2018年10月8日月曜日

建小廣國押楯命(宣化天皇):川內之若子比賣 〔267〕

建小廣國押楯命(宣化天皇):川內之若子比賣


建小廣國押楯命(宣化天皇)が娶った川內之若子比賣及び誕生した御子達の居場所は既に記述したのだが、加筆・修正して述べてみようかと思う。河内(川内)を含む近淡海国は、古事記の中では多くの場合が御陵の在処であり、未開の土地として記載されていると思われる。

その地での娶りは、漸く開拓されて人々が住まうことができる場所になって来たことを示すのであろう。ただ、まだまだ大きく発展するには程遠い状況であったとも思われる。現在は福岡県京都郡みやこ町の中心地となっているのだが、当時との格差は大きなものであろう。

古事記原文…、
、建小廣國押楯命、坐檜坰之廬入野宮、治天下也。天皇、娶意祁天皇之御子・橘之中比賣命、生御子、石比賣命訓石如石、下效此、次小石比賣命、次倉之若江王。又娶川之若子比賣、生御子、火穗王、次惠波王。此天皇之御子等、幷五王。男三、女二。故、火穗王者、志比陀君之祖。惠波王者、韋那君、多治比君之祖也。

川內之若子比賣


川内に住んでいた若子比賣を娶ったと記される。川内の何れかは不詳であるが、これまでの古事記記述はここらの娶りが少ない。祖となったり、多くの墓所であったり、近淡海国としての表現は見かけられたのであるが…。きっと蘇った川内の姿が浮かび上がって来るのではなかろうか。御子が二人「火穗王、次惠波王」とされる。
 
火穗王

「火」は「畝火山」を想起させる。三つの頂を持った連山となっているところであろう。「近淡海国の御上」である。現在の行橋市入覚にある観音山を示すと思われる。「穂」=「穂先(先端)」とすれば…、
 
<川内之若子比賣と火穂王・韋那君>
火(火の地形)|穂(山稜の端)

…「[炎]のような形に細かく突き出た山稜の端」と紐解ける。現地名は京都郡みやこ町勝山黒田、観音山連山の最南端にある勝山神社辺りであろう。

更に「志比陀君之祖」となったと記される。
 
志比陀君

記述が簡略になると途端に解釈のハードルが高くなるが、安萬侶コードで頻出の文字列であろう。ならば…、
 
志(蛇行する川)|比(並ぶ)|陀(崖)

<多遲比君・志比陀君>
…「蛇行する川が並ぶ崖の麓」を指し示すと解読される。複数の川が崖の谷間から流れる地である。

現地名は行橋市入覚の別所が浮かび上がる。「志比」は仲哀天皇の「筑紫訶志比宮」の解釈に類似する。

さて「川内之若子比賣」は何処に居たのであろうか?…「子」=「植物の幹から生え出たもの」という解説を信じると、上図の黒田神社がある辺り、ではなかろうか。

「若子」は「完全には離れていない山陵から突き出たところ」を示すのであろう。川内の中心に位置する場所であり、誕生した御子が散ったところがそこを取り囲む。

古事記の川内の中心地、そして現在の京都郡みやこ町本庁を含む地域である。1,300年を経て変わらぬ人々の佇まいに、あらためて感動する気分である。

惠波王

既に「惠」=「志」として同じく蛇行する川の象形と解釈した。「惠」は更に蛇行がより激しくなった状態を示しているのであろう。これを組合せると…、
 
<惠波王>
惠(蛇行する川)|波(端)

…「川内の中で蛇行が激しいところの端」と紐解ける。行橋市長木辺りと推定される。

推定した当時の海岸線から蛇行する二つの川に挟まれた州の形をしたところと思われる。仲哀天皇陵「河内惠賀之長江」の近隣である。

更に「韋那君、多治比君之祖」となったと記される。「多治比」は雄略中天皇の陵墓あった「川内之多治比」(田が治水されて並ぶ)であろう。現地名は行橋市入覚辺りと推定される(上図参照)。
 
韋那君

久々に登場の壹比韋に含まれる「韋」である。同様に解釈して…、
 
韋(取り囲まれる)|那(ゆったりした)

…「取り囲まれたゆったりしたところ」と紐解ける。現地名は京都郡みやこ町勝山池田が示す地形と思われる(上図参照)。この期に及んでの川内の詳細である。
 
<川内之若子比賣と御子(全)>
近淡海国は早期に出現する国名ではあるが、現在から想像するよりもっと河川の治水に手間取ったところであったのだろう。

地形的には谷間が浅く、かつ急傾斜、それに加えて出口は蛇行し氾濫を繰り返す川がある。

現在の広々とした入江の奥にある平野となる以前の記録、それが古事記であろう。

それが漸くにして財力を貯え、国として発展する時期に達したと推測される。

天皇家に近接する地であり、豪族が密かに力をつける地理的環境でもなかった。まだまだ発展途上の地域であったことを示しているようである。

閉塞感が頭をもたげて来た時代、やおら天皇家は近淡海国へ目を向けるようになった。が、それは時期尚早だったのか、手遅れだったのか、古事記は無口であるが、それを紐解くのも本ブログの目的の一つである。