・・・「男」=「田を作る、耕す」であることが明確に示された例である。
日名照額田毘道男伊許知邇神
「名」、「照」、「額」及び「知」などが解けると、決して難解な文字列ではない。取り敢えず長いのでブロック毎に分けて紐解くことにする。「日名」は…、
…「[炎]の形の傍らにある三角州」と紐解ける。「日=肥」とすれば「肥河の三角州」と解釈することもできる。肥河に掛けている表現と思われる。
「照額田」は…、
照([炎]の稜線)|額田(突き出た山稜の下の田)
<日名照額田毘道男伊許知邇神> |
「毘道男」は…「道」=「首(凹んだところ)」と解釈して…、
毘(田を並べる)|道(凹んだところ)|男(田を耕す)
…「凹んだところに田を並べて耕す」と紐解ける。
「道」は伊邪那岐の禊祓で誕生した道之長乳齒神、道俣神の「道」と同様に解釈する。谷間の出口が大きく広がった地形である。
最後の「伊許知邇」は…、
矢筈山の麓を鏃と見做し、その麓に近いところに座していた神と読み解ける。矢筈と鏃が揃った、実に言い得ている地形なのである。確かに位置的に微妙な場所ではあるが、それにしても・・・であろう。纏めてみると…この長たらしい神の意味は…、
[炎]の形の傍らにある三角州のところで
[炎]のように多くの稜線がある突き出た山稜の下にある
凹んだところに田を並べて耕す
鏃のような麓に近接するところ
[炎]のように多くの稜線がある突き出た山稜の下にある
凹んだところに田を並べて耕す
鏃のような麓に近接するところ
…の神となる。肥河の傍で居場所を求めると、現地名門司区奥田、矢筈山の東南麓が浮かび上がって来る。この地は「大斗」の中では、南に面した珍しく日当たりの良いところである。「照」にはその意味も込められているかと思われる。
近接地に「櫛名田比賣」の居場所がある。曲りくねった肥河に発生する山麓の三角州「名」を使った地名シリーズということかもしれない。もう少し簡略に…とすると特定できないか?…山の名前が付いてない時代、山名を少し多くすると良かったかな?…同じかな?…安萬侶くん。
御子の名前だが簡単なようでこういうのが最も難しい。「国」=「大地、地面」であるが、「忍富」の解釈に窮する。「富を忍ばせる」となるのだろうが、これでは曖昧な表現そのものとなる。
「富」は既出で意富(大)斗に含まれていた。紐解いた結果は「富」=「宀(山麓)+酒(境の坂)」であった。これを適用すると…「國忍富神」は…、
国(区切られた大地)|忍(目立たない)|富(山麓にある境の坂)|神
…「区切られた大地が山麓にある目立たない境の坂になっているところ」の神と解釈される。すると現地名は門司区奥田(三)辺りではなかろうか(上図参照)。
<葦那陀迦神(八河江比賣)> |
この神が「葦那陀迦神(八河江比賣)」を娶り、「速甕之多氣佐波夜遲奴美神」が誕生する。
葦那陀迦神(八河江比賣)
「八河江」は…、
八河江=八河(谷河)|江(入江)
「葦那陀迦神」は…「葦」=「艹(丘陵)+韋(囲む)」と分解して…、
葦(丘陵で囲まれた)|那(なだらか)|陀(崖)|迦(出会う)|神
2-1-3. 速甕之多氣佐波夜遲奴美神
一気に紐解いてみよう…、
速甕之(束ねた瓶の)|多氣(山の頂)|佐(支える)|波(端)|夜(谷)
遲(治水された)|奴(野)|美(谷間が広がる)
<大国主命の娶りと御子①> |
「美」=「羊+大」羊の甲骨文字を使い、羊の上部の三角を山、下部を谷間に見た象形である。
矢筈山の山頂が複数あり、水瓶を束ねたようになって、谷の出口にある田の治水の水源となる、と述べているのである。
現地名大里東(四)辺りの地形を示しているようである。それにしても長い・・・。出雲国で誕生の神々を纏めて図に示す。
肥河(大川)沿いを隙間なく埋め尽くしている状況が伺える。また事代主神はやや離れた南側に位置するのであるが、その後の系譜は語られない。この出雲北部の狭い土地に何代もの系譜が示され、そしてその続きは「至天」となる。大国主命の後裔は「天」に舞い戻るのである。
それが偶然に起きたことではなく、大国主命の系列は出雲で孤立無援の状況にあったことが判る。後に語られる大年神系の子孫によって周囲を固められていたのである。